第36話:ディーラー・ズ・ハイ(後編)
VIPルームの重厚な扉が閉ざされると、下界の喧騒は嘘のように消え失せる。
完全防音の結界でも施されているのだろう。
足首まで埋まるような深紅の絨毯が音を吸い込み、天井から吊るされた魔導シャンデリアが、部屋の中央だけをスポットライトのように照らし出していた。
窓の外には、眼下に広がる「フォルトゥナ」の煌びやかな夜景。
まるで、この街すべてを見下ろす支配者の玉座のような空間。
その中心に、緑色のラシャが敷かれた重厚な黒檀のテーブルが一台だけ鎮座し、その向こうには支配人が、獲物を待ち構える捕食者のような笑みを浮かべて立っていた。
「改めて、ルールの確認を行いましょう」
支配人が新しいトランプの封を切り、慣れた手つきでシャッフルを始める。
「勝負は、先程貴女の身柄を担保に貸し出したチップ――金貨5000枚分が尽きるまで。つまり、その持ち金を倍にできれば貴女の勝ち。逆に持ち金がゼロになれば貴女の負け。
ゲームはブラック・ジャック、よろしいですね?」
「ええ。シンプルで分かりやすい契約です」
ブラックジャック。
手持ちのカードの合計を「21」に近づけるゲーム。
絵札は「10」と数え、「A」は「1」か「11」として扱う。
合計が21を超えたら「バースト」で負け。
「ルールは一般的なカジノルールに準拠します。使用デッキは6束。カードカウンティング防止のため、シャッフルは毎回機械で行います。ディーラーは17以上になるまでヒットし、17以上でスタンドします」
支配人は流れるような手つきでカードを捌きながら、特殊ルールの確認に移った。
「特殊アクションについては?」
「『ダブルダウン(倍賭け)』は、最初の手札2枚の時点で宣言可能です。カードをあと『一枚だけ』しか引けなくなるリスクを負う代わりに、賭け金を2倍に吊り上げることができます」
「ハイリスク・ハイリターンですね。『スプリット(手札分割)』は?」
「ええ、可能です。配られた2枚が同じ数字だった場合、同額のチップを追加することで、手を二つに分けてそれぞれ別の勝負としてプレイできます。 チャンスを広げるもよし、ピンチを分散させるもよし……お客様の腕次第です」
「承知しました」
「ただし――『サレンダー(降参)』のみ、当店では認めておりません。一度チップを置いた以上、勝つか負けるか……最後まで運命を見届けていただきます」
支配人はニヤリと笑い、付け加えた。
「それから『インシュランス(保険)』。私のアップカードが『A』だった場合、賭け金の半額を支払うことで、私のブラックジャック成立に対して保険をかけることもできますが?」
「結構です。保険なんて、弱気な者のすることですから(統計的に期待値がマイナスの『死に手』なんて打ちませんよ)」
「……ふっ、威勢がいい。では、始めましょうか。賭けるのは、貴女の『自由』と、お連れ様の『借金』です」
そしてゲームが始まる。
流れるような手つきでカードが配られていく。
───────
「16対7……。ヒット(もう一枚)」
シュッ。配られたカードは『4』。合計20。
「スタンド(勝負)」
「……では、オープン」
ディーラーの手札は『17』。
私の勝ちだ。
「……っ、またソフィアちゃんの勝ち!?」
ティナが後ろで驚きの声を上げる。
勝負が始まってから数十分。
私の手元には、順調にチップが積み上がっていた。
「お強いですね。流石、歴史上最強と謳われる皇帝陛下の寵妃」
笑顔の貼り付いた支配人。
心にもない世辞を言う。
特に動揺もない様子なのは、恐らく彼も、いくらかに負けないなど想定の内と判断しているからだろう。
事実、私はギャンブルをしているのではない。
ただ「作業」をしているにすぎない。
『ベーシックストラテジー(基本戦略)』
ブラックジャックには、数学的に「正解」とされる手が決まっている。
自分の手札と、ディーラーの見えているカード(アップカード)。
この組み合わせごとの勝率を計算すれば、「引くべきか」「止めるべきか」は自ずと決まる。
「12対3……。確率は微妙ですが、ここはヒット」
「おや? それは随分と危ない賭けではありませんか? バーストしますよ?」
「いいえ。統計上、ここで引いた方が勝率は2%上がります」
結果は『9』。合計21。
支配人の唇が微かに歪む。
「……まだまだ勝負はこれからですよ」
「感情はノイズですよ。数学的に正しい選択を続ければ、確率は必ずこちらに収束します」
私はチップを弄びながら微笑んだ。
このままいけば、あと数回でティナの借金分は回収できる。
そう思っていた、その時だった。
流れが変わった。
「……20。私の勝ちですね」
私の手札は完璧に近い『20』。
しかし、支配人がめくったカードは『5』。元々の『16』と合わせて『21』。
「……おや」
「ふふ、運が向いてきたようですな」
次も、その次も。
私が『19』を出せば、相手は『20』を出す。
私が『20』を出せば、相手は『21』を出す。
明らかに「競り負ける」展開が続き、私のチップがみるみる減っていく。
(……おかしいですね)
私は目を細めた。
確率の偏り(ブレ)にしては、あまりにもディーラーに都合が良すぎる。
まるで、「私が何を出すか」を知っていて、それを「ギリギリ上回る手」を出しているかのような。
「どうしました? 数学の女神に見放されましたか?」
支配人の顔に、余裕と嘲りが戻ってくる。
彼がカードを配るために、シューターに手を伸ばした瞬間。
(――今、微弱な魔力が動いた)
私は感知に引っかかる。
彼が指輪をした指でシューターに触れた瞬間、箱の内部で「カチリ」と小さな駆動音がしたのを。
(……なるほど。そういうことですか)
私はため息をつき、心の中で相棒を呼び出した。
(――アドミン。起きてますか?)
『うん! 出番がないのかと思ってたよ! ずっとお姉ちゃんのことはモニタリングしてたから事情はわかってるよ!』
脳内に、頼もしい声が響く。
モノクルは外したが、こんなこともあろうかと私の網膜には直接術式が刻まれている。
カジノ都市フォルナトゥス。
うちの旦那ほどではないが、悪い噂と黒い噂は、事前にいくつか聞いていたのだから。
アドミンとの視界の共有。
(イカサマの解析を。対象はあの『シューター』です)
『了解。スキャン開始……。――解析完了。シューター内部に、カードの順序を入れ替える『すり替え機構』を確認。ディーラーの指輪からの信号で、一番上のカードと任意のカードを瞬時に入れ替えています』
『なるほど。私が勝つカードが出る時は、すり替えて自分に有利なカードを引いていたのですね』
古典的だが、機械制御された精巧なイカサマだ。
数学の国か、確率や運が、聞いて飽きれる。
なるほど、カジノ側が悪さをすれば『必勝』じゃないか。
だが──相手が悪かったわね。
「……そろそろ、次でラストにしましょうか」
支配人が、私の残り少なくなったチップを見て言った。
ここで負ければ、私とティナは仲良く地獄行き。
とは言えそんな結末、起こり得るはずもないのだけれど。
「ええ。全額ベットします」
私は残りのチップを全て前に押し出した。
支配人がニヤリと笑う。カモが網にかかった、という顔だ。
カードが配られる。
私の手元に来たのは――『8』と『8』。
合計16。ブラックジャックにおいて「最弱」と呼ばれる手札だ。
対する支配人のアップカードは、最強の絵札『10(キング)』。
「おや……残念でしたね。16対10。絶望的な数字でしょう」
「……」
「さあ、どうします? ご決断を」
支配人の勝利への確信が、その顔を歪ませる。
私は静かにカードを見つめ――そして、私は宣言した。
「――スプリット(分割)」
「は?」
支配人が目を丸くした。
想定外の宣言に、ついに彼はその仮面を崩した。
「ス、スプリットだと? おいおい、ルールを忘れたのか? スプリットするには、同額のチップが必要だ。だがお前の手元には、もう金がないはずだが?」
「ではこうしましょう」
私は指輪を外し、テーブルに放り投げた。
「この指輪には最高級の魔石が埋め込まれています。金貨1000枚の価値はある。これをチップ代わりにして、手を二つに分けます」
「……ふん、悪あがきを。いいでしょう。どうせ意味なんてありませんから」
支配人がカードを配る。
配られたのは――またしても『8』。
「おや、また8ですね。……リスプリット(再分割)」
「なっ!?」
「足りない分は、このネックレスを賭けます」
私は首飾りを引きちぎり、テーブルに叩きつけた。
「受けますか?」
「愚かしい。仕方がありませんね。付き合いましょう」
そしてさらに配られたカードは、奇跡か必然か、またしても『8』。
カードを配る支配人も、動揺を隠せない様子だった。
「――リスプリット。これで4ハンドですね」
テーブルの上には、4つの『8』が並んだ。
私の全財産と、貴金属全てが賭けられている。
「き、貴様……一体なにをした!? こ、んなこと……はっ、だが、16というクズ手が、8という中途半端な手に変わっただけだぞ! しかも相手は私の『10』だ! はん、裸にして引きずり回してやる!」
支配にも、流石に勘づいた様子ではあった。
しかし仮に、自分のイカサマを看過されたとて、結局最後に自分の好きなカードを引けば勝ち。
だからだろう、まるで自分の勝ちを疑わないのは。
「まだ終わりじゃありませんよ」
私は4つに分かれた手札すべてを指差した。
「全ハンドに対して──『ダブルダウン(倍賭け)』を宣言します」
「はぁぁぁっ!?」
ティナと支配人の悲鳴が重なった。
ダブルダウン。
賭け金をさらに倍にする代わりに、カードを一枚しか引けなくなる背水の陣。
スプリット4回、さらに全てダブルダウン。
当初の賭け金が、一瞬にして8倍に膨れ上がったことになる。
「ば、馬鹿な! 払えるわけがない! もう賭けるものなど……!」
「ありますよ。……言ったでしょう? 『後払い』はしないと」
私は懐から、帝国の紋章が入った小切手帳を取り出し、サインをして叩きつけた。
「足りない分は、帝国の国庫から支払います。……さあ、受けなさい。それとも、逃げますか?」
「くっ……!」
支配人の目が血走る。
この女は狂っている。だが、勝てば帝国の財産までもが手に入る。
そして、彼には「必勝のイカサマ」がある。
「上等だ……! その勝負、乗ってやる!!」
勝負が動く。
私は4つのハンド全てにカードを引く。
アドミンの透視によれば、次に来るカードは全て『10』。
つまり、私の手札は全て『18』になる。決して強くはないが、勝負にはなる数字だ。
そして、運命のディーラーのターン。
支配人の伏せカードは『6』。合計『16』。
ルール上、彼はもう一枚引かなければならない。
シューターに残った一番上のカードは――『10(キング)』。
これを引けば、16+10=26。
ディーラーはバーストし、私の4ハンド全てが勝利となる。
(……だが、奴はそれを許さない)
支配人の指輪が光る。
彼は知っているのだ。
次が『10』であることを。
だから、イカサマですり替えて、二番目にある『5』を引くつもりだ。
そうすれば『21』になり、私の全敗となる。
「死ねぇぇぇっ!!」
支配人が勝利を確信し、もはや語るに落ちているが──支配人はシューターに手を伸ばす。
すり替え機構が作動する──その刹那。
私は心の中でコマンドを叩いた。
(──アドミン。これで最後ね シューターの制御回路に侵入。
すり替え用のモーターを、逆回転させなさい!)
『はい!』
支配人の指が動くのと同時に、アドミンの魔力干渉が走る。
シューター内部で、カードを送り出すローラーが一瞬だけ逆流し、すり替え機構を噛み込ませた。
ガッ……!
微かな異音。
しかし支配人は気づかず、自信満々にカードを引き抜いた。
すり替えられた『5』が出てくるはずだと信じて。
「私の勝ちで──」
彼がカードをめくった瞬間、その笑顔が凍りついた。
そこに描かれていたのは、髭を蓄えた『キング(10)』だった。
「……は?」
16 + 10 = 26。
バースト。
「……な、なぜだ!? 『5』が出るはずじゃ……!?」
支配人が思わず口走る。
私は静かに微笑み、テーブルの上の借用書を回収した。
「バーストですね。私の勝ちです」
「ば、馬鹿な……! き、きか……いや、なぜだ!? ありえない!」
支配人がシューターをバンバンと叩く。
私は立ち上がり、青ざめる彼を見下ろした。
「機械は嘘をつきませんよ、支配人さん。……嘘をつくのは、いつだって『人間』です」
「き、きま、何かした!? これには世界随一の魔術師に結界魔法を施していたのに──」
「さあ? ただ、貴方の計算式には『誠実さ』という変数が足りなかったようですね」
私は呆然とする支配人を残し、ティナの手を引いてVIPルームを後にした。
「い、行こうティナ。長居は無用よ」
「う、うん! ソフィアちゃん、ありがとう……!」
背後で支配人が何か叫んでいたが、私は振り返らなかった。
これで、ひとまずの危機は去った。
あとは――本来の目的となる、本命のターゲットを確保するだけだ。
しかしこの騒動。
カジノには出禁になってしまうだろう。
さて、どうしたものか。




