幕間:初恋の相手
それは、今から10年以上も昔の話。
ルミナス王国の王城で開催された、各国の王族が集う夜会の夜。
煌びやかな会場の喧騒から逃れるように、一人の少年が、城の裏庭にある人気のない森へと足を踏み入れていた。
少年の名は、クロード。
隣国、オルステッド帝国の第一皇子。
銀色の髪に、血のように赤い瞳。
その美貌は幼い頃から完成されていたが、周囲の大人たちが彼に向 ける視線は「称賛」ではなく「恐怖」だった。
(……うるさい)
クロードは、自分の手を見つめた。
指先から漏れ出る冷気が、触れた葉を一瞬で凍らせ、砕いていく。
『呪われた子』
『氷の化け物』
『触れるな。凍らされるぞ』
両親でさえ、彼を遠ざけた。年を経るごとに魔力量は増大し、いつしかクロードも持て余すほどに膨れ上がっていた。
制御できないほど強大すぎる魔力は、幼い彼の心を蝕み、周囲を拒絶する「氷の壁」を作らせていた。
「……ッ、くぅ……!」
突然、心臓が早鐘を打つ。
発作だ。
いつの頃からだろうか。
自分の力を恐れ始めたのは。
魔力が、まるで意志をもつ化け物かのように体内を駆け巡り、自身の身体を蝕んでいく。
いつか自分を突き破って、魔法でできた怪物と成り果ててしまうのではないかと、クロードは恐怖した。
「はぁ……はぁ……ッ!」
視界が白く染まる。
寒い。熱い。苦しい。
体の中から溢れ出した冷気が、周囲の木々を次々と氷像に変えていく。
止めようと思えば思うほど、恐怖が魔力を加速させる。
(誰か……助け……)
いや、誰も来ない。
誰も僕に近づかない。
もし誰かが来ても、この暴走に巻き込まれて死ぬだけだ。
僕は、こうして一人で、自分の氷に閉ざされて凍えていくんだ――。
クロードが絶望に目を閉じた、その時だった。
「――あら? 数値がおかしいと思ったら、こんなところに『発生源』が」
鈴が転がるような、場違いに明るい声が降ってきた。
「……え?」
クロードが顔を上げると、そこには一人の少女が立っていた。
夜会を抜け出してきたのだろうか。
フリルのついたドレスを着ているが、その目には似つかわしくない「鏡」と、その手には無骨な「工具」が握られている。
歳はクロードと同じくらいだろうか。
「くる……な……!」
クロードは必死に叫んだ。
「逃げろ……! 凍ってしまう……!」
「ふーん?」
しかし、少女は逃げなかった。
それどころか、興味深そうに瞳を輝かせ、暴走する冷気の中へとズカズカ踏み込んできたのだ。
モノクルの縁を指で撫でながら、感嘆の声をあげた。
「へぇ! すっごい……! 何この出力係数! 大気中の水分が一瞬で凝固してる! でも操れないのね? これ暴走しちゃってるよね」
「な、なにを……!?」
少女は、クロードの目の前まで来ると、躊躇なくその手を取った。
「ば、馬鹿な!? 触ったら……!」
死ぬぞ、と言おうとした言葉は、喉で止まった。
彼女の手が、温かかったからだ。
クロードの冷気に触れても、彼女の手は凍りつかなかった。
いや、彼女の体から放たれる淡い光の膜が、冷気を中和しているのだ。
「心配しないでね。私、結界魔法は得意だから。じっとしててね。……あー、やっぱり。君の魔力回路、スパークしてる。排出が追いついてないんだわ」
少女は片眼鏡を光らせ、ブツブツと何やら訳のわからないことを呟きながら、クロードの胸に手を当てた。
「ちょっといじるわよ。……バイパス接続」
「うっ……!?」
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
次の瞬間、体の中で暴れまわっていた冷気の奔流が、嘘のように静まった。
まるで、詰まっていた水路が一気に開通したかのように、魔力がスムーズに流れ始めたのだ。
「……え?」
クロードは呆然と自分の手を見た。
冷気は消え、ただ心地よい魔力の循環だけが残っている。
「はい、処置完了! 貴方の魔力、量が多すぎて詰まってたのよ。言って分かるか分かんないけど、身体の中に通り道があってね。その通り道をちょっと広げて、余剰分を外に逃がす、えーと、つまり私を『煙突』として、魔力を逃がしたの」
少女はニカっと笑い、ハンカチでクロードの冷たい頬を拭った。
「すごい才能ね! こんな出力、魔導炉でも見たことないわ。制御さえできれば、貴方は世界一の魔導師になれるわよ!」
「……世界、一……?」
「ええ! 世界一よ! そうね、貴方はたくさん魔力を作れるみたいだけど、それを一気に出すんじゃなくて、常に出しとくようにしなさい? そうすれば、こんな風には暴走させる心配はないわ」
「え、それだけで?」
「それか一気に放出しちゃうかだけど、貴方の魔力量だと一国が滅びそうね」
少女は一通り快活に笑うと、「冗談よ!」とクロードに笑いかけた。
しかしクロードには、その言葉に冗談以上の意味があった。
まるで先生をお母さんと呼んでしまった時のような、ちょっとした間違いを笑い飛ばすように、少女の笑い声が凍りついていたクロードの心を、一瞬で溶かしたのだ。
初めてだった。
自分の力を恐れず、気持ち悪いと言わず、当たり前のことのように接してくれた人間は。
「あ、いけない! 抜け出してきたのがバレちゃう!」
城の方から鐘の音が聞こえ、少女は慌てて立ち上がった。
「じゃあね、氷の男の子! その魔法、大事にしなさいよ! すっごい才能なんだから!」
「ま、待ってくれ! 君の名前は……!」
クロードが手を伸ばすと、少女は振り返り、夜空の星のような笑顔で答えた。
「私はソフィア! ソフィア・フォン・ルミナスよ! いつか立派な魔導師になったら、また会おうね!」
少女は光のように走り去っていった。
残されたクロードは、彼女の体温が残る手を、いつまでも握りしめていた。
(ソフィア……)
その名は、少年の胸に深く、熱く刻まれた。
それからのクロードの執着は、凄まじかった。
彼は国に戻ると、死に物狂いで魔力制御を学んだ。
いつか彼女に再会した時、「化け物」ではなく「男」として隣に立つために。
そして彼は、影からずっと彼女を見守り続けた。
彼女が王国の聖女となり、さながら機械装置のように使い潰されそうになりながらも、それでも健気に結界を維持し続けていることを知っていた。
(……まだだ。まだ迎えに行けない)
彼は力を蓄えた。
父から帝位を奪い、国内を平定し、隣国を征服し、誰にも文句を言わせない「最強の皇帝」になるまで。
そして数年後。
ついにその時が来た。
『報告します。ルミナス王国にて、聖女ソフィアが追放処分を受けたとのこと』
その報告を聞いた瞬間、玉座に座るクロードは、口の端を吊り上げた。
その瞳には、あの日の少年のような純粋な恋心と、皇帝としての昏い独占欲が渦巻いていた。
「……ようやく、機が熟したか」
彼は立ち上がり、マントを翻した。
「馬を出せ。……私の『光』を、迎えに行くぞ」
それは、15年越しの初恋が、実を結ぶ瞬間のことだった。




