幕間:幼い頃のクロード
「……参考までに聞きたいのですが、クロード様は幼少期、どのような『英才教育』を受けていらしたのですか?」
王宮の執務室。
私は積み上がった「魔導学院設立計画書」の山と格闘しながら、向かいのデスクで書類決裁をしている夫に尋ねた。
帝国最強の魔導師であり、冷徹な皇帝クロード。334
彼が受けてきた教育カリキュラムなら、きっと優秀な生徒を育てるヒントになるはずだ。
そう思っての質問だったのだが。
「……私の過去か」
クロードの手が止まる。彼は羽ペンを置き、ふと窓の外――遠くに見える世界樹の方角へと視線をやった。
「……私のケースは、あまり参考にはならんぞ。ソフィア」
「え?」
「あれは……教育というよりは、『隔離』に近かったからな」
彼の赤い瞳が、静かに細められる。
そこには、今の幸せな彼からは想像もつかないような、深く冷たい色が宿っていた。
――昔から、世界は「冷たかった」。
私が物心ついた時、最初に覚えた感覚は、母の温もりでも、父の大きな手でもない。
肌を刺すような「冷気」だった。
記憶の中の父上――先代皇帝は、兵器としての私にしか興味がなかった。
母上は魔力的な素養でのみ選ばれた代理母で、もはや顔しかしらない。
『……近寄るな、バケモノ』
宮廷でそのように陰口を叩かれた理由は二つ。
一つは、私が生まれ持った「規格外の魔力」。
感情が高ぶると、周囲の気温が下がり、触れる玩具も、食事も、花瓶の花も、すべてカチコチに凍りついてしまう。
そしてもう一つは、この「赤い瞳」だ。
帝国において、赤は「鮮血」や「災い」を連想させる色として忌み嫌われていた。
『その赤い目で見られると、呪われる気がするわ……』
乳母たちのヒソヒソ話は、幼い私の耳にも届いていた。
誰も私に触れない。
誰も私を抱きしめない。
広い王宮の中で、私に与えられたのは、北向きの冷え切った塔の部屋だけだった。
「先生。……この術式の意味がわかりません」
その質問に答えてくれる先生はいなかった。
隔離された部屋での授業は、腫れ物を扱うように放任的で、ただひたすら魔力を効率よく魔法へと変換させる練習だった。
家庭教師は何人も変わった。
彼らは皆、私の才能を称賛するよりも先に、私の力を恐れた。
私が無邪気に質問しようと一歩近づくだけで、彼らは椅子ごと後ずさりするのだ。
(ああ……そうか)
幼い私は、ある日悟ってしまった。
私が泣くと、涙が凍って床を汚す。
私が笑おうとすると、周囲の空気が凍りついて人が逃げる。
なら、何も感じるな。
心を殺せ。
表情を消せ。
そうすれば、誰も傷つけないし、私も傷つかない。
『氷結魔法』。皮肉にも、私の心に刻まれていた魔法は、自分の心すらも凍らせる魔法だった。
唯一の安らぎは、夜中にこっそりと部屋を抜け出し、帝国の「世界樹」の根元に行くことだけ。
あの巨木だけは、私が触れても枯れることなく、静かに枝を揺らしてくれる。
『お前だけだな。私の側にいてくれるのは』
冷たい夜風の中で、私は幹に背中を預け、一人で本を読んだ。
魔導書に書かれた理論は、私を裏切らない友達だった。
いつしか私は、「冷徹皇子」と呼ばれるようになっていた。
それでいいと思った。
恐怖で支配すれば、誰も私を侮らない。愛などなくても、国は回る。
私は誰よりも強く、誰よりも孤独な、完璧な皇帝になるのだ――。
(そう。あの日、「君」と出会うまでは)
「……とまあ、そんな陰気な子供時代だ。どうだ、参考にならんと言っただろう?」
クロードは自嘲気味に笑い、肩をすくめた。
話し終えた執務室の空気は、少しだけひんやりとしていた。
彼が無意識に漏らした魔力のせいだろう。
「…………」
私は無言で立ち上がると、デスクを回り込み、彼の元へと歩み寄った。
そして。
ぎゅっ。
「……ソフィア?」
私は座っている彼の頭を抱え込み、胸に押し付けた。
彼の銀色の髪を、わしゃわしゃと撫で回す。
「よしよし! よしよしクロード様! 私がたくさん撫でてあげますからね!」
「ちょ、ソフィア……!? 苦しい、それに髪が乱れる……」
「うるさいです! そんな見る目のない家庭教師たちは、私が全員クビにしてやります!……あ、もういないんでしたっけ」
私は彼を離さず、強く抱きしめ続けた。
冷たくなんてない。
今の彼は、こんなにも温かいじゃないか。
「クロード様。……私、決めました」
「……何をだ?」
「私の作る学校では、絶対にそんな思いはさせません」
私は彼の顔を覗き込み、宣言した。
「魔力が強くても、目が赤くても、性格が可愛くなくても! 『才能』を化け物扱いせず、正しく伸ばせる場所を作ります。貴方のような、孤独な子を生み出さないために」
私の言葉に、クロードは一瞬きょとんとして――それから、ふっと表情を緩めた。
その瞳から、幼少期の影は消えていた。
「……そうか。ならば、期待しているぞ」
「はい! 任せてください!」
私はニカッと笑い、再び彼の頬をつついた。
過去は変えられないけれど、未来(教育)は変えられる。
私のやる気スイッチが、また一つ強く押された瞬間だった。




