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ヴァルトラウト戦記 追放令嬢と蒼穹の騎士  作者: 織笠トリノ
第一章 無力であることは、罪であった

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第6話 新雪を踏む

◇ 一ノ瀬穹


 鼻が痛いと、ソラは顔をしかめる。

「一体なんだってんだ。お前ら頭おかしいのかよ!」


 目の前にいるプラチナゴールドの髪をもつ少女に、思わず悪態をついてしまった。少女――アゼルは肩をわなわなと震わせ、涙目でソラをにらんでいる。


 ソラはアゼルが、たいそうおびえているのだと気づく。だとすれば先ほどの暴言は浅慮だったかと少しバツが悪くなった。


「悪い。その、靴返すよ」

「来ないで! さささささ触らないで!!」

「な、なんだよ、まったく……」


 初対面で革靴を剛速球で投げてきたにしては、罪の意識がないらしい。


「どどどどうせ、あんたは、わたわた私の、かか体を……その、めめめめめちゃくちゃにするんでしょ!」


 えぇ……とソラは引く。さっきの誘拐犯の寝言を真に受けているのだろうか。まああのクソ親父の娘と言っていたのだから、ある程度はわかるけど、それでもあんまりだと思う。


 少女は自分の体をかき抱き、子猫が威嚇するように、ふぅーっとうなってソラをにらんでいる。


「マジかよ……コレどうすんだよ」

 天を見上げるが、淡い光を放つ魔晶灯がソラの目に映るのみだった。


◇ アゼル・シャルリッツ


 差し出された靴を引ったくる。彼は何事かを謝罪していたようだが、耳にあまり入っていない。


 怖さに刺激されて胸がうるさい。これからなにをされるの?

 私は靴を履き、急いでドアにとりつく。


「ふんぐ、ぬぐっ!」


 駄目だ。魔法でロックされてる。

 むあああああああ、どうしよう。激流のような感情に支配される。

 部屋に目をやると、嫌でも豪奢なベッドが目に入ってしまい、耳まで熱くなる。


「なあ、ちょっといいか?」


 少し低めの声。先ほどまでの荒々しいトーンとは違い、優しさを含んでいた。


「さっきは怒鳴ってごめん。君はあの男の娘って言ってたけれども」

 君って呼び方、久しぶりにされた気がする。とても気易くて、なんかちょっと、良い。トクンと心臓が新鮮になった気がした。


「ううん、えと、私は……先に自己紹介、する」

「ああ、そういえば名前がまだだったね。俺の名前は穹。一ノ瀬穹(いちのせそら)だよ」


 先に言ってくれて、ちょっとだけ安心した。


「……ありがと。私はアゼル。アゼル・シャルリッツ・フォン・ヴァルトラウト」

「どこかの貴族様みたいな名前だね」


 ソラは少し眉根をやわらげ、表情をほころばせた気がした。


「じゃあアゼルって呼んでいいのかな。よろしく」

「う、いきなりファーストネーム……。ま、まあいいや。よろしくねソラ」


 ソラはドアの方を見やり、私に尋ねてくる。


「ここにいる奴らの不思議な術、というか。魔法……なのか? 一体何が何だかわからないんだ」


「え、ソラのいた国には魔法ってなかったの?」

「俺の国、というか世界なのかな。魔法なんて想像の産物でしかなかったよ」


 魔法がないなんて信じられない。一体どうやって生活しているんだろう。


「なあアゼル、どうにかして元の世界に帰れないかな。俺にはやらなくちゃいけないことがあるんだ」


 切羽詰まった黒い瞳がまっすぐに見据えてくる。それは例えようもなく真剣で、悲しい情熱に満ちていた。


「ごめんなさい、それは私にもわからないの。お父様たちがソラを召喚したのはきっと、この世界の、グランベリアの危機を救うためだと思うから、簡単には帰れないかもしれない」


「身勝手すぎる……なあ、頼むよ。俺の母が今日明日にでも死んでしまうかもしれないんだ。俺が金を稼がないと、治療が受けられない。こっちは人生を賭けてるんだ」


 愚昧にて蒙昧。私は馬鹿だ。自分のことばっかり心配していた。


 当たり前だ。ソラにも自分の世界に大切な人やものがある。私たちは私たちの都合だけで彼を拉致して、そのうえで利用しようとしている。逆の立場だったら絶対に許せないだろう。


――でも、もう引き返せない。


 純潔を捧げるのは貴族の娘として、いつかは通る道だ。その日初めて顔を見る相手との婚姻だって稀ではない。


 だから使いどころを間違えないことだ。

 目の前には私の人生をひっくり返す切り札があり、私が賭け金にできるのはこの身一つ。答えは最初から出ていたのかもしれない。


 人生は崖の上で行う賭博だと、かの有名な詩人であるモンピエールは著述していた。今ならその気持ちがよくわかる。


 覚悟を決めろ、アゼル。負けるな、私。


「――ソラ。混乱してるのはすごくわかってる。今からいうのがさらに身勝手なお願いっていうのも」


「何を馬鹿な」

「この世界のために戦ってほしいの。王国は、いえグランベリア大陸すべての人々は、いまも敵の侵攻を受けている。私たちが生き残るには、戦争に勝つしかない」


 間抜けな言い分だ。いつから私は主戦派になったのだろう。


「このままじゃみんな死んでしまう。でも私たちには敵を止められる力があるの。そうなる……はずなの。だから!」


『お願い』

 その最後の言葉は、とてもつらくて、はかなくて。新雪のように溶け行って消えてしまった。


「悪いが、断る」

 え、今、なんて……?


「断るといったんだ。アゼルには申し訳ないけれど、俺はまだ死ぬわけにはいかない。何が何でも元の世界に帰らなくちゃいけない。こんなふざけた扱いを受けておいて、自分たちの平和のために戦争に行けと言われてもな。人を馬鹿にしすぎだ」


 ソラの言ってることに何一つ瑕疵はない。彼の強さに呼応したかのように、灯っている魔晶灯が一瞬暗くなった気がした。


「ソラ、あきらめて。元の世界に戻す方法は、たぶんない……と思うの。だから一緒に戦ってほしい」

「嘘だろ……ああ、クソ……。だったらそれでも嫌だと言ったら、どうするの?」


 張り詰めた空気が痛い。


「多分殺されると思う。そしてまた他の人を召喚する機会を待つのかも。一応、最悪のケースだけどね」

「やっぱりか。アゼルの親父さんに会ったときにそれは薄々感づいてたよ。ああ、こいつは平気で殺るってね。君には申し訳ないことだけども」


 ソラはそっぽを向いてしまう。どうにもいたたまれないこの気持ちはなんなんだろ。人の心情に一喜一憂しているほど私には余裕がない。でもここで頷いたら、私は人でなしになってしまう気がする。


 苦しい。胸が痛い。ソラには本当に申し訳ないと思う。でも私は運命に殉じると決めたのだ。


 今が人生の分岐点だ。一生馬鹿にされて過ごすか、それとも戦って名誉を得るか。 

 異世界人であるソラを巻き込んでしまうのは酷なことだけれども……それでも私は賭けたんだ!


「ソラ聞いて」

「…………なに?」


「私をあげる。私の一生をあなたに捧げる。生涯あなたに尽くすと誓うわ。だから私の手を取って、一緒に戦って」


 ソラは目を白黒している。


「いきなりすごいこと言うね」

「嘘じゃない。今から証拠を見せるから――少しの間、あっちを向いてて」


「な、ちょっと!」

「はやく!」


 ソラははじかれたように、慌てて背を私に向けた。部屋に鎮座しているベッドのことを十分意識していることだろう。


 私はそっと耳飾りやそのほかの装飾品を外し、着ている衣服を脱ぎ捨てる。

 ああ、このちんちくりんで薄い体が恨めしい。もっと色々大きければソラの態度も違ったのかもしれない、とか思ったり。


 一糸まとわぬ姿になり、私はそっとベッドに潜り込む。正確にはシーツを体に巻き付けて、上体を枕に預けている。


 心臓が口から飛び出しそうだ。

 恐れるな、アゼル。この運命にすべてを。もう地べたをはいずって生きるのは願い下げだ。


「いいよ、ソラ。こっちに来て」


 魔晶灯の明かりを絞る。


「君は間違ってるよアゼル。こんなのは絶対におかしい」

「今聞きたいのはそういう言葉じゃないの。ねえソラ、私を見て」 


 ゆっくりと振り返った彼は、私の方が気恥ずかしくなってしまうほどに赤く茹で上がっていた。


「見れない。そんな、困る」

「覚悟を決めて。そしてきちんと私を見てソラ。これから先の人生を一緒に歩んでいく女の姿を」


 私は今日、この時からソラの妻になる。相手はどこの誰だかもわからないし、出自も異世界というほどぶっ飛んでる人だ。


 でも大丈夫。私はきっとできる。


「アゼル」

 ソラはふわりとベッドに腰掛け、そっと私の頬をぬぐった。


「泣いてるじゃないか。それにすごく震えている」

「あれ……そんなの……おかしいな。こんなこと貴族の嗜みの一つなのに」


 ソラは無言でそっと私を抱きしめた。彼が何を思っているのかわからないけど、でもすごく温かいものだった。


「そうか……もう戻れないんだな、俺」

「うん。代わりに私の人生をあげる。だからあなたの人生を私にください」


 そっと初めての口づけを交わす。

 ついばむように、一度、二度。


 ソラは優しく、壊れ物を触るように私に触れた。

 心に芽生えた熾火が次第に熱くなってくるのが解る。男性に身を任せるという行為は、ある種、水の沸騰に近いものだと、今日初めて知った。


 私はまだ彼を愛していない。ソラも私のことを愛していないだろう。

 それでもよかった。


「小さいから……やだ……」

「俺はきれいだと思うけど」

 

 恥ずかしくて、怖くて。切なくて。そして炎のように火照って。

 私は散った――涙でぐしょぐしょだったけれど。

 それでも最後はすごく満たされたことは覚えている。


 私の体を支えるソラの左手に、蒼い契りの指輪が輝いている。吸い込まれそうな蒼穹の色は、見ていて心が安らいでいくようだった。

 この世界に憎しみを抱いているソラ。打算まみれの私。最低最悪の組み合わせだけれども、絡まる双つの炎は。まだ幼き雪をそうっと融きほぐしていった。


お読みいただきありがとうございました!

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