第5話 赫蒼双炎<ツインブレイズ>
――アゼル・シャルリッツ
久しぶりに見る実家の屋敷は、いつもより灰色がかっているようだった。
それもそのはず、ヴァルトラウト家には千客万来の状態であった。厩舎や馬車の格納施設は満杯であり、見慣れない従者と思しき人物たちが見張り番をしている。
私の乗っている馬車が正門前に到着した。
「うわ……」
銀細工が施された重厚な扉の左右には、ヴァルトラウト家の三つ首鷲の旗。
そして壁沿いに参集している貴族たちの旗がひらめいている。
「ガートルード子爵家、リグエル騎士爵家……あっちはレンブラント男爵家かな」
ヴァルトラウト家と懇意にしている貴族もいれば、不仲な者たちもいるらしい。
「うわ、デュドネイ伯爵家とオースタム侯爵家……お父様と不倶戴天なのに」
嫌な予感がプンプンと匂ってくるが、ここまで来たのだ。もう後には引けない。
◇
「おかえりなさいませ、お嬢様」
初老の家令である、アルバートが私に傅いてくれる。皺ひとつない燕尾服に、シミ一つない白のシャツ。折り目正しいが、かけている丸眼鏡から覗いている瞳はとてもやさしげで、私は温かい気持ちになった。
そして手すきの使用人一同も勢ぞろいしている。
「ありがとう、アルバート。でもこの整列は……私……」
「ははは、お嬢様は使用人思いでいらっしゃいますから。ですが私どももそのようなお嬢様にこそ、お気持ちよくご帰宅していただきたいのです。どうぞ、お目こぼしを」
「うん、うれしい」
ふっと自然な笑顔になれた気がした。
「お帰りになられて早々で恐縮でございますが、旦那様がお呼びでございます。お召し物を整え、執務室へお越しくださいませ」
「わかりました。すぐに参上すると伝えてください」
「かしこまりました。マリア、アゼルお嬢様をお部屋までお送りしなさい。ピーター、お荷物をお持ちしろ」
若い使用人たちは素早く従う。うーん、教育が行き届いている。
使用人への挨拶は十分にできなかったけれど、急いで支度をしないと。たとえ父親であっても、相手は大陸で五人しかいない竜爵閣下だ。下手をすれば小国の王よりも身分が高いのである。
メイドのマリアに、自室のドレスルームで着替えを手伝われた。
「ひ、一人でできるから!」
「あら、でもお嬢様、ブラウスのボタンが一段ずれてらっしゃいますよ?」
「ぬぐ……」
実家にあった薄い桃色のスカートをはき、ブラウスを今度こそしっかりと着る。胸元をマゼンタの止め石を用いた細いタイで整えた。
さっとベースの化粧水をつけ、水銀入りでない雪に解けるようなおしろいを纏うように塗る。薄めの紅を口に指し、薄桃のチークを少々。
ふうと一息つく。ああ紅茶が飲みたいなという欲求を強引にかみ殺し、ハンドベルを鳴らして家令のアルバートを呼んだ。
「お父様のもとへ伺いたいのですが、大丈夫?」
「かしこまりました。このままご案内してもよろしゅうございますか」
「ええ、お願いします」
屋敷の三階まで上がり、私は意を決して執務室の扉をたたいた。
◇
ノック後ややあってから重苦しい声が返ってくる。
「入ってよし」
「失礼します、お父様」
久しぶりに踏み込んだ父の部屋は、香ばしい葉巻の煙がただよっており、インクの微かに鼻につく匂いと混ざって、自然と緊張を強いられる。
「よくぞ戻った。体に変わりはないか」
「はい問題ありません。それでその、父上のお手紙を拝見したのですが……」
英雄。
その言葉に心が躍らないわけではない。
だが今の自分には何もない。この身がどうして役に立てるのだろう。
「父上、申し訳ありません。殿下との婚約は破棄され、学院は追放されました。竜爵の娘ともあろうものが、このような恥を重ねるなど万死に値します」
「予定通りだ。無駄な王族との誓いや、不毛な腐れ学問の縁も断てたようだな、ならばよし。このまま地下の魔道実験室まで転移する。貴様もともに魔方陣に入れ」
すべてを把握してるんだ。そのうえで有無を言わさぬ口調だ。うううう、背すじが涼しいっ。
「承知しました。ですがその、お客様が多くお見えになっているようですが」
「挨拶など不要だ。今大切なことは馬鹿どもの機嫌を取ることではない」
「は、はい」
そっけない。思えば父上と家族らしい会話をしたことがあっただろうか。少しはこう……なんていうか優しい言葉が聞きたかったな。
◇
父の魔力で封印された執務室の魔方陣に乗ると、一瞬のうちに地下室と思しき場所に転移された。実際にこの目で見て立ち入るのは初めてなんだけどね。
「こちらにきなさい、アゼル」
呼ばれるままに後を追う。
それにしても不気味すぎる場所だ。
よくわからない工作物や、ガラス瓶に入れられた謎の生物が所せましと詰め込まれている。学院にある化学実験室をさらに混沌にしたような感じだ。
「この部屋に入って座りなさい。他にも人を呼んでいる」
示されたところは、まるで官憲の詰め所のような場所だった。思ったよりも広い。
ポツンと簡素な二組の椅子がテーブル付近に設置されている。
そしてなぜかある、天蓋付きのフカフカそうなベッド。緋色に彩られており、場違いにもほどがある。
「そこで待っていなさい」
ややあってから、同じ部屋に一人の少年が兵士に肩をつかまれて入ってきた。兵士が少年を乱暴に、私の対面にある椅子に着座させると、彼は観念したかのようにこちらに目を向ける。
私の心が、跳ねた。
黒髪に黒い瞳。まるで深い神秘の黒曜石だ。
む、いけない、目を奪われてた。でもなんて――きれいなひと。
「アゼル。お前には一つ大きな仕事を任せたい」
キタ。
「赫蒼双炎――知っているな」
「ッ!!!」
な、そんな……! そんな名前が私に対して出てくるなんて、あり……えない。
だって赫蒼双炎は……。
このグランベリア大陸において、その称号はまさしく英雄の証である。
三百年以上前に大陸北東の極寒の地域に発生した、人類の敵<遺骸>。彼らはその地を蹂躙し、征服した後に西進を続け、ラヴィンシャルド王国やその他の各国の生存圏を脅かしている。
数多の魔物を従える<遺骸>は、最前線であったラーシャ王国を電撃的な速さで陥落せしめた。人を餌とし、血を啜りては死肉を食む。まさに地獄のような様相であったと生存者は語っていたそうだ。
<遺骸>は人類に対して圧倒的な軍事力と物量を持っていた。にもかかわらず、現在その進撃は抑えられている。
前線にはその強大な悪魔たちを退ける勇者たちがいたのだ。
彼らは二人一組で行動し、人類が想像できうる以上の奇跡を以て<遺骸>の攻勢を凌いでいた。
護民の盾、金城の要塞、鉄壁の防御。先陣に立ち守護するもの――赫の勇者。
百鬼討つ者、万人の槍、億兆の弓矢。先駆して撃滅するもの――蒼の勇者。
互いに特別な契約を交わし、戦場ではまるで炎が燃え盛るように戦う姿から、『赫蒼双炎』と呼ばれるに至った。
赫蒼双炎の組数は決まっており、このグランベリアを守護する十二柱の主な神と同数しか現れない。
風の女神レプリス。
炎の女神イグニア。
大地の女神ドルマータ。
水の女神シャルシェ。
光の女神ルティエ。
闇の女神アンシラ。
戦の女神タケミツルギ。
運命の女神ノルニル。
獣の女神ジャニュエール。
審判の女神ティワズ。
魔力の女神オルディナ。
疫病の女神グリセルダ。
大陸全土で十二組しか存在できない。一組失われると、次の一組が契約を結ぶ。
主神十二柱以外にも神様はいるけれど、明確に人類に力を貸してくれているわけではない。なので必然的にお祀りする神様は選別されている。
「父上、まさかこの人が……でもどうして私なんかが……」
竜爵、またの名を竜心王とも呼ばれる父、フォルカーですら赫蒼双炎の選から落ちた。圧倒的な実力を持つ者ですら遠く触れられない、まさしく伝説の勇者の称号だ。
なんで『劣化』しか使えない私が……。
「アゼル。目の前にいる男が貴様の運命だ。機会はこの一瞬にしかない」
そうだ。
がんばれ、私。これは絶好の機会だ。ほかの誰でもない、才能も何もない私が、今いと高き神山の頂に手をかけているのだ。がんばれ、がんばれ、私。
「その男はお前の血液を触媒として呼び出し、疫病の女神グリセルダ様の加護を得た。ふっ、残念ながら、な。召喚に使用した血液は万に届こうかというほどだ。どれほど優秀な人物の血液でも不可能だったのだが――」
「疫病の女神様に私の血が……選ばれた……?」
「不幸にも、そうだ」
血筋は大事と人は言う。でも私は今までその繋がりは重みでしかなかった。
けど今は。今だけは喜んでもいいと思う。
私は小さくこぶしを握る。手の中が熱い。この中に流れているものが、私をこの場所に連れてきたのだ。
「失礼します」
カタンと音が鳴り父のお抱え兵士が一人、私と彼がいる部屋に入ってきた。手には赤紫色の小さなお盆のようなものを持っている。
「アゼル様、こちらを」
「これは……指輪……?」
煮えたぎるような。炉にくべたような。火口のような。真の赫だ。
はっと顔を上げて少年の方を見ると、彼の目の前にも同じものが用意されている。
空を結晶化させたような、澄んだ蒼。
「指輪をはめなさい、アゼル」
ごくり、とのどが鳴った。
この運命は誰にも渡さない。
日陰者として地を舐めた自分が輝けるのは、これが最後の機会のように感じたのだ。
一瞬の赤き閃光が走る。指輪は収縮し、私の薬指ちょうどのサイズにおさまった。カチンと音がして軽く熱を灯したように暖かい。抜いてみようとしたが、一向に外れる気配はなかった。
「確定だ。その指輪は赫蒼双炎に選ばれた者しか装着できない。貴様はこれからその男と契約を結んでもらう」
契約ってなんだろう。
って! 目の前の少年は蒼の指輪から目を背け、随分と反抗的そうな態度をとっていた。
「ふむ、そうか。そういえばその男の声を封じていたな。どれ、解除しよう」
パキンと水晶が割れたような音が聞こえた。
と同時に少年が叫ぶ。
「俺に触るな! クソ、早く家に帰せ! 俺には時間がないんだよ!」
闇夜のような射干玉の瞳がこちらを射抜く。
うぅ怖い。けど、きれい……。
「そこの子、君も捕まってるのか? ッ! まだ子供じゃないか……クッ、しょうがない」
「え、え、え」
子供……はちょっと傷つく。これでも成人したし。
「おい、取引だ誘拐犯! 俺は……後回しでもいい。先にこの子を解放しろ!」
当然のごとくお父様は答えない。仕方がない、か。
「おい、聞いているのか! 子供をさらうなんてケダモノだぞ。早くしろ!」
「あ、あのね。違うんだよ。私は自分の意志でここにいるの」
「えっ……うん? どういう……」
彼はきっとお父様を生粋の犯罪者だと思ってるんだろうなぁ。ある意味間違っていないけれどね。うう、関係性をバラすのが怖い。
「わ、私は、その……あなたが言う誘拐犯の……娘なの」
時が止まったようだ。
「……なんだって」
彼が何事かを叫びそうになった瞬間、父の声が機先を制して響く。
「押さえつけてはめさせろ」
兵士が数人部屋に入ってきて、少年の体を力ずくでねじ伏せる。強引に左手を開かせ、その薬指に蒼い円環を差し込んだ。
再び部屋には雷光のような蒼い光がほとばしる。
「離せよっ! 何をしやがった!」
「ふむ、こちらも成功だな。まあ結果は分かっていたことだが」
父の感情のこもらない声が聞こえる。少年は強引に兵士を振り払い、立ち上がろうとしてまた押さえつけられていた。
「あのお父様、これからその、どうすれば?」
「宜しい。お前たちには儀式の最後の段階に移行してもらう」
なんだろう。ものすごーく嫌な予感がする。
国家の、いや大陸の重要な儀式が、こんな簡単に済むものなの?
大々的に神殿で、なんて言わないけれど、せめて公式に認められる形で執り行われてもいいのでは。
「――アゼル」
「はい、お父様」
「そこに大きなベッドがあるだろう」
「ありますね」
「今からその男に純潔を捧げるのだ」
は?
時が止まる。オトウサマ、イマ、ナンテ?
思うように言葉が出ない。言われた内容を理解しようとしても脳がマヒしている。
「赫蒼双炎はお互いの理解度や共感性、なによりも精神的なつながりが力を増幅する因子となる。愚鈍な王家に使うはずだったその体、今ここで利用せよ」
うえええええええええええっ!?
目の前の少年がどんぐりのように眼を見開いている。
「み、見ないでっ!」
恥ずかしさのあまり、思わず靴を少年の顔に投げていた。
「ぐあっ!」
「じょじょじょ、冗談じゃじゃ、ないわよっ! 何ですかそれ、私に死ねとおっしゃってるのですか!?」
「塵芥ほども戯れはない。此度の組み合わせは少々特別でな、我が娘よ。その少年は能力的に申し分ないのだが、魔力の奔流をつかむことができていない。時間をかけて習得させることも選択肢としては存在するが、余計なクセをつけさせるのもよろしくない」
うん。父はいたって真剣だ。余計に腹が立つ。
「だだだだだからと言って、そん、そんな……かかかか体を許すなんて! いくらお父様のご命令でも、ありえません!!」
「お前のためを思って、そこに準備を整えてあるのだがな。まあ、いい。夜は長い」
や・ば・い。
娘の初夜を整える父。いやいやいや、こんな埃っぽい場所に、いかにも特注で買ってきました的なベッドを見せられても……。
それ以前に、この少年はドコのダレ? いや、そもそも儀式自体がすごくキツいんだけれども。
あああ、考えがまとまらない。
「ではアゼル。後ほど会おう」
手をぱっと上げて、兵士たちと去っていく竜爵閣下。
「えええええぇ……」
確かにその、私は無翼の落ちこぼれで、学院から放り出された身だけれども。これでも公爵令嬢なんだよ? なんなら一代限りだけれども竜爵令嬢でもあるんだよ?
目の前がぐわんぐわんと回転する。
非常に気まずい空間に、蒼と赫のエンゲージリングをはめた二人だけが取り残された。
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