第2話 きっと私には何もないし、何者でもない
私たちの国はずっと戦争をしている。いや、大陸全土の国々が一丸となって戦っている。
だからこの時代――無力でいることは罪だったのだ。
硝子にひびの入るような、高圧な声が響く。
「もう我慢できませんわ!」
ばしゃりと激しい水音とともに、冷たい感触が頬をつたった。
注がれてからまだそれほど時の経っていない、爽やかな若いワインを思いっきり顔にかけられてしまった。
あぁ、もうびしゃびしゃ。どうしてくれるのよ、これ。
「アゼル! アゼル・シャルリッツ・フォン・ヴァルトラウト! 本当に役に立たない子! どうして貴女がかの誉れ高きフォルカー竜爵の娘なのでしょうね!!」
仕方ないじゃない。生まれは選べないのだから。
さて、私ことアゼル・シャルリッツは、学生として今最大の危機を迎えている。このままでは目前に控えている卒業試験はおろか、戦場で武勲を立てることなど、とてもできない。
下手をしたら爵位すら危ういかもしれない。
ラヴィンシャルド王国に住まう子弟で、魔法の素養を持つ者は一定年齢になったら魔法学院に通わなくてはならない。それこそ貴族平民問わずにだ。
数ある学院の最高府とされているのが、私がいるこのクリストフェル魔法学院だ。
しっかりとした推薦や選抜を受け、厳しい試験に合格した者だけが入れる狭き門である。
(まあ、私は親のね……)
「聞いているのアゼル! 何? その苦虫を噛みつぶしたような顔は。言いたいことがあるのであれば、堂々とおっしゃいな」
そのクレームは間違ってると思う。もともとキツいと言われてる顔だし。
などと現実逃避をしてもしかたがない。なぜならば今私は、反省会という名の糾弾会の真っ最中にいるのだから。
この会議室にいるのは私のパーティーメンバーだ。クリストフェル魔法学院では、学生で生徒同士がパーティーを結成し、前線にいる兵士を支えるために活動することが義務付けられている。
「――きちんと任務は達成してきた……きました。だからこのままいけば卒業に必要な単位は足りるかと」
「できて当たり前なのです。学院の先生方が、生徒たちがきちんと乗り越えられるように任務を設定されているのですから」
ワインが私の色素の薄い金髪から、床へと落ちる。ぴとぴと。
「じゃあ何が問題なんです……でしょうか?」
「魔道の大家にして名門ヴァルトラウト竜爵家のご令嬢と伺っていましたから、どれほどの腕前をお持ちなのかみんな楽しみにしていたのですよ。それが……」
チッ、とあからさまに舌打ちをされる。
だけど文句は言えない。
私を詰めているのは、この国の第三王女殿下であらせられる。お育ちがよろしいのか、当然のように人を値踏みする癖をお持ちのようだ。
私は背の高い人は嫌いだ。だって自然と見下ろしてくるから。私の身長は初等部後半のころから伸びていない。
「貴女は駆け出しの魔法使い以下、見習い以下。いえ、赤子以下だわ」
言われなくってもわかってるよ。そうだよ、その通り。もう慣れてる。
「私なりにお役に立てるよう、努力したつもりだ……ですが」
くぅ、相手が王族でなければ、いちいち敬語に直さなくてもいいのに。
「努力? 努力ですって!?」
ハッと大げさにため息をつかれる。そしてまるで昆虫をみるような目で私を見下ろしてくる。
「魔法を操る身であれば、努力は義務であって目標ではありません。あまねく臣民も日々の生活で己ができる範囲を超えて努力しています。私たちの使命は戦果を示すこと。そうではなくて、アゼル・シャルリッツ?」
うん。無理。言い返せない。下手に口を開けば、まただらだらと言い訳が出てきて、火に油を注ぐことになるだろう。
人よりもはるかに小さく、薄くて貧相な自分の体が強張っていくのを感じる。
「何かおっしゃい、アゼル」
「何もありません」
「そう、であれば貴女はこの学院にとって必要のないことになるけれども?」
クリストフェル魔法学院の中等部は三年制である。その学業期間中に生徒同士でパーティーを組み、様々な任務を達成することで進級や卒業の条件としている。
任務は様々で、単純作業もあれば物資食糧の運搬、施設の警備や資源採集。小規模なモンスターの討伐などもあったりする。
大命を果たしている国家に対して、忠義を尽くす機会であること。そして魔法使いのみが与えられる爵位『魔爵』の義務でもあるのだ。
使い古された言葉で言えば、ノブレス・オブリージュと言うものだ。
「つめたっ」
また顔にパシャっと。今度は蜂蜜種だ。はぁ……考える暇すらないや。
「アゼル、貴女は単純な『劣化』の魔法しか使えないのですよね。それも小石を変色させる程度の。それが今までの任務の中で何か貢献したことがありまして?」
第三王女、テレジア・ラヴィンシャルド殿下の怒りはおさまりそうにない。端正な細い眉を吊り上げ、琥珀色の瞳を狐のように細めている。
「みんなの荷物とか、持っていました。あとは料理とか……です」
殿下のご下問でなければひっぱたいている。
「はぁぁ……。魔法の使えないものがするような行いは、魔爵をいただいている私たちの仕事ではありませんわ。貴女には誇りというものがないの?」
確かに私は魔爵には相応しくないのかもしれない。
「あり……ます」
この大陸では共通して九つの爵位が認められている。
上から順に、竜爵・公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵・準男爵・魔爵・騎士爵だ。
なかでも竜爵は、私がいるグランベリア大陸で五名しかいない最高位であり、血筋ではなく純粋に偉業をなした『賢者』と呼ばれるものに送られる、最大級の名誉だ。
竜爵は子孫に引き継がれない、一代限りのもので、魔爵や騎士爵も同様である。
私の実家、ヴァルトラウト家は王家譜代の臣でもあり、王国公爵の位を賜っている。
ややこしいが、私は竜爵令嬢であり、公爵家令嬢であり、個人的に魔爵持ちということになる。誰がこんな制度考えたんだろうね。
「大人しく公爵令嬢の肩書だけで我慢しておけばよかったのにね、暗愚な魔爵さん」
あんたは考えてることが読めるのか。
六歳以上で魔法の素養があり、無事に学院に入学できた者に対して、王家は『羽』と呼ばれる徽章を下賜している。その羽持ちであることが魔爵である条件だ。
「まあ、私も言い過ぎましたわね。貴女のような『無翼』に期待を抱くのは、豚が空を飛ぶことを信じるようなものだったかしら」
無翼、それは……それだけは触れてほしくなかった。
魔爵の証として各国ともに徽章を授与している。グリフォン・マンティコア・ルフ・フェニックス。おおむね鳥類や羽をもっているものの意匠が施されている。
共通認識として、重要視されているのは徽章についている羽の枚数だ。
羽の数の上限は十枚。実力を認められると徽章に一枚ずつ追加されていく。
具体的にいうと、中等部の一年生は羽二枚程度。三年生で三、四枚ぐらいになる。もちろん能力や功績によって枚数は変化していく。
「アゼル。貴女の羽の枚数を言ってごらんなさい」
「……ありません」
「もう卒業間近というのに、ね。私たち十五歳よ? 成人したのよ?」
「うっ……くっ……」
そう、私は『無翼』だ。徽章の土台だけを与えられた、ほんとうにおこぼれの魔爵なのです。私をネチネチと攻めている姫殿下の羽は五枚。第五翼の魔法使いだ。
「結論に入りましょう。アゼル・シャルリッツ、貴女を解雇します。このパーティーから抜けて頂戴。もうこれ以上面倒を見ることはできないわ」
「そんな……お許しください殿下。だって中等部から高等部卒業まではパーティーは固定するという慣例がこの学院には……」
「駄目よ、もう限界。これ以上貴女が存在するのは、パーティーにとって損失でしかないのです。諦めてよそに入れてもらいなさい」
「そんなことされたら」
ガクガクと膝が笑う。ちょっとこれは洒落にならない。
「貴女を欲しがるパーティーがあるとは思えないけれど、一応声だけはかけておいてあげるわ。アゼルは自由の身になりましたってね。うふふ」
困る。大いに困る。爵位だとか羽の枚数とか以前に、学院追放すらありうる。
下を向いて冷や汗をかき、うなっている私に追撃が入る。
「アゼルぅ、アンタさ、魔爵の位を王家に返上したらぁ? 大荷物を持つ体力はあるんだから、平民と一緒に農業でもするといいよぉ」
と、治癒術師のマリナ。
「姫殿下がおっしゃってくれなければ、俺が言ってたぜ。っつーかさ、お前がいるとチームの評価が下がるんだよな。このパーティーは本来Dランクの任務を受けられるはずなんだ。そこらのいっぱしな冒険者と同じくらいには戦える。けどよ、毎回毎回誰かさんのおかげでGランクの依頼ばっかりでよ。おい、わかってんのか? 俺たちはその分他のやつらよりも時間を削って、くだらない任務に当たらないといけないんだぜ!」
魔法剣士のグレイも怒り心頭の模様だ。
ともに苦労を分かち合ってきた、なんて偉そうなことは口が裂けても言えないけれど。それでも任務で互いに励ましあった言葉は、嘘ではないと信じていた。
「冒険者ギルドの職員が言ってた。なんで荷物持ち専用なんか雇ってるんだって。まあ、あなたのお父上、ヴァルトラウト竜爵閣下の娘って知ってるから、もっと遠まわしに濁してたけどね」
火炎術師のリーン至っては、視線すら合わせてくれない。
「私だって」
噛みしめていた唇が痛い。きっと紫色になっているのだろう。
「私だって! いっしょう、けん、めい、やってるのよ……」
うぐ、視界がぼやける。
駄目。こんなところで無様に泣くわけにはいかない。今の自分の顔は誰にも知られたくない。
「本当に残念な回答ね、アゼル」
打って変わって穏やかなテレジア殿下の声が私に刺さる。怒りとかそういうものは通り越してしまったのだろう。
「貴女がここで言うべきだったのは、どのような魔法を覚えて、何を以てパーティーに貢献していくかの決意表明だったのよ。そんな基本的なことも無理なのね」
花が咲くような笑顔が、うすぼんやりとした視界にも見えた。
「パーティーリーダーとして宣言します。アゼル・シャルリッツを今この場で除名処分とすることを! アゼル、卒業したければ冒険者を私費で雇うことね。くれぐれも醜聞を出して、王家と学院の名前に泥を塗らないで頂戴」
テレジア殿下は長いマロンゴールドの巻き髪を優雅にたたずませている。
「あ、わ、わたし……は」
またぼやける。床にぽつぽつと滴っているのは、かけられたワインでも蜂蜜種でもない。
熱くて、冷たい。
そしてガツッと頭に衝撃が走る。とうとうグラスをぶつけられたようだ。
「おいさっさと出ていけ。もうここにお前の居場所はねえよ。あーしかし姫殿下、すっきりしましたよ。ったく、竜爵閣下の娘だからって家名を言わずに尊重してたけどよ。もう限界だわな」
「そんな風にモノを投げたらだめよぉ。あら、ねえアゼル。私いいこと思いつきましたの。父が領主をしている土地に風土病が発生して、農民が減ってしまいましたの。もしよろしければ、就職先にいかがかしらぁ?」
「グレイ、マリナ、もういいよ。これ以上構うのは時間の無駄。明日からは効率よく任務を消化していく。いい?」
「だな。リーンの言うとおりだ」
「話はこれでおしまいよ、アゼル。早くこの場から消えなさい」
クスクス、ケタケタ。その声に耐えられず、私の体は動いた。
葡萄の枝の装飾が彫られた扉を開け、まさしく脱兎のように走る。
悔しい、逃げたい、消えたい。
私はただひたすらに、無茶苦茶に学院内を迷走する。
「はぁ、はあぁ、んぐっ」
息切れし、ぺしゃっと転んだのは中庭の噴水前だった。そしてまるで幼児のように地面をたたく。
心臓は破裂しそうなほど激しく鼓動し、来ている制服も汗と砂ぼこりでぐしゃぐしゃだ。気がつけば夕日は沈みかけ、宵闇が辺りを支配しようとしていた。
「もう無理。やめよう。もともと才能なんてなかったんだ」
運よく持ち出せていた、自分の魔杖を支えにして、なんとか立ち上がる。
「劣化!」
しゅっと音がして、鈍色の光が空中に揺らめく。時間にして二秒程度だろうか。
「劣化! 劣化! 劣化ぁぁ!」
光は瞬いては消えていく。そして私の魔力もすぐに限界が来た。
自然と膝が崩れる。そして私の『劣化』の影響を受けたであろう、噴水の水が濁ってあふれたようだ。
「どうして……私は生まれてきたの……こんなの……」
もう一歩も動けない。
私は膝を抱えて汚水の上でうずくまる。
薄暗がりの中、たった一人の夜はとても寒く感じた。
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