竜の守り人の魔女は竜退治にやってきた騎士団長に恋をした
王国の端の森の中には、竜が住んでいる。
人々に恐れられ、畏怖される、竜の名はエルネスタという。
そんな竜の世話係として、果てない命を与えられたのがヴァレンティナだ。
二十代前半の姿で外見の成長を止めた彼女は、かつて王国が隣国と戦争をした際の戦災孤児だった。
村が焼け、両親が死に、燃え盛る炎の中で絶望していた彼女を救い上げたのは、竜の気まぐれ。
それ以来、命を助けてもらった恩を返すために、ヴァレンティナは竜の守り人として、森の番人をしている。
竜の魔法によって永遠に等しい時間を与えられ、ひっそりと森の中で静かに暮らす日々を、彼女は気に入っていた。
寂しい、と全く感じないかと言えば嘘になるが、森の動物や、なにより命の恩人の竜と過ごす穏やかな優しい日々は、人間不信に陥っている彼女にはちょうどよかった。
だが、そんな毎日に終止符が打たれる。
それは、王国の騎士団が竜の討伐にやってきたことだった。
「引いてください。貴方方では、私たちには勝てません」
森で最も長命な木から削りだした杖を手に、ヴァレンティナは目の前にずらりと並ぶ騎士たちを前に落ち着いた口調で語りかける。
銀色のよく磨かれた鎧にマントを身に着けた、精悍な顔立ちの青年。
おそらく騎士団長と思われる男が一歩前に出た。
「君こそ、死にたくないなら竜を守るのは止めるべきだ」
「……どうしていまさら、竜の討伐など。この二百年、竜はなにもしていないのに」
ヴァレンティナが竜の守り人となって、すでに二百年がたつ。
その間、竜は人間との間に揉め事一つ起こしていない。低い声音で問う彼女に、騎士団長の男は眉を潜める。
「竜はそこにいるだけで脅威だ。まして、卵を産み、次の竜が育つなど、看過できぬ」
ヴァレンティナを保護した竜は雌だ。彼女が卵を産んだのが一か月ほど前。
孵化にはまだまだ時間がかかる。竜が産んだ卵を守ることもまた、守り人であるヴァレンティナの使命だ。
背後にある森の奥の気配を探る。竜は卵を守って移動できない。この場で騎士たちを足止めしなければならなかった。
「話し合いは無意味ですか」
「ああ。そうだな」
騎士団長が剣を抜く。ヴァレンティナもまた、杖を構えた。
決着はあっという間についた。
当然ながら、竜によって加護を与えられ、無尽蔵の魔力を持つヴァレンティナの圧勝だ。
約二百人ほどの騎士たちを圧倒的な力でねじ伏せた彼女は、虫の息だが、辛うじて息のある騎士団長に回復魔法をかける。
折れた骨がくっつき、損傷した肉体が治っていく。
顔色は悪いものの、うっすらと目をあけた騎士団長に、静かに語りかける。
「王に伝えなさい。貴方方が竜を脅かさない限り、竜もまた、貴方方を脅かさない。これは契約です」
騎士団長の身体に魔法の印を刻む。
流した血は回復魔法でも完全には戻らない。
まだ立ち上がれずにいる騎士団長に、最後に一言だけ謝罪を告げる。
「……ごめんなさい。貴方の大切な人たちを殺してしまって」
「……きみ、は」
「行きなさい。王に伝えるのです」
立ち上がったヴァレンティナは、振り返ることなくその場を後にした。
呆然と彼女を見上げた、騎士団長の眼差しが脳裏にこびりついて離れない。
竜との暮らしが平穏に戻ったかと言えば、そうでもない。
常に王国の動きを気にする生活は、ヴァレンティナの精神を疲労させた。
「ヴァレンティナ、そのように警戒せずとも良い。人間に妾を害することは出来ぬ」
「でも、エルネスタ。万一があるわ。卵もまだ孵化の兆しが見えないし」
「其方の気の済むようにするがいい」
そんなやり取りをした数日後、ヴァレンティナと竜の元を、一人の青年が訪れた。
彼は、旅人のような身なりに身を包んでいたが、たしかに彼女たちを討伐しようとした騎士団長だった。
竜の住む森の奥に、ドワーフに立ててもらった家で暮らしている彼女の元を訪れたのだ。
扉がノックされ、警戒しつつでたヴァレンティナに、どこか疲れた様子の騎士団長が、軽く会釈をする。
「失礼する。王からの伝言を言付かってきた」
先日、問答無用で戦いに発展したのが嘘のように礼儀正しい態度。
目を見張ったが、争う気がないのなら無暗に攻撃を仕掛けようとは思わない。
ヴァレンティナは一歩後ろに下がった。家の中に入るように伝えると、彼は「失礼する」ともう一度口にして、部屋に入る。
一人暮らしなので、玄関から入れば、そこはキッチン兼リビングである。
リビングのイスをすすめたヴァレンティナに、大人しく彼は従った。
森でとれた薬草を煎じたお茶をだすと、向かいに座る。
「まず、名前を教えて。貴方はなんというの?」
「……失礼した。私はルチアーノ・カルファーニャ。王国の騎士団で、騎士団長をしていた」
「していた? 過去形なの?」
「ああ。部下をすべて失い、騎士団を壊滅させた責任をとった」
自嘲気味に笑う姿に、眉を潜める。
そもそも、彼が部下を失ったのは『竜を討伐せよ』などという無茶な命令を王が下したからだ。
そっと息を吐き出し、胸の中のやるせなさを散らす。
正当防衛だったとはいえ、彼の部下を皆殺しにしたのはヴァレンティナなので、気まずくもある。
「私が憎い?」
「……いや、我が騎士団の実力が足りなかった」
「そう」
恨まれていないわけがない。
それでも、強がりを口にできる程度には心の中を整理できているのだろう。
「それで、王の伝言とは?」
この森から出ていけ、などと言われるのであれば、竜を守るために国を相手に大立ち回りをすることになる。
冷えた声音で問いかけたヴァレンティナに、ルチアーノはまっすぐに彼女を目を見て告げた。
「契約をする、と。それだけだ」
「そう」
浅く息を吐き出す。これでひとまずの脅威は打ち払えたと思っていいだろう。
ヴァレンティナは自分の前に置いたお茶を一口飲んだ。慣れた味に、心が落ち着いていく。
「貴方はこれからどうするの?」
騎士団長をクビになったルチアーノに職の宛てはあるのか。
問いかけたヴァレンティナに、彼は視線を伏せる。カップの中のお茶を見つめる姿は哀愁が漂っていた。
「どうにでも、なるだろう」
口調に覇気もない。ヴァレンティは小さくため息を吐き出して、椅子から立ち上がる。
部屋の隅にあるベッドサイドに置いていいた杖を手にとって、ルチアーノへと振り返った。
「ついてきて、貴方に見せたいものがあるわ」
玄関から外に出る。ついてきているかは確認しない。
さくさくと草を踏んで森の中を進んだヴァレンティナは、開けた土地の前で足を止めた。
「こ、れは……」
「貴方の部下のお墓よ」
森の中の、光がさす開けた空間には、いくつもの石が積まれている。
その下には、ヴァレンティナが魔法で蹂躙し、殺した騎士たちが眠っている。
「死体、取りに来ないから。勝手に埋めたわ」
「……そうか」
ヴァレンティナの背後から、泣きそうな声がした。
一歩一歩、大地を確かめるように前に出たルチアーノが一番近くにある墓石の前で膝をつく。
「お前たち、ここにいたのか」
そっと石を撫でるその背中を、ヴァレンティナは静かに見つめていた。
▽▲▽▲▽
ヴァレンティナと名乗る女性に王からの伝言を届け、ルチアーノは竜の住む森の近くの集落にしばらく滞在することにした。
村と呼ぶにしても小さな集落だ。
働き手の男がみな出稼ぎにでているため、体力のあるルチアーノの滞在は喜ばれた。
村長の家に間借りをする形で、彼がその村に滞在すると決めたのは、竜の動向を知りたかったからだ。
大切な部下を皆殺しにされた。憎悪は確かに胸の内にある。
だが、それ以上に、悪だと信じていた竜を慕うヴァレンティナのことが不思議だった。
そして、村での暮らしはルチアーノに数々の衝撃を与えることになる。
まず、村人たちは竜を恐れていない。
週に一度、村の女性たちがヴァレンティナの元まで竜への供え物を持って行くという。
竜が卵を産む前はヴァレンティナ自身がとりに来ていたそうだが、竜の傍を離れられない彼女のために、わざわざ食料を持って行くというのだ。
なぜ、そのようなことを。そう尋ねたルチアーノに、村長は快活に笑った。
「守ってもらっておる。対価を差し出すのは当然のことだ」
「なにから守ってもらっているのだ?」
「そうだなぁ。竜がおるおかげで、この土地は天気が安定しているだろう。水害や日照りに悩まされることもない。それに、盗賊が出ればすぐにヴァレンティナ様が駆け付けてくれる。これほど心強いこともなかろうよ。中央の騎士たちは高慢で、宛てにならんしなあ」
いわれてみれば、この土地に滞在してから、適度な雨に恵まれている。
降りすぎて作物が傷む雨量でもなく、太陽が元気すぎて作物がダメになるような日もない。
それになにより、誇りをもって働いてきた騎士団が、辺境の地では悪しきように言われている事実にショックを受けた。
「騎士団は、あてにならないのか?」
「なにをいっておるんじゃ。騎士などより、竜のほうがよほど頼りになるわい」
当たり前のことを聞くな、と言わんばかりの言葉に、それ以上の問いは口にできなかった。
村での暮らしは、慎ましやかだけれど、村人たちに笑顔が満ちていた。
彼らの笑みを守っているのが騎士ではなく、竜とその守り人のヴァレンティナであることを、当初は受け止められなかった。
ルチアーノにとって、竜は悪で、その守り人の彼女は、大切な部下を皆殺しにした大罪人であったから。
それでも、村で暮らし、週に一度の供え物の日に村の女性たちに誘われヴァレンティナに会いに行くたびに、印象はどんどん変わっていった。
冷徹な目で、騎士団を圧倒的な魔法で蹂躙した冷血な魔女は、そこにはいなかった。
よく笑い、よく話す。ありふれた村娘がいたのだ。
別人かと思うほど、ヴァレンティナは村人の女性たちの前だと、明るい笑みを見せた。
竜と共生する村の姿は、ルチアーノの考えを大きく変えていくのに十分だった。
明るく笑うヴァレンティナに、少しずつ惹かれていた。
葛藤がなかったわけではない。彼女は大切な部下の仇だ。
けれど、それ以上に。傍にいると心地いいと感じるようになりつつあった。
複雑な感情を抱えながら、村に居ついて半年が過ぎる頃。
王が、竜との契約を破った。
▽▲▽▲▽
ずらりと並ぶ、傭兵たち。彼らを引き連れているのは隣国の騎士団だ。
半年前に同じような光景を見た。ため息をこらえて、ヴァレンティナは杖を構える。
警告はした。契約もした。
そのうえで、踏みにじるというのなら、相応の対応をしなければならない。
「竜との契約を保護にする意味、わかっていないのね」
ルチアーノに刻んだ契約は、口約束でも守る意思を伝えた瞬間に、王にも刻まれている。
今頃苦しみながら命を絶っただろう王へ、無感情に思いをはせる。
以前は国の騎士団が勢ぞろいしていたが、半年では立て直せるはずもない。
隣国からの応援を呼んだうえで、傭兵たちにも声をかけている。
浅く息を吐く。
ヴァレンティナが一人であることをあざ笑う声を聞きながら、彼女は杖を頭上に掲げる。空に大きな魔法陣を描く。
竜の加護を受けているヴァレンティナは、人智を逸した力を持っている。
頭上高くに形成されていく巨大な魔法陣に、敵対する者たちの視線が釘付けになった。
そのまま魔法を発動し、彼らを一掃しようとしたヴァレンティナを、呼ぶ声がした。
「ヴァレンティナ!!」
彼女の背後、村の方角から姿を見せたのはルチアーノだ。
大きく目を見開いている彼に、一瞬、意識がそれた。
ヴァレンティナは竜の守り人だが、戦争の達人ではない。
だから、その一瞬の隙がどのような結果をもたらすのか、理解できていない。
彼女の意識がそれた瞬間、騎士たちが弓を放つ。
それも、彼女ではなくルチアーノを狙った。刹那の判断で、ルチアーノはヴァレンティナの弱みだと判断されたのだ。
目を見開いた彼女が、魔法の発動を止めてルチアーノを庇った瞬間、勝敗は決していた。
ヴァレンティナは守り人だ。戦争の達人ではない。
だから、守護魔法の重要性を理解していなかった。
いつも、敵対する者は圧倒的な魔力で薙ぎ払ってきたから、自分を守ることも知らなかった。
放たれた弓矢が、ヴァレンティナの胸元に刺さる。目を見開くルチアーノの前で、彼女が倒れる。
「ヴァレンティナっ!」
先ほどとは違う悲鳴を上げたルチアーノがヴァレンティナに駆け寄ってくる。
抱き起すルチアーノの腕の中で、浅い呼吸を繰り返す。
「……るち、あーの」
「すまない! 俺のせいだっ!!」
遠くで勝鬨が聞こえる。ヴァレンティナを、竜の魔女を打ち倒したと。
彼女は最後の力を振り絞って、ルチアーノの額に触れた。口の中で鉄の味がする。
焼けるように胸が痛い。息をするのも億劫だ。
回復魔法をもってしても、心臓に刺さった弓矢の傷は癒えないのだろうな、と察してしまった。
回復魔法は万全ではない。
急所を外しているならばまだしも、的確に貫かれた心臓の補修を自身で行えるとは思えなかった。
馬鹿だなぁ、と自分で思う。どうして命を犠牲にしてしまったのか。
エルネスタから貰った大切な命だったのに。
でも、仕方ないのだ。
憎しみを抱きながらも、不器用に笑うルチアーノに好意を寄せてしまっていたから。
彼のために、とっさに身体が動いてしまったのだ。
「どうか……えるねすたを……まもって……」
竜の加護を譲渡する。体からごっそりと魔力が抜けて、ますます死が近づいてくる。
死の足音が聞こえるようだ。
頬にあたる、生ぬるい水滴。
ぼとぼとと落ちてくるそれに、小さく笑う。
「へんな、かお。……わたし、あなた……かたき、……に」
「違うんだ! 君は確かに仇だけれど! それでも、私はっ」
君に、惹かれていた!!
慟哭のように叫ばれた言葉に、ヴァレンティナは笑って目を閉じる。
ああ、最後に、いい思い出ができた。
ただの村娘だったら。彼の隣で笑う未来もあっただろうか。
ああ、でも、ただの村娘だったら、そもそも出会えてもいないのだ。
ヴァレンティナは本来、二百年前に両親と村と一緒に死ぬはずだったから。
その命を長らえさせてくれたエルネスタに感謝している。
彼女に幸せになってほしいと願う。卵が無事に返ってほしいと祈る。
だから。
(どうか、しあわせ、に)
ただ、大切なものたちの幸福を願う。
呼吸が止まったヴァレンティナの笑みは、信じられないほど美しかった。
▽▲▽▲▽
ルチアーノはヴァレンティナの跡を継いで、竜の守り人となった。
彼女を殺した隣国の騎士たちと、追随した傭兵たちを、譲渡された竜の加護をもって薙ぎ払った。
彼女の死体を抱きしめて、憎しみのまま国を焼こうとしたルチアーノを止めたのは、ヴァレンティナが守り続けた竜――エルネスタだった。
「あの王は死ぬ。国は乱れるだろう。お主はどうする?」
「……貴女を守ります。国が滅びようと、私には関係ない。私はただ、貴方を守りながら、墓守をしたい」
ヴァレンティナと部下たちの墓を守るのだ。
ぼろぼろと止まらぬ涙を流しながら告げたルチアーノに、エルネスタは一つ頷いた。
だから、ルチアーノは竜の守り人で大切な人々の墓守だ。
近くの、ヴァレンティナが交流を持った村だけを戦禍から守りながら、静かに暮らしている。
そんなルチアーノの最近の悩みは、やんちゃな竜の子どもの相手をすることだった。
ルチアーノに引っ付いて離れない竜の子は、敬意をもって『ヴァレンティナ』と名付けられた女の子だ。
彼女と戯れる時間は、ルチアーノにとっての癒しだった。
王が死に、国が焼け、それでも竜は生きる。
ルチアーノも、長い時をこれから生きることになるのだろう。
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