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第7話 クークとアルノの料理戦争

その朝、食堂にはふんわりと出汁の香りが漂っていた。


 「おはよう、創真くん!」


 クークが、いつもよりどこか胸を張った様子でスープ鍋を持ってきた。

 耳がぴんと立っているのは、得意げな証拠だ。


 「あ、今日はボクが作ったよー! 創真くん、昨日遅くまで屋根裏片づけてたでしょ?

 だからそのぶん、今日はボクががんばったのー!」


 「えっ、ああ……ありがとう……」


 確かに、昨夜はネムの部屋の隣の物置スペースを整理していて、すっかり夜更かししてしまった。

 その影響で寝坊した僕の代わりに、クークが朝食を作ってくれていたらしい。


 今朝の料理は、どうやらスープ中心のあっさり和風メニュー。

 温かい香りが、眠気をゆっくり押し流してくれる。


 「今日のスープ、ボクの最新発明“味覚増幅ルーン鍋”で煮込んだんだよ! 素材の味が100倍出るの!」


 「えっ、発明品なんですかこれ……?」


 「うん! 今日はにんじんが主役だよ!」


 でも、ひとくち飲んでみると――確かに、やさしい甘みと香りが広がった。


 「おいしい……すごく、やさしい味ですね」


 「でしょでしょー!」


 満面の笑みでしっぽを振るクーク。

 そこに、遅れて食堂にやってきたのが――アルノだった。


 「……スープの匂いが強いな。なんだ、これ」


 「ボクのルーン鍋で作ったスープだよ! 飲んでみて!」


 「……ふん」


 アルノはスープをひとくち飲んだあと、表情を微妙に歪めた。


 「にんじんの味が強すぎる。バランスを壊してる。

 これはもはやスープではなく、“にんじん汁”だ」


 「にんじん汁ってひどいーっ!!」


 「料理に必要なのは“火の扱い”と“素材の厳選”だ。魔道具に頼るから、味が偏る」


 「それを言うなら、素材に頼りすぎるから料理が地味なんだよー!」


 「貴様、私の“極・素材焼き”を侮辱するか」


 「むしろボク以外の人が“あれは料理なの?”って思ってるよ!」


 「なんだと……なら、決着をつけるしかないな」


 「上等ーっ! 今夜、料理対決だよっ!」


 「ふたりとも落ち着いてぇえええ!!」


 僕の声が届く間もなく、二人の間には燃えさかる魔力と筋力がぶつかり合っていた。


 「テーマは何にする!?」


 「“朝食の定番”で勝負しろ」


 いつの間にか現れたリリスが、あくびをしながらそう言い残してソファに沈んでいく。


 「ルールは簡単。夕食時に、みんなに試食させる。それだけよ」


 「オッケー! 負けたら、明日から皿洗い当番交代ってことでー!」


 「いいだろう……私は勝つ」


 「いや、勝負してるの朝食なのに夕食に出すんですか!?」


 「だまれ創真、お前は“審査補佐”だ!」


 「えええええ!!?」


 ――こうして、**シェアハウス史上最もくだらない“料理戦争”**が、突如として幕を開けた。


***


午前十時。

 空気はまだ涼しく、館内には朝日が差し込んでいた。


 でも、キッチンだけは戦場のような緊張感に包まれていた。


 「というわけで、ボクは今日一日かけて“最強の朝食”を完成させるよ!」


 クークが宣言しながら、調理台にいくつもの魔道具を並べていく。

 計量杓、魔力加熱炉、浮遊型スライサー、そして謎のスイッチが無数についた“料理補助球”。


 「創真くん、この中で一番空気を読める調理器具どれかな?」


 「そんなのわかるわけないよ!」


 「じゃあこれにする~!」


 ノールックで選ばれたのは、一番爆発のしそうな形状の球体だった。


 (嫌な予感しかしない……)


 一方のアルノはというと、キッチンの端で静かに火を起こしていた。


 「火起こしから……?」


 「朝食とは、一日の始まり。その第一歩にふさわしいのは、素材の温度を直に伝える“炙り”だ」


 「まだ何を作るか言ってませんよね!?」


 「決まっている。――焼き魚だ」


 「またシンプルすぎる!」


 アルノは木箱から鮮度抜群の魚を取り出し、真剣な目つきで切り身にしていく。


 「火加減は……これくらいか。炭はクークの“爆発かまど”より遥かに信頼できるな」


 「やめて! クークに聞こえたら新しい爆発物作られますよ!」


 実際、クークは奥で「爆発しない爆発炉……矛盾が美しい……!」とメモを取り始めていた。


 (この勝負、予想以上に荒れそうだ……)


 僕はというと、二人からそれぞれ「手伝って!」と呼ばれていた。


 「創真くん、ボクのほうは盛り付け魔法陣の調整お願い!」


 「創真、お前には炭の温度を見てもらう。これは五感で測れ」


 (……同時に!?)


 当然ながら両立できるわけもなく、右腕は魔力制御、左手は炭にかざして熱を読むという謎の作業を強いられることになる。


 (僕、なんで朝から戦場の中央にいるんだろう……)


 そのとき。


 「……にぎやか」


 ふと振り返ると、扉の影にネムが立っていた。

 部屋の隅にしゃがみこみ、クークの“材料の山”をじっと眺めている。


 「ネムさん、どうしたんですか?」


 「食べものの匂い、強かったから。気になった」


 それだけ言って、また静かに黙る。


 でも――そのまま、帰ろうとはしなかった。


 (気になって、残ったんだ)


 この日常の喧騒の中に、ネムが自分から“残る”ことは、実はとても珍しい。


 (ちょっと、嬉しいかも)


 僕は、膨大な調理器具と、焦げかけた炭と、二人の料理バカに挟まれながら――

 少しだけ、やりがいを感じてしまっていた。


***


 昼下がりのキッチンは、戦場の気配をさらに濃くしていた。


 右側――クーク陣営。

 魔導食材を次々に取り出し、あらゆる調理魔道具を稼働させている。

 スチーム式のまな板、光る塩ふり機、自律型目玉焼きプレート。


 「ふふふ……ボクの料理はね、まず見た目が大事! 目で味わい、香りで誘い、最後に味で感動を与えるの!」


 「なんか演出プランみたいになってる!?」


 中央の皿には、鮮やかな色のスクランブルエッグ。

 紫がかって見えるのは、魔界産のピーマンのせいだろうか。

 香りは……スパイスが多すぎてよくわからない。


 「色が強すぎると、ちょっと怖いですよ……」


 「でも創真くん、カラフルなほうが映えるでしょ? 料理っていうのはファッションと同じなんだよ!」


 「それ言っていいのはせめて“服”だけにしてください!」


 一方の左側――アルノ陣営。

 焼き魚の香ばしい匂いが、焦げの一歩手前で漂っている。

 炭火の音が静かに、けれど力強く響く。


 「焼きは、片面三分、裏返して一分半。火を殺さず、焦がさず、引き出す。

 ――これが、焼きの心得だ」


 「なんか真剣すぎて、逆に怖い……」


 彼の皿には、完璧な焼き目の鯖。

 添え物は、シンプルな大根おろしと漬物。それだけ。


 「見た目、地味すぎません!?」


 「余計な飾りはいらん。誠実な味は、語るまでもない」


 「味で語るタイプですか!?」


 僕はというと、両者の試食を繰り返していた。


 「ほら創真くん、味見して味見!」


 「まず私の魚を先に。脂が最も乗っているのは今だ」


 「もう味覚がバグりそうなんですけど!!」


 クークの卵はふわふわしていて、口の中で不思議な香りが広がる。

 でも後味がやけに辛い。なんか、唐辛子入れた?


 アルノの焼き魚は、文句なしに美味しい。

 でも“ザ・朝ごはん”すぎて、逆に“感動が薄い”気がするのは贅沢だろうか。


 「……もう、どっちがどうとか、正直よくわからなくなってきました……」


 僕が膝に手をついてうなだれていると――


 「……」


 静かに、椅子に座っていたネムが、ふたりの皿を交互に見ていた。


 「ネムさん?」


 彼女は、小さなスプーンを手に取り、クークのスクランブルエッグをすくう。


 ひとくち。

 ゆっくり噛んで、飲み込む。


 そして次に、アルノの魚のほうを見た。

 箸を手に取り、骨をよけて、身を少しだけ食べた。


 しばらく無言だった。


 (どっちが好みなんだろう……)


 僕が固唾をのんで見つめる中――


 「……魚のほうが、目覚める味」


 「目覚める!?」


 「卵のほうは……寝る前に食べたかった」


 「なるほど!? なるほどだけど独特すぎて全員黙っちゃいましたよ今!?」


 クークは苦笑しながら頭をかいて、アルノは微妙に頬を引きつらせていた。


 だけど、どこか――ふたりとも満足そうだった。


***


夕刻。

 食堂に、ふたつの料理が並んだ。


 向かって左側、クークの“創造系朝食プレート”。

 ふわふわに焼き上げられた紫色のスクランブルエッグに、トーストのようでいて何層にも重なった魔法生地、

 添えられたグリーンスープには星型の野菜が浮いていて、見た目だけならファンタジー絵本から飛び出してきたようだった。


 右側、アルノの“素材一刀両断・厳選朝定食”。

 炭火でじっくり焼き上げられた魚が一尾、皮の端にまで焼き目が均一に入り、香りだけでご飯が食べられそうなほど。

 それに、大根おろし、炊きたての白米、味噌汁、香の物。


 どちらも「朝ごはん」と呼ぶにはあまりに“それぞれすぎる”料理だった。


 「これ……朝食……?」


 リリスが目元を押さえながら座についた。


 「今日のテーマは“朝の定番”だったはずよ。どっちも……何かしらの概念が跳ねてる気がするけど」


 僕は中央の席に座り、両者の料理を見比べた。


 (どっちも……全然、手は抜いてない)


 クークはあれだけの魔道具を駆使して、慣れない火加減と素材に悩みながら、創意工夫で形にした。


 アルノはあのストイックな表情の裏で、何度も焼きの調整を試していた。

 魚の脂の乗り具合、水分量、炭の種類すら、手書きでメモしていたのを僕は知っている。


 「じゃあ、食べてみましょうか」


 リリスがスプーンを取り、クークのスクランブルエッグをすくった。

 くるりとまわして、ひとくち。


 「……うん、香りの層はかなり複雑ね。魔力スパイス、七種?」


 「八種です!」


 「惜しい」


 次に、アルノの焼き魚。


 箸を入れた瞬間、ぱりっと小さな音が立ち、蒸気がふわりと立ちのぼった。


 「……これは、いいわね。文句のつけどころがない。

 ただし、予想の範囲内すぎて驚きはゼロ」


 「ふむ。驚きが味に必要かどうかは、また別問題だが」


 ネムは黙って両方を見ていたが、やがて静かに手を伸ばした。


 クークの魔法スープから、ひとくち。

 目を細めて、言う。


 「……これは、夢の味」


 「やったー! ネムさんの“ふんわり感想”いただきましたー!」


 次に、アルノの焼き魚を少しだけ食べる。


 「こっちは……目覚めてから、もう一度寝たくなる味」


 「えっ、それって褒めてる? 褒めてない!? どっち!?!?」


 結局、住人たちの評価は割れた。

 リリスは「技術はアルノ、遊び心はクーク」と評し、ネムは「どっちも、あり」とだけ答えた。


 僕は、ふたりの顔を見た。


 クークはしっぽを揺らしながら笑っていた。

 アルノは表情を変えずに黙っていたが、皿の隅で少しだけ炭を崩していた。


 (……勝ち負け、じゃないか)


 それぞれの“こだわり”を、きちんと一皿に乗せて出してくれた。

 それだけで、この日が特別になった気がする。


 僕は、ふたりの顔を見た。


 「ということで、判定は――引き分け!」


 僕が両手を挙げて言うと、クークが「えーっ! せっかく頑張ったのにぃ~!」と耳を垂らし、

 アルノは一拍置いてから、低く抗議した。


 「不服だ。技術において私は完勝していたはずだ」


 「でも彩りとか驚きとか、創意工夫はボクのほうが上だったもん!」


 「料理とは、技巧と魂の勝負だ。光るスープで誤魔化すな」


 「見た目の美しさも愛だよー!」


 「もうやめてくださーーい!!」


 ――騒ぎが一段落した頃、リリスが最後のひとくちを飲み込み、静かに言った。


 「……どっちも、美味しかったわ。

 それぞれの個性がちゃんと“料理”になってる。

 朝からこんなに贅沢な味、私は満足よ」


 そう言って、彼女はふっと笑った。


 「……次も楽しみにしてるわ、料理人さんたち」


 その横で、ネムがぽつりとつぶやいた。


 「……明日も、朝ごはん、ある?」


 僕は思わず、笑ってうなずいた。


 「ありますよ。明日は、僕がちゃんと作ります」


***


夜も更けてきたころ、食堂のざわめきはすっかり落ち着いていた。


 キッチンのテーブルには、空になった皿とグラス、少しこぼれたスープの跡。

 さっきまで騒いでいた住人たちは、それぞれの部屋へと引き上げていった。


 僕はひとり、布巾を手に後片づけをしていた。


 「あれだけの量作ったら、洗い物も倍ですよね……」


 とつぶやきながらも、どこか頬がゆるんでいる自分に気づいた。

 疲れているはずなのに、心の奥にあるのは、妙な心地よさだった。


 スポンジで皿をひとつずつ洗っていく。

 クークの“星型スープ皿”は、内側に魔法陣がうっすらと刻まれていて、洗うと魔力がくすぐったく反応する。


 「……ちゃんと、ひと皿になってたな」


 クークが料理をするのを見たのは、今日が初めてだったかもしれない。

 これまでは発明や魔道具で騒がしくしてばかりいた彼が、

 今日はきちんと“食べてもらう”ための料理を、時間をかけて作っていた。


 「アルノさんも、きっとあれが“朝ごはん”って呼べる最上の一品だったんだろうな」


 彼の料理は言葉が少ない分、丁寧で、真っ直ぐだった。

 無骨すぎて笑えてくるくらい、誠実な味だった。


 僕は食器を伏せた棚を軽く叩いて、ひと息ついた。


 そのとき――


 「……手伝う」


 静かな声がして、振り向くと、ネムが台所の影に立っていた。

 長袖の白い服。すこし乱れた髪。眠そうな顔。


 「……ネムさん?」


 彼女は黙って、濡らした布巾を手に取ると、テーブルの拭き掃除を始めた。


 雑巾が木目をなぞる音だけが、部屋に静かに響く。


 「……ありがとう、ございます」


 僕がそう言うと、ネムは手を止めることなく、ぽつりと言った。


 「……今日の料理、変だった。でも、みんな……顔が、起きてた」


 「顔が、起きてた?」


 「うん。ちゃんと起きてて、動いてた。食べるときって……そういうの、伝わるから」


 僕は、一瞬言葉に詰まり、でもなんとなくわかったような気がした。


 誰かの作った料理を食べて、感じて、笑って。

 今日一日、僕たちは“ちゃんと動いて”いたんだ。


 「……そっか。じゃあ、よかった」


 気づけば、ネムの横顔を見ながら、僕は小さく笑っていた。


***


夜、屋敷の廊下を抜けて、自分の部屋に戻る。

 足音が吸い込まれていくように静かな廊下。

 昼間の騒がしさが嘘みたいに、今はただ“眠りの準備”が進んでいる。


 ドアを閉めて、スリッパを脱ぎ、デスクの上に置いてあったメモ帳を手に取る。


 「……あ、また書きかけのままだ」


 そこには、“買い足す調味料リスト”と、“洗濯槽の排気口点検”、“クークの新作魔道具確認”――そして、

いくつかの項目の横には、小さく「※在庫なし」「※入手場所不明」と赤文字が添えられていた。


「……どこか、ちゃんとした街に行かなきゃいけないかも。


 そんなふうに思いながら、僕は少しだけ天井を見上げた。


 (なんだかんだで、僕……この家でやっていけてるのかもしれないな)


 今日の料理戦争は、めちゃくちゃだった。

 魔法が飛び、魚が焦げ、味覚がひっくり返って、誰かが怒って、誰かが笑って。


 でもそれでも、僕はここに立っていた。

 ご飯を作り、皿を洗い、片づけて、怒って、笑って――


 (なんでこんなに頑張れるんだろう)


 それは、きっと。


 この家が、変で、騒がしくて、不器用で――

 でも、どこか“ちゃんとあたたかい”からだ。


 僕は管理人として、この場所を回してるだけのはずだった。

 けれど今は、少し違う気がする。


 誰かがふざけても、誰かが怒っても、誰かが黙っていても。

 ここで僕が動けば、少しだけ、この家は“整う”。


 そのことが、なんだか嬉しかった。


 (……明日の朝は、味噌汁と焼き魚にしよう。卵焼きも、少し甘くして)


 小さく笑って、僕はペンを取った。

 新しいページに、書き込みを始める。


 「……朝食、準備6時。掃除、午前中に。

 あと……できれば、みんなが笑って食べられるように」

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