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第6話 洗濯機の暴走と逆さまの朝

その朝。

 食堂に入ると、すでに空気がざわついていた。


 「では諸君、私はこれより旅に出る!」


 そう宣言したのは、もちろん――フレイムだった。

 彼は全身を輝くようなコートで包み、胸元をはだけ、風のない室内でマントをなびかせていた(魔法で)。


 「自由とは、束縛からの解放ではない。己の内にある枷に気づき、それを超えることだ!」


 「それ昨日お風呂で言ってたことの焼き直しですよね?」


 僕のツッコミを無視して、フレイムは荷物をひとつ肩に担ぐ。

 中身はどう見ても酒と着替えとよくわからない香油だけ。


 「今の私に必要なのは、熱い風と、風呂と、そして未知との邂逅だ!」


 「つまり温泉めぐりってことですね?」


 リリスがコーヒーを啜りながらぼそっと言う。


 「創真、フレイムの部屋、あとで掃除よろしく。なんかすでに湿気くさいから」


 「ええっ!? 旅立った人にしては扱いが雑!!」


 アルノは特に反応せずパンを食べ、クークはしっぽを振りながら言った。


 「いってらっしゃーい、フレイムおじちゃーん!」


 「皆の反応が軽すぎるよ!?」


 ネムはというと――廊下の隅で、小さな封筒をフレイムに渡していた。


 フレイムはそれを受け取ると、うっすらと笑い、静かに頷いた。

 その顔はいつになく真面目だったが、次の瞬間にはマントを大きく翻して、堂々と去っていった。


 「ではさらば! 次に会うとき、私はひとつ高みに達しているだろう!」


 バタン、と玄関が閉まる音。


 ……静寂。


 「……さて、洗濯の時間ね」


 リリスが当たり前のように次の指示を出してくる。


 「あ、はい……」


 急に現実に戻された僕は、バスケットを手に取り、洗濯室へと向かった。


 だがそのとき、僕は知らなかった。

 この日、“洗濯室の魔物”が目覚めていたことを――


***


洗濯室は、いつものように静かだった。

 朝の光が差し込む窓、干し網に揺れる予備の靴下。

 昨日までと何ひとつ変わらない、はずだった。


 「よし……とりあえず、軽い洗い物から……」


 僕はバスケットを床に置いて、洗濯機のふたを開ける。


 この屋敷の洗濯機は魔力式だ。水を自動で生成し、回転させ、乾燥まで一貫して行う優れもの――


 だったのだが。


 「……あれ? スイッチが……増えてる?」


 ふたの内側。見慣れない“虹色のボタン”がひとつ増設されていた。


 手書きのラベルが貼ってある。


 —


 【クーク式! 超高速アクティブハイパー洗浄モード】


 —


 「……嫌な予感しかしない」


 だが、気づいた時にはすでに遅かった。

 僕が手を近づけたその瞬間、洗濯機が――動いた。


 ウィィィン……バチッ!


 「えっ、勝手に!?」


 魔力陣が光り、洗濯槽が唸りを上げて回転を始める。

 回る回る、異常な速さで!


 「なにこれ!? 速い速い速い速い!!」


 バスケットの中のシャツが吸い込まれた。

 それだけじゃない。干してあった靴下、天井近くに吊るしていたタオルまで――風圧で舞い上がり、次々に“魔力吸引口”へ!


 「ちょっ、あああ!? それはアルノさんの――!」


 ひゅんっ!


 パンツが宙を舞い、見事な放物線を描いて洗濯槽へダイブした。


 「おおおおい!?!?」


 僕はあわててホースを引き抜こうとするが、魔力が暴走していて止まらない。


 「クークウウウウウウ!!」


 その瞬間、洗濯機が“移動”した。


 ――そう。脚が生えていた。


 ガッコン! と床を踏みしめ、四足のような機械足で洗濯機が動き始める。


 「歩いたァアアア!!?」


 ウィィィィィィン!!


 魔力を巻き上げ、吸引フィルターから蒸気を吹き出しながら、洗濯機は廊下へと突進していった。


 「まって、どこいくの!? 屋敷の中はやめてええええ!!」


 僕は雑巾を手にして後を追いかける。

 その先に――新たなるドタバタが待っているとも知らずに。


***


ゴゴゴゴゴゴ……!


 魔力駆動式の足音が、廊下に轟いていた。


 ――いや、足音の主が洗濯機って時点でおかしい。

 僕は叫びながら廊下を駆ける。


 「待ってぇええええええ!! 洗濯機止まってええええええ!!」


 しかし洗濯機は容赦なく進む。

 ウィィィィィンと甲高い音を立てながら、魔力で床を滑るように――いや、歩くように疾走していく。


 魔法陣が下に浮かび、まるでレールのように床をなぞる。

 その速度、ほぼ全力疾走と同等。


 「改造どころか魔改造すぎるでしょこれ!!」


 前方の扉が開いた。

 中から、タンクトップ姿の男が顔を出す。


 「おい、うるせえぞ……って、なんだあれ」


 アルノだった。


 彼が洗濯機に目をやった瞬間、機械の頭がぱかっと開き――

 パシャッ!!


 飛び出した機械アームが、アルノのタンクトップを奪っていった。


 「服を……持っていかれた……?」


 アルノの目が、状況を理解しきれないままに見開かれる。


 そして一拍置いて――


 「……やるじゃねぇか、洗濯機」


 「えっ!? なんか変なスイッチ入ってません!?」


 「戦だ……!」

 アルノが背中を震わせた。

 「貴様、筋肉に挑むとはいい度胸だッ!」


 「違う! それ洗濯機! 筋トレ関係ないから!!」


 アルノは素早く上半身を脱ぎ捨て、廊下の奥へ走り出す。

 その姿はまるで、戦地に駆け込む戦士。


 と、思った次の瞬間。


 「わぁ~~っ! 待ってぇええええ!!」


 後ろから、爆弾みたいな発明を両手に抱えたクークが飛び出してきた。


 「スキャンくん3号が完成したから追いかけにきたよ~~~!」


 「やめて! その子は距離取って!!」


 「ふふ、3号は優しいの! “うちゅうかいろモード”で追尾して、ほしい洗濯物だけを見つけてくれるよ!」


 「その名前のセンスがすでに信用できない!!」


 そのとき――


 バチィン!


 突如、前方の照明が落ちた。


 電球がひとつ、蒸気と熱で破裂したようだ。

 そしてその薄暗がりの中に――


 「……」


 人影が立っていた。


 黒髪、長袖、白い影。


 ――ネムだった。


 彼女は洗濯機をじっと見つめていた。

 まるで、何かの動きに合わせるように。


 その瞬間、洗濯機が突如ピタリと止まった。


 「……え?」


 機械の脚が、その場で固まる。回転音が消え、蒸気も静まる。


 (え? なにこれ……ネムさん、止めた……?)


 でも、彼女は何も言わなかった。

 ただ、洗濯機にゆっくりと近づき、機体の側面を指さした。


 ――そこには、“非常停止スイッチ”と書かれた赤いレバー。


 (めちゃくちゃアナログ!!)


 僕は走ってネムの横に立ち、レバーをガシャンと下げた。


 ウィィ……ン……


 洗濯機の魔力がしゅるしゅると消えていく。


 その場に静けさが戻った。


 クークが爆弾を抱えたまま転がり込み、アルノは無言で床に座り込む。


 「……助かった……」


 思わずそう呟いた僕の耳元で、かすかに声がした。


 「……洗濯機に、足、いらない」


 ネムはそれだけを言うと、ふわりと振り返り、また廊下の影に消えていった。


***


廊下は、静かになっていた。

 魔力の気配はすっかり消え、蒸気も薄れて、空気がゆっくりと落ち着いていく。


 僕は膝に手をつきながら、荒い呼吸を整えた。


 「……やっと、終わった……」


 後ろでは、アルノが黙々とタンクトップを着直し、クークが爆発しなかった3号機を抱えて反省しているフリをしていた。


 「ごめんねー……“本体探索モード”と“捕獲モード”が逆になってたみたいで〜」


 「頼むから二度と作らないで!」


 床には洗濯物が散乱していた。

 脱衣かごも逆さま、タオルは扉に引っかかり、シャツは照明にぶら下がっている。


 ――そして。


 僕は、廊下の奥の天井を見上げて、思わず言った。


 「……あそこに、貼りついてるのって……」


 天井の梁に、アルノのパンツが逆さまにぺったり貼りついていた。


 「……」


 「……」


 誰も、言葉を発さなかった。


 僕は脚立を持ってきて、静かに登った。

 ゆっくり、慎重にパンツをはがして、ハンカチで包む。


 「これ、返しておきますね……」


 「……悪い」


 アルノが真顔で受け取る。


 そして僕は、脚立の上からゆっくりと廊下を見渡した。


 散らかった洗濯物。曲がったラグ。少し傾いた照明。

 すべてが、少しだけ“逆さま”だった。


 だけど、不思議と嫌な感じはしなかった。


 (逆さまだけど、悪くないかもな)


 足を下ろして、もう一度廊下を見渡す。


 騒がしくて、静かで、ちょっとだけ変で――でも、ここが“いつもの朝”なのかもしれない。


 「……ほんとに、逆さまな朝だったな……」


 誰に言うでもなく、僕はぼそりと呟いた。


 その言葉は、誰にも届かなかったけれど――

 壁にかかった洗濯ネットが、ちょっとだけゆれて、ふわりと返事をしたように見えた。


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