第5話 脱ぎたがり古竜、封印される⁈
朝、食堂に入った瞬間、世界が終わったかと思った。
「おはよう、諸君! 今朝は空気が澄んでいる! つまり、この身も澄み渡らねばなるまいッ!」
バサァ!
「おまッ……脱ぐなああああ!!」
僕が叫ぶと同時に、バスローブが宙を舞った。
そこには、**フレイム(中年男性・古竜・脱ぎたがり)**が、悠然と素肌を解き放って立っていた。
肩幅、胸板、謎の筋。すべてが輝いていた。朝日に照らされて。
「ふふ……創真くん、朝というのは、最も神聖な解放の瞬間だよ……」
「神聖でも神秘でもないです! それ完全に公然わいせつ!!」
アルノはパンを口に入れながら一言。
「また脱いだのか、フレイム。朝食より頻度が高いな」
「しょくにくてきだよ~!」
クークがしっぽで顔を隠して笑い転げている。
「……限界ね」
低い声が響いた。
見ると、リリスがスープ皿を置き、そっと立ち上がっていた。
「脱ぐのはいいわ。自由だから。でも、これ以上目に入れられるのは――ムリ」
「リリス君。私のこの身体は芸術であり、光であり――」
バシュッ!!
魔法陣が床に展開され、轟音とともに光がフレイムを包んだ。
「おわぁああああああ!?!?!?!?」
ドゴォォン!!
爆発音とともにフレイムの姿が掻き消え、代わりに床に一枚の焦げたバスローブが残された。
「……」
「……」
「……リリスさん?」
「……やっちゃったわね」
「やっちゃったって何を!?」
「やばいわ。勢いで撃ったら、“蒸気牢封印魔法陣”が混ざった……」
「混ざった!?」
「私も初めて使ったのよ! 思ったよりガチな封印だったっぽいわ」
「ぽい!? ていうか封印!?!?」
「場所は……おそらく“蒸気牢”の奥深く。問題は……」
リリスは顔を少し伏せて、ぽつり。
「……私、解除方法、知らないのよ」
「なにしてんですかあああああ!!」
***
食堂には、バスローブだけがぽつんと残っていた。
「……さて、どうしましょうか」
リリスが他人事のような声で呟く。
「そもそも、フレイムさんって今どこに?」
「おそらく、“蒸気牢”。この家の地下深くにある、気圧式の結界空間。
蒸気と魔力の温泉みたいなところね。半分快適、半分出られないわ」
「出られないのが問題なんですよ!!」
「ちなみに、入ったら自力で出るのはほぼ不可能。魔力転送と封印結界の複合式だから」
「そんなのに放り込んじゃって大丈夫なんですか!?」
「まあ、あの人だし、五時間くらいは楽しんでると思うわ」
「そんな超人的な順応力前提で話さないでください!!」
リリスが椅子に座り直すと、アルノが腕を組んでうなった。
「解除方法……だと?」
「アルノさん、なにかわかるんですか?」
「筋肉で封印を打ち破る方法はあるが、結界空間は物理攻撃を通さない。つまり無力だ」
「つまり、いつも通り役に立たないってことですね」
「効いたぞ、今のは結構刺さったぞ創真」
クークがしっぽを振りながら、机に妙な金属の塊を置いた。
「じゃじゃーん! 解除スキャンくん! 名前の響きがそれっぽいでしょ!」
「何それ初耳なんですけど……」
「押すとね、ピピッてスキャンして、封印が解除される気がするんだよね!」
「願望!!? 完全に願望!!」
クークはお構いなしにボタンを押した。
ブピッ、と音がして、金属球が爆発した。
「うわあああああ!!」
煙が立ちこめ、皆がむせる中――アルノがボソッと呟いた。
「……フレイムより、クークの発明を封印したほう良かった気がするな」
「僕もそれがいい気がしてきました……」
リリスが額を押さえながら、ふぅと溜め息をついた。
「仕方ないわね……創真。あなたのスキル、試してみる価値あるわ」
「えっ、でも僕のスキル、家事系ですよ!? 封印解除なんてそんな……」
「家の内部に作用する魔法構造の解体なら、“具現化家政”の応用で可能性はある。
封印の構成が“内部清掃・流動処理・空間再構築”に近ければ、構造的な解錠ができるはずよ」
「専門用語並べてますけど、つまり“スキルでどうにかしろ”ってことですね!?」
***
「というわけで、フレイムさん――たぶん、“蒸気牢”に封印されました」
リリスがコーヒーを啜りながら、さらっと言った。
「コーヒーでほっと一息.....って、封印ってそんな軽い話じゃないからね!?」
僕のツッコミに、リリスは肩をすくめて続ける。
「蒸気牢。家の地下にある封印結界空間。
もともと私が“暴走対応用”に作ったけど、試運転なしの未完成品よ。
問題児を飛ばして閉じ込める“転送+拘束”の複合魔法。いわば、精神と肉体のミストサウナ」
「さっきも言ってたけど最後の例え、絶対間違ってますよね!?」
「ま、見に行くか」
アルノが立ち上がった。片手には謎のストレッチ器具を握ったまま。
「……湿気は筋肉にくる」
「蒸気牢、完全に間違った目的で捉えてません!?」
「ボクも行くよ~! 解除スキャンくん2号、試すチャンス!」
「1号爆発したばっかりで、もう2号作ったの!?」
「ネムも、来る?」
クークが何気なく尋ねると、どこからともなく「……見るだけ」と、ぼそっと返事が返ってきた。
「じゃあ決まりね。創真、地図と解除の参考資料これ。失敗しても責めないから」
「もう少し責任感ある管理人目指しましょうよ!?」
気がつけば、全員が準備を終えていた。
クークは謎の工具箱を背負い、アルノはシャツを脱いでいた(なぜか全員ノーコメント)。
リリスは杖を持ち、いつの間にかネムが物陰からついて来ている。
「……じゃあ、フレイムの尊厳を救うべく、全員で突入よ」
「フレイム自身ではなく!?」
誰もが自由すぎるが、なぜか歩調は合っていた。
***
地下通路の奥、封印結界“蒸気牢”の前。
重々しい金属扉を前にして、僕たちは立ち尽くしていた。
「さあ、創真。封印解除、よろしく」
「いや軽い!! プレッシャーのかけ方が軽すぎる!!」
リリスは扉を杖でこんこん叩き、さらっと言う。
「この扉、結界式で完全固定されてる。強引に開けようとすれば内部の蒸気が暴走して、封印がさらに強化されるわ」
「強化されるって、難易度上がるんですか!? そんなゲームみたいな仕様あるんですかこの家!!」
「この家は世界設定を無視する生き物よ」
「名言みたいに言わないで!!」
クークが金属球を取り出す。
「じゃあ、まずはボクのスキャンくん2号で結界の構造を調べてみよー!」
「1号爆発したばっかりですよね!?」
球体がカチッと光る。次の瞬間――
ボムッ!!
小規模な爆発が起きた。
扉は傷つかず、むしろ光の紋様が一瞬輝き――
「……ん? これ、さっきより模様増えてない?」
「封印が強化されたわ」
「クークゥゥゥゥ!!」
「だってスキャンって書いてあったもん!」
アルノが唸るように言う。
「筋力をぶつければ……筋肉が届く気がする……」
「いや、届いても何も解決しませんって!」
僕は覚悟を決めて、手のひらを前に出した。
(やるしかない)
「具現化家政!」
スキルが発動。
蒸気吸引・逆流処理・清浄フィルターつきのホースが手元に現れる。
僕はそれを封印装置の魔力管に接続し、流れを読み取りながら、魔力の通路を“逆流”させるようにスキルを展開した。
(いけ……! 流れを反転させて……!)
シュゴォォッ……!
結界がわずかに振動し、紋様が一瞬揺れる。
「……よし、来る……!」
その瞬間、結界の内部から魔力の逆流が起き――
バチィィィィンッ!!
ホースがはじかれ、僕の腕が軽く痺れた。
「っつ……!」
「封印、強化されたわね」
「またぁあああ!? 今の何が悪かったんですか!?」
「結界が“異物侵入”を誤認したのかも。あるいは――“内部にいる奴のテンション”が高すぎて自動強化が発動したか」
「内部テンション連動型って何ですか!!」
「……フレイムさん、絶対中で楽しんでる……!」
僕はホースを握り直した。
今のやり方じゃダメだ。もっと“家事的”に考えないと。
***
「……やり方、変えよう」
僕はホースを一度手放し、深く息を吸った。
この家に来てから、僕は“掃除”や“整える”ってことばかりやってきた。
その中で気づいたのは、スキルは“形”じゃなく“発想”で変化するってこと。
「これって……大掃除だよな」
ただの封印解除じゃない。
これは家の深部に詰まった“空気のよどみ”を、徹底的に“清掃”して整える作業だ。
(やるぞ)
僕はホースを再召喚した。
同時に、両手にほこり取り用のモップと、空気清浄結界用の拡張フィルターを具現化する。
「具現化家政《三重同時構成・クリアリングモード》!」
魔力が走り、手元に3本の清掃器具が揃う。
「えっ、創真くん両手+足で掃除するの!?」
「いいや、片方は魔力制御で浮かせて動かすんだよ!」
「やばい、家政魔法の概念がどんどんかっこよくなってる……!」
僕はモップで扉の接触面を“磨き”、ホースで魔力蒸気の流れを“吸い”、
空気清浄フィルターを通して再放出する。
「よし……もう一度、流す!」
ブォォォォォ……!!
結界の蒸気が揺れた。
魔力のパターンが、ぐにゃりと歪む。
(あと少し……!)
そのとき――
「……そこ、排熱管。詰まってる」
小さな声がした。
振り返ると、ネムが壁の一部を指さしていた。
結界のすぐ右下、排熱処理用の細い管――その出口が、ほこりと結露で塞がれている。
「ありがとう、ネムさん!」
僕はそこに手を伸ばし、清掃ブラシで中をこする。
シャァァァ……ッ!!
詰まりが取れた瞬間、空気の流れが一気に変わった。
「いまだ……ッ!」
僕は三つの道具を同時に操作し、空気と魔力を清浄・逆流・排出させる。
――ズバァァァアアアンッ!!
封印結界が揺れ、全身を包むような光が爆ぜた。
「きた……!」
扉が、ゆっくりと開いていく。
その奥から、湯気をまとった裸の男が、静かに姿を現した。
「――フレイム、再・降・臨」
「服着てえええええええ!!」
僕の叫びが、スチームの中にこだました。
***
蒸気牢の扉が完全に開いた瞬間、場には妙な静けさが訪れていた。
フレイムは、腰に巻いたタオル一枚。
その全身はほんのりピンク色に染まり、湯気をまとってまるで“湯上がりの戦士”のようだった。
「創真くん……君は、私の尊厳を救ってくれた……」
「タオル一枚しか残ってない人に言われると、まったく響かないんですけど!?」
「いや……本当に、感謝している。
この身体が封じられ、結界の中で私が自らの存在と向き合った結果――私は今、ひとつの真理に辿り着いた」
「絶対また脱ごうとしてません?」
「――“解放とは、他者との距離で成り立つ”のだと……」
「名言みたいな顔しないで!!」
クークがぽふっと湯気に飛び込んで言った。
「フレイムおじちゃん、今度は服着て朝ごはん食べてね~!」
「ふふ……考えておこう」
「考えるだけなんですね!?」
リリスは結界の残骸を見下ろし、軽くため息をついた。
「結界の構造、元には戻せそうにないわね。ま、いっか。フレイムの暴走対策は創真がいるし」
「なんで僕に全部回ってくるんですかああああ!!」
アルノは腕を組み、静かに言った。
「……結局、筋肉は封印を超えられなかった」
「筋肉に超えていい限界と悪い限界がありますからね」
そして、ふと気がついた。
ネムが、蒸気牢の扉の影から、ちらりとこちらを見ていた。
ほんの数秒。
けれど――その姿は、確かにそこにあった。
細身の体に、ゆるやかな黒髪。袖の長い白い服をまとい、どこか浮遊するように、地面から少し浮いているようにも見えた。
顔立ちはぼんやりしているのに、瞳だけは、はっきりとこちらを見ていた。
無表情なのに、なぜか“笑っているように”感じられる、不思議な存在。
目が合った瞬間――
ネムは、指を一本だけそっと唇に当てて、
**「しーっ」**と、静かに微笑んだ。
そして次の瞬間、まるで湯気の中に溶けるように――すっと、姿を消した。
(……ありがとう)
心の中でつぶやいた。
あの時の“排熱管の指さし”がなければ、今もここは蒸気だらけだったかもしれない。
地下から戻る途中、どこか家全体の空気が、少しだけ軽くなったような気がした。
(ああ……僕、この家にちょっと慣れてきたかもしれない)
***
朝の光が、食堂の窓から射し込んでいた。
昨夜のドタバタが嘘みたいに、家の中は静かで、あたたかかった。
フレイムはちゃんと服を着ていたし(最低限)、クークは爆発物を封印されたし(物理的に)。
アルノは筋トレの後に筋肉痛でおとなしくなり、リリスは珍しく眠そうな目をこすっていた。
「……なんか、平和ですね」
思わず僕がつぶやくと、クークが食パンをかじりながら笑った。
「平和って、いいよねー! でもたまに、うるさいのもいいよ!」
「君が一番うるさいですからね?」
アルノは黙ってスープをすくい、隣でリリスが欠伸を噛み殺す。
誰も騒がず、誰も怒らず、誰も無理に笑わない。
ただ、そこに居て、朝ごはんを食べている。
(……この空気、けっこう好きかもしれない)
ふと思った。
この家に来たとき、僕には何もなかった。
でも今は、誰かが「おはよう」と言ってくれる。
誰かが何かをしでかして、誰かがツッコミを入れて、誰かがちゃんと見ていてくれる。
不思議と、それが心地よかった。
(スキルを使えることも、便利にされることも、最初は戸惑ってたけど――)
少しずつ。
この家の空気の中に、自分が混ざってきた気がする。
「――あ、そう真くん」
フレイムが優雅に手を挙げた。
ちゃんと服を着ていた(上半身は開いていたけど、もうそこには誰も触れなかった)。
「昨夜、封印から解かれたとき、私は決意したのだ」
「……嫌な予感しかないですけど、なんですか?」
「次は全裸で封印に挑む。そうすれば、真の“自由”を手に入れられる気がする」
「じゃあ一生封印されててください!!」
笑い声がこぼれ、朝の光がゆっくりと差し込む。
誰かがいて、騒いで、黙って、息をして――
そしてそこに、自分がいる。
(……ここ、僕の“居場所”なのかもしれないな)