表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/54

9. 麺処あやかし屋


「おい、大丈夫か? そんな真っ白な顔をして。気を失うなよ」

「は……はい。ありがとう……ございます」


 あの後、庄屋の屋敷には人間の言葉を喋る大きな猪が三頭も現れた。そのうち一頭の猪はとある山の主だと名乗り、弥兵衛が居る店の常連なのだと美桜に話す。


 そうしてそれぞれが美桜と少ない荷物を背中に乗せると、凄い速さで集落を駆け抜けて行く。

 あんまり動きが速いからか、不思議と猪達が走る姿は村人達の目に一切止まらないようで、皆一様にまるでつむじ風が起きたかのような反応を見せるのだった。


「こうして駆ける我らの姿は人には見えぬ。こんなに大きな図体の猪が現れれば、すぐに大騒ぎになるからな」

「不思議です」

「我らはこれまでもずっと、人のそばに居たのだよ。ただ姿が見えぬだけで」

 

 美桜はその不思議な光景を目の当たりにしてそれはそれは驚いたが、それよりも気を抜けば猪の背から振り落とされるのでは無いかと気が気でない。


「さあ、そろそろ到着だ」

「ご親切に、ありがとうございました」


 やっと青峰山の中程まで来た所で、猪は駆ける速度を緩める。集落を出てからここまで、美桜の体感としてはほんの僅かな時間に感じられたが、人間の足ならば数日かかるところだ。


「それにしても、お前はあまりに軽いな。もっと肥えなければ弥兵衛の世話どころか、元気な子を産む事も出来んぞ」

「子……?」


 山の主の言葉に美桜が短く聞き返すと、荷物を背に乗せていた他の猪達が慌てた様子で口を挟む。


「ぬ、主様! それは……!」

「秘密です……っ!」


 急な山の斜面をもろともせず、図体の大きな猪達がドタドタと慌てふためく姿に美桜が目を見開いていると、山の主は「そ、そうだったか」と口ごもってしまう。


「まあ将来はどうなるか、誰にも分からん事だ。いつか誰かの子を宿した時に、その痩せ細った身体では持つまい……という意味だ。母となるには健康な身体が必要だろう。これからは美味いうどんをたくさん食べ、よぉく肥えるがいいさ」

「将来……ですか」

「ああ! ほらほら、あそこに見えるだろう。あれが麺処あやかし屋だ」


 そう言われた美桜が進行方向へと目を凝らして見ると、こんな深い山の中とは思えないほど立派な店構えをしたうどん屋が現れた。

 どうやら店の奥は住まいになっているらしく、少しだけ山を切り開いて作られた平地に建てられている。


「饂飩……」


 美桜の前には『饂飩(うどん)』と書かれた看板が軒下に吊るされている。

 文字が書かれた長方形の板には細長い紙が何本も吊るされ、見ただけで麺類の店だと分かるようになっていた。


 これまで美桜はうどん屋のうどんを食べた事が無い。もちろん集落にうどん屋など無かったし、美桜は町へ出た事が無いので、うどんと言えば家で弥兵衛が打った物や近所の家々でご馳走してもらう物しか知らないのだ。


 どうやら話に聞くうどん屋とはこういった物らしいというのが分かると、美桜は途端に嬉しくなった。

 

 狭い世界しか知らなかった美桜にとって、今日のような新しい体験は非常に刺激的に感じられるのだ。

 そして生まれて初めて目にしたうどん屋は、美桜の目には雪景色のようにキラキラと輝いて見えた。

 

 外まで漂って来る出汁の良い匂いも、いつも食べているうどんの出汁と同じはずなのに、平らな美桜の腹に強い空腹感をもたらす。


「では入ろうか」


 ぼーっとその場に立ち尽くしていた美桜が山の主の声に振り向くと、そこには見慣れぬ三人の男が立っていた。

 顔と身体に赤色の染料で独特の模様を描き、猪の毛皮らしい物を腰回りに纏った男達は、どうやら先程まで巨大な猪の姿だった物怪が人の形に化けたものらしい。


「あれでは店に入るのに大き過ぎる。このあやかし屋に足を踏み入れるには、いくつかの決まり事があるのさ」


 山の主は三人のうち一際逞しい胸を拳でドンと叩いてから、美桜を店内に入るよう促した。

 山奥にあるこの店は大変繁盛しているようで、引き戸の向こうからは賑やかな声が行き交っている。


「こんにちは」


 遠慮がちに声を掛けながら引き戸に手をやり、そろそろと右に寄せると、引き戸はガラガラと小気味良い音を立てて軽やかに開いた。


 するとより一層強いいりこ出汁の香りが鼻をつき、ムワッとした温かな湯気が美桜の頬を撫でる。それがとても心地良い。


 ところが先程までとても賑やかだった店内が、美桜と猪達が現れた途端にシンと静まり返る。

 

 客は全員入り口の引き戸の方へと顔を向け、時が止まったかのように動かない。しかも、うどんを啜っていた者はその姿勢のままで固まった。

 彼らの中には人間に良く似た者も居れば、明らかに異形の者も居る。


 確かにここは様々なあやかし達が集う店のようだ。


「いらっしゃいませ」


 どうしたものかと美桜が山の主を見上げた時、店の奥から若い男のゆったりとした声がした。

 


 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ