四章 十三丁 輪
――不意に痛みが和らぎ、全ての音が消えた。
己の命が尽きたと悟ったが、指先には柄の感触があり、肢体の感覚は何処も失われてはいない。
あれだけの猛光に当てられ、無事であるなどあり得るのか――
現実を受け入れるために薄目を開けたそこには、暗晦な水面が限りなく広がる虚空の景があった。
思いがけない光景に面食らい身動ぐと、足元の水面から波紋が生じ、それは円形に一定の速度で輪を広げ、先の望めぬ暗がりへ消えてゆく。
周囲は夜海の如く闇と凪ぎだけが、半面を分け合いながら存在し、光源を欠く水面に晴れぬ貌をした己の姿が映り込んでいる。
水上は液体であるが地面と同様に踏み締められ、深潭に身体が沈み込む事はなく。水面に突き立てられた五輪王御劔は、力を加えようとも微動だにしない。
柄を握り締めたまま、ネイはその場に固定された様に膝を付いていた。が、ふと足元の水面に、黒い影が射した。
本能的に顔を上げれば――、五体の鬼が取り囲み、いつしか此方を見下ろしている。
直兜 の鬼達は腰の刀に指すら添えず、それぞれが悠揚たる構えでネイを挟み込むように囲い立ち。風貌は面頬に隠され、意匠の異なる武具を鎧う鬼達の体格は 隆々 であるが、兜から覗く角がなければ人と見た目の差異はない。
言葉どころか一切の動きをみせぬ鬼達を、ネイは無為に見上げていたが、突如走った左腕の痛みに声を漏らした。
左方に位置する赤い二本角の鬼は、目で追えぬ速さでネイの前腕を貫き。五輪王御劔から手を放せとでも言う様に、突き刺した刃を捻り激痛を与えた。
前腕を貫き通った朱鍔の刀は黒炎を宿してはいないが、それを扱う鬼の赫角からは、炎が揺らめくような激しい黒気が立ち上る。
深紅の緒を巡らせた 黒甲冑 に身を包むその鬼の気迫は、周囲の鬼を軽々と凌駕している。
五輪王御劔から指が離れれば、全てを失うと直感が告げ。苦痛を味わわされようとネイは強靱な意志で刀を放たず――。
痛みに屈せぬネイに鬼達は鎌首を擡げた。
色相は違えど赫角の鬼と似た角を持ち、その側で直立する鬼は、機動性のある鎧を 瀟洒 に着熟し、見覚えのある深緑の鞘へ指を触れると、ネイの背後に立つ長髪の鬼に視線を移動させた。
さんばら髪を鎧の胸板まで垂らし、砕けた総面から唯一口元を晒す鬼は、薄ら笑いを浮べてネイの背を見詰め、血を見て昂ぶったのか心地よさげに息衝いている。
今にも 狂態 を演じるであろう鬼を諫めるよう即応の構えを一方が取る中。
ネイの右方を制する二人の鬼は依然とも動かず。片方は精悍な体で 直刀 を佩帯し、他方の鬼は堂々たる風格で腕組み、最も上背が秀で。両者共に 厳粛 な佇まいだが、同族の為すことに干渉する様子はない。
折れぬネイに痺れを切らした鬼は、その腕を切り落そうと、一度力を緩めた、が―――。
突然、波紋が足元を過ぎ去り、赫角の鬼は動きを止めた。
再び水紋が流れ、 錫杖 の音が響き渡れば、鬼達は音源である暗闇に首を向ける。
前方の暗がりから発せられる気配に、ネイは総毛立ち。音が近付く度、無に突き落とされる様な、言い知れぬ孤独が深々と染み込んでくる。
腕から朱鍔の刀は引き抜かれ、鬼は血液が蒸発した刃を鞘へ納めた。
刃先が抜かれた傷口は激しく出血し、幾重にも水面に輪を広げ。
その生じた波紋を掻き消して、前方から迫る大輪は大きく繰り返し足元を過ぎ、何者かが近付く気配は、より濃く深く空間を圧した。
錫杖を鳴らす者の姿は闇に秘され、心を禊ぐ様な清らかな音色が 亮然 となるにつれ、身体は小刻みに震え。血と汗を水面に落とし、ネイは前方の暗闇を凝視した。
水面に打ち付ける錫杖の音が間近に迫り―――。鬼達はその場を一歩下がると、闇に深く傅き。一拍の間を経て、錫杖を持つ大男が姿を現わした。
©️2025 嵬動新九
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