四章 八丁 別つ身の再逢
方形に掘削された戸口から、壁を伝ってやって来たのは、腰の曲がった老人であった。
常に喜色満面で白髪を乱し、腕や顔面の至る所に細かなシミが 現出した姿は、服装が整っていようとも穢らわしく。真っ暗な穴から灯りの生ずる空間へ移り、露光した土気色の顔色は、老人の外見をより疎ましいものにしていた。
卒寿間近に迫る 老境 の衰えか、あるいは身体を病んでいるのか。歩く度に荒く息を弾ませ蹣跚と杖を突き。誰の補助も受けずに手摺りまで歩むと、嬉しそうに顔を歪めて身を乗り出し、階下をじっくり眺めいった。
「どぉれ…どぉれぇぇ……小鬼は何処じゃぁ…?」
長い白髭を手摺りから垂らし、目を眇めて階下を見下ろす老人は、御鈴姫の姿を認めた瞬間、病気が消し飛んだかの様に奇声を発して狂喜した。
「何用ぞ、忌まわしい」
当代の男は老人を蔑み、遇らった。
「待ちきれぬでなぁ…! 早ぉう…んふふ! …――打ちたくて堪らんでぇ……!」
台座の五輪王御劔が目に入った老人は、更に興奮を高ぶらせ、手摺りからずり落ちるほど身を乗り出した。すかさず近くにいた男が、老人の襟首を引き寄せ、転落は免れた。
「無駄じゃ無駄じゃぁ…! 儂に打ち直せんものがぁぁ…っ小鬼に繕えるものかぁ…! 早う鬼宿りを拵えようてぇ」
歯の抜けた口元から大量のあぶくを溢し、顔中の皺と目を一体にして破顔する老人に、御鈴姫は密かに声を漏らした。
「黙れ。貴様の勤めはこの小鬼が役目を終えてからだ」
これ以上老人に構う事すら惜しい様子で、当代の男は急き立てるように御鈴姫を睨み付ける。
「早くやれ」
煽られるほど一層御鈴姫は戸惑い、落ち着きなく辺りを見回す。
「…どう……すれば………?」
か細い声を出して狼狽える御鈴姫に、苛らる当代の男は階上の配下達を見遣り。手摺り際に立つ二人の配下が、石像の足元へ移動したのを確認すると、御鈴姫へ非道な一言を放った。
「出来ぬとほざくならば、此奴には死んでもらう」
獣眼の男と見慣れぬ顔の黒装束が、立ち位置を変えた事で、像に凭れ込む形で座り込む男の姿が、階下の御鈴姫にも捉えられた。
ネイは岩壁に背を預けて眠り、腰と手首を拘束する手鎖は、壁に打ち込まれた鉄杭に繋がれている。
血色が戻った顔色を見る限り、黒装束達に手厚く治療を施され、一命を取り留めた事はせめてもの救いであるが、用済みとあらば生かす腹などないのは明らかであった。
裏切られた衝撃と、再び危機を招いた悲しみで御鈴姫は遂にしゃくりを上げた。
「なんで…っ! 私…っ言うこと聞いたのに…っ」
涙を溜めて悔しさを滲み出す御鈴姫を、当代の男は堪えきれぬ様子で嘲り笑う。
「お前を服従させる道具を、みすみす手放す筈があるまい」
男にせせら笑われ、御鈴姫は瞳から大粒の涙を幾重にも溢した。
「貴様が大人しく従えば生かしてやる甲斐もあるものだが……、お前が役立たぬなら――…もう無用ぞ」
当代の男は 涕泣 する御鈴姫を辟易した態度で見下すと、再び階上へ視線を向けた。
主君に指図された獣眼の男は、短刀を抜くとネイの前髪を引っ掴み、露わになった首筋に刃を食い込ませた。
ネイの周囲の岩壁には、液体が激しく飛び散ったような 褐色 のシミがこびり付き、それはここで行われてきた 残虐 を雄弁に物語っていた。
「やめて…ッ!! やめてッ!!!」
獣眼の男へ叫ぶも、男はより暗赤色の刃を首に押し当て、赤々とした一条の血が白肌を伝った。
淀みなく流れ出た血液は存命の証だが、薬を飲まされているのかどれだけ粗雑に扱われようとネイは目を覚まさなかった。
「おぉ!これは有難きものよぉぉ…! 外つ国人で血吸物忌を打つ事がないでぇぇ…………どぉれぇ…!」
血液を見た途端に老人は興奮し、懐から取り出した小振りな短刀を微かに煌めかせながら、よろよろとネイの元へ歩む。
「寄るな、老いぼれが」
貴重な人質に手を出されてはと、黒装束の一人が老人の行き先を遮り、刀で威嚇すれば、老人は大人しく前進を止めたが、誰の打ち物で付け上がっているのだと毒づく。
窮地に陥り、涙も涸れた御鈴姫を、当代の男は嫌に落ち着いた声色で脅迫した。
「掻首となろうが…鬼には事無き、か?」
男の皮肉めいた脅しで、御鈴姫は速やかに台座へ這い戻り。――悩んだ末に、震える手で刀身の断面を覆う。そして固く両目を閉じ、心の内で刀へ頼み込んだ。
©️2025 嵬動新九
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