四章 三丁 禍匣
少女の意識は再び壁を擦り抜け、外部の景色を映し出したが、そこには二人の男が並び立つだけで、下女の姿は既になかった。
槙は会話を終え立ち去ってしまったらしく、下女を探すため辺りを見渡したいと強く願えば、首を動かすように視界は縦横無礙に移動した。
先程は見落としていたが、真四角に掘られた岩盤の空洞に、ぴったりと収まる形で小屋が造作されており、この閉ざされた一軒の箱の中で自分が暮らしている事を、御鈴姫は漠然と思い知った。小屋の外壁には、数え上げるのが億劫になる程の札が張り巡らされ、暗い洞穴の内部に小気味悪く築かれたそれは、禍を封ずる入れ物のように感じる。
視点は少しの間、小屋を見上げていたが、次第に御鈴姫の心には外の世界への冒険心がふつふつと湧き上がり、居ても経っても居られず出口を探そうと思い立った。
当然ながら洞穴に建てられた小屋は坑道と繋がっており、人と空気が十分に通り抜けられるよう天井は山形に、下へゆくほど広がった構造で掘削されている。
坑道の岩壁には、 燭台 が点々と据え付けられ、ぼんやりした蝋燭の灯りは少しずつ間隔を違えながら奥へと続き。その灯りを視界で辿れば、この先に出口があると言わんがばかりに慣れた足取りで坑道を行く、槙の姿があった。
すぐさま追いたいと足を踏み出す感覚で女の背を見据えれば、まるで自身が追い風となったかのように、御鈴姫の意識は下女の真横を通り抜ける。
槙の後をついて行くつもりであったが、己の意思とは反対に、視界は目まぐるしく進み。瞬く間に下女の姿を見失うと、長い長い坑道を打ち吹いた。
やがて古びた開き戸が目前に現れ、このまま行けば扉に衝突する危機感に見舞われたが、痛みどころか一切の感触も生じずに、意識だけがすうっと扉を通過した。
扉の先は渡り廊下となり、野外に造られた吹抜けの渡廊は、夕暮れ時の光の元で木の温かみを増しながら建物の間を橋渡し、迷路のように庭の中を経由する眺めは実に清々しい。
駄々広い庭に花はあまり植えられておらず、目立たぬ隅に山草が気持ち程度繕われたそれは雄々しく女っ気を感じないが、松ばかりの厳かな庭にはよく合っていた。
松を愉しむ心がない者には、如何にも殺風景な庭園に思えるが、園を生まれて初めて見る御鈴姫には、息を呑むほどの感動的風景である。
物ゆかしく思い、じっくり景色を観賞したかったが、意識はそこに留まってはくれず。疾風の様な速度で渡廊を通り抜け、突き当たりの閉じられた引戸を越えると講堂へ出た。
新たな景色を見渡そうと思ったが、意識は有無を言わさず出口となる唐戸を抜け――、やがて表門を過ぎれば、積年の焦がれてやまなかった外景が飛び込んだ。
山塊の背景には美しい黄昏の空が広がり、山の天辺を薄雲がたなざしている。樹葉の間から望む壮景は一幅の絵に勝り、言葉に表せぬ感銘を受けた。
三山の中で特に心打たれたのは、紅葉装う向かいの山で、まさに 錦秋 を表わしたその山は見晴らす者の視線を一手に引き込み。斑紅葉の山光に視界が捉えられた、瞬間。――又しても視覚は動き出し、裾野へ下り、地面の際を滑る情景は村々を越えて突然、長大な石階段を映し出した。
灯籠に挟まれた石段をあれよという間に吹き上がれば、広壮な大門が視覚を満たし、難なくその門を透過すると、動体は急激に速度を落とす。
参拝者を迎え入れるように紅葉が配置された秋麗ららな参道を緩やかに進み。現れた社殿を通り抜け、殿の脇道に添えられた鳥居と滝壺へ降りる木橋を見下ろせる蛇行した山路を行けば、最奥の本殿に辿り着いた。
四つ柱に支えられた本殿の板の間に何者かが腰掛け、近まる毎に輪郭は鮮明に浮かび上がり、間もなく明らかとなったその者の優美な見目形は瞼の裏に焼き付くほど胸を高鳴らせた。
伏せた面差しで座する女の銀色の髪は、床板に清流の如くなだらかに広がり、冷ややかな印象の目元は、ふっくらと控え目な口つきで釣り合いがとれている為、大らかな人柄に思わせる。金色の角を持つ女は、時が静止したかのように表情を移ろわせる事はなく、疲れ果てて俯くその顔は、深い悲しみを宿して見えた。
肌と同様に白みがかった唇を女は静かに動かすと、緩徐に面を起こし、正面に向けたその眼はしっかり、少女の意識と重なった。
鬼女の紅色の瞳が此方を捉えた瞬間、――――意図せずに御鈴姫の意識は引き戻された。
©️2025 嵬動新九
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