三章 二十三丁 えさらぬ危難
――小池の畔にある丸く滑らかな墓石に、少女は一輪の花を供え両手を重ねる。
そして軽快に駆け、別の墓に花を供えては拝むを繰り返す。そうして、庭園に存在する全ての墓に少女は花を手向け、最後に新しく造られた墓へ手を合わせた。
形の異なる石を三つ重ねて積まれた墓は、少女が犬神を埋葬した墓であり、その時の悲しみが思い出され、涙をまた溢しそうになったが気を強く持ち、瞼を閉じて堪え忍んだ。
少女が 合掌 を終えた時を見計らい、若者は座敷から声を掛けた。
「花を供えてくれたのか。喜ぶであろうよ。其方になら尚のこと…」
若者は静かに落ち着いた声色で言い、少女は気が引かれたが敢えて振り返りはしなかった。
屋敷を支える太い 大黒柱 に凭れ、その陰で胡座を搔く若者の姿を少女は一度も目にした事がない。
少女がここに滞在する数日の間、幾度も死角から語り掛ける若者の姿を一目見ようと柱の裏側を覗けば、忽ち姿を消してしまうのである。
そして、隠れ居るまま若者は少女へ助言を授け、知恵や新しい衣服など、屋敷にあるもの全てを惜しみなく貸し出した。加えて必要とあらば、この屋敷をも与えると若者は言う。
何故そこまで協力的なのか、少女は一度尋ねたが、若者はそっと笑い。旅に出たいとだけ、心の内を明かした。
「来るぞ」
穏やかな日々の幕引きを知らせるように、若者は緊張を走らせた。
「今ならまだ逃げられよう。…真に良いのか?」
「はい」
身を案じる若者へ少女は揺るぎない決意をもって答え、しゃんと立ち上がった。
若者の警句通りそれほど時を置かずして、黒装束に身を包んだ男達は現れた。
男達は森の奥地に隠れるこの屋敷を、二十を上回る大人数で取り囲み。龍神寺で争った者達とは顔ぶれが変わり、徒党は異なる輩であるが、同一の装束を纏い、ここへやって来た目的は恐らく同じである。
黒装束達は庭の景観を占領する墓石を、何ともなしに跨ぎ歩み。群小する小さな墓石は踏み荒らされ、大勢の者が足運ぶ振動で、あえなく倒れる積み石もあった。
古色蒼然 とした座敷の障子や襖は全て開け放たれ、仕切りを取り払い、狭い室を繋げれば、広大な空間であると錯視されるよう屋敷は建造されており、その広まった室内を背に少女は座していた。
裏庭を見通せる縁側にきちんと端座し、少女は庭園の八方からぞろぞろと男達がつどい集まるのを静かに待つ。
少女の背後の一室には、2m前後にもなる正方形の巨大な曼荼羅が壁に設えてあり、その掛け軸は所々痛み、絹地に描写された中心の尊像は金泥が剥がれ落ち、何処の神が描かれているのかもはや判別が付かない。が、目にした者に重圧を与える程の威風を放ち。幾重にも尊像を並び囲う数多の神々たちが、少女を護るよう黒装束等を見下ろしているかに感じられる。
まだ少女とは幾許かの距離はあるが、庭を抜け、足場の土が砂利に変化したところで男達は足を止めた。
そして、少女の姿を認めるとたじろう様子を見せ、最前から後方へさざれ波のように騷めく黒装束達を、少女は心を凝らし見据えた。
少女の体躯は一つ歳を重ねて成長し、顎下まで短く切り揃えた髪までも肩に掛かるほど伸び、以前とは異なる様相を呈している。
黒から銀色に変じた毛髪が顔を覆わぬよう、前髪を耳に掛けている事で額にある二本の角は全貌を晒し、先端が少し覗く程度の微少な角は、今や拳大ほど前面に突き出ているため一際男達の目を引いた。
それらと、頬に龍のような純白の鱗が浮かぶ少女の外貌は、とても人とは表せぬ、まさに鬼子と呼ぶに相応しい姿となっていた。
©️2025 嵬動新九
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