三章 二十二丁 彷徨ふ泉下
「疎まれてきたのかぁ? 可哀相にぃ…」
老人は消沈する少女を眉を下げて見詰めると、やにわに背を向け。ひとり来た道をぽつりぽつりと歩き始めた。
「憎み憎まれは人の世の常じゃて。人はこの世に生まれ出れば、誰しも己を恨み異人を恨み…呪いを魂抱へ生きるものじゃ。お前さんだけが各別ではあるまいて」
道を遡りながら老人は、ただ事実を述べるように一言一言情感を込めずに述べた。
その老人の言葉を、少女は自分なりに理解しようとしたが、完全に己のものにするには少し時を要するようであった。
「ちと難しかったかのぉ」
老人は振り返り、大胆に歯を見せて笑う。
「つまりは、其方が生きたいと願うかだ。
命を賭して為したい事があるならば、それはもう主の定めじゃ」
力強く口にする老人の言葉を、いつしか少女は顔を上げ聞き入っていた。
老人を真っ直ぐ見詰める少女の眼差しは光を放ち、暗く靉靆であった瞳には確かに希望が宿っている。
「…――ありがとう、おじいちゃん!」
活力を取り戻した少女は、有り余る元気を抑えきれぬ様子で活発に老人へ尋ねた。
「私帰らなくちゃ!どうか帰り道を教えてください!」
少女の溌溂とした姿を目にした老人は上機嫌に声を上げて笑い、年老いて萎びた人差し指を少女へ向けた。
「ふぉふぉっ、達者でな。手元にあるぞい。落とさんようにな」
旅立ちの祝福を込めるような老人の微笑みは、燦然と暗闇に浮かび上がり、ふと掌に温かみを感じた少女は己の右手を見た。
覚えのある大きな手が少女の右手をしっかり握り、 九泉 を彷徨う頃から感じた温もりの正体を察する間もなく――少女の世界は反転した。
黒暗満ちる星空から、空は陽光輝く晴天へ一変し、その澄み渡る青空を背にして、ネイは宝物のように少女を抱きかかえ、小さな手を確と握っていた。
涙で頬を濡らし、悲しみに打ち拉がれ声を詰まらせて泣く姿を、少女は呆然と見上げた。
「お侍…さま……?」
その声で、はらはらと雫を落とす瞳は開かれ、腕の中の少女を見下ろした。
いつしか少女の身体から流れる出血は止まり、背に刻まれた致命傷は、白糸のような刀痕を残し、綺麗に塞がっている。
死の淵から蘇り、少女の傷が癒えた事を知ったネイは安堵の表情で深く瞼を閉じ、地にへたる身体は遂に倒れ込んだ。
「お侍さま!お侍さまっ!!」
斬瞑天月がもたらした死の火傷から逃れようとも、矢刃によって受けた外傷が消える事はなく。矢傷と腹部の出血は、火傷により抑えられているが、それでも帯を伝い足元の砂地へぽつぽつと血を点じていた。
「しっかりして!死なないで !!」
少女が揺すぶろうともネイは応えず、傍らには見慣れぬ 銀拵 の刀と息絶えた犬神が横たわっている。
頼りとなる者がいないか少女は辺りを見渡すが、無数の墓石が庭園の其処彼処に点在する景色ばかりで、人の気配など感じない。
松や小池が主体となって造成された有り触れた庭園を、一望出来るよう古びた屋敷が池の向こう側に構えられ、手入れがされず老朽した屋根瓦と障子が全て開け放たれた殺風景な空の室内は、人が住んでいない事を如実に訴えていた。
平地である森の一角に造られた庭園の中に少女達はおり、刀を託した鬼女が別の場所へ送り届けた事を知る由もなく、少女は覚えのない場所に当惑した。
――その少女の様子を、庭園の片隅で見詰める若者の姿があった。
優雅な 狩衣 を身に纏い、小池の縁に茂る松の陰に佇む若者の、漂わせる気配は人ではない。
地に横たわる陽光ひかめく刀を目にした若者は、哀愁を込めてそっと息を吐いた。
©️2025 嵬動新九
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