三章 二十丁 彷徨ふ泉下
光無き晦冥に、花や木々が季節構わず咲き誇る。
養分となる陽が差さぬ環境で――梅や椿、菖蒲などの花々は艶やかにくっきりと、その存在を暗闇に浮かび上がらせている。
夜空には星が鏤められ、陽光を大地に 返照 する月すらないが、不思議と辺りは見渡せ。風がそよともしない空間は木々の揺らぎもなく、ただ地を歩く少女の足音だけが、静寂を打ち消していた。
少女が歩く度、額にある小さな二本の角は髪の隙間から顔を出しては隠れ。――そうして角をありのまま曝け出せるのは、誰にも出会わないと思い込む程に、この闇の世界は寂寞として孤独であった。
その空疎な世界をぼんやり見渡しながら、軽い足取りで行く少女の背に受けた傷はなかった。
波打たぬ穏やかな凪の泉には、夜空に不足した月のみが映り込み。その真っ暗な泉に、時々硝子のように透き通った蓮の花が、水面に浮かんでは儚く消えてゆく。
全てが計算され手が加えられたかのような泉の造形は、枯を生かす枯山水を相反するが想起させ。清閑な水際を介して辺りを一望すれば、己を内観し顧みる時を永劫過ごせるように思える。
しかし、美しい情景すら心を惹かず、一定の歩みで泉の前を通り過ぎようとした少女は、不意に足を止めた。
泉の瀕に並べられた巨石の上で、――老人が煙草を吸っている。
釣り糸を泉に垂らし、しんと水面を眺める小柄な老人の後姿に興味を引かれ、少女は立ち尽くした。
岩に腰掛ける老人の背を少女がじっと見上げていると、老人は煙草を味わいながら振り返り、年老いて瞼の下がった目をぱちくりとさせた。
「…んんー? 勿体ないのぉ。お前さんの様ぉな、若くて可愛い小鬼がここへ来るとは」
少女の姿を眺めた後、老人は煙草を消して気の毒そうに呟いた。
老人の後頭部は仙人のように長く後方に伸びており、禿げた頭を隠すためか、頭巾を独特な手法で頭部に巻き付けてある。体躯は少女と変わらぬ程に小さく、腰はつの字に曲がり、その奇抜な姿は何処を取っても人の類いではなかった。
だが相手が妖怪であったとしても、老人に対する恐怖心を少女は抱かなかった。何故なら老人の顔は朗らかで、徳の神様のような穏やかな表情をしていたからである。
「ここは?」
少女は辺りを見渡しながら、岩の上で胡座を搔く老人へ尋ねた。
煙草を懐へ仕舞い、同じく景色を眺めながら老人は少女の問いへ答える。
「 九泉 といってな。死に逝く者は皆ここを通る」
老人は言うと、少女の背後に続く複雑に枝分かれした道筋へ視線を向けた。
少女も従って後ろを振り返れば、松の木々が不規則に茂る間をぬって、彼岸花が咲き誇る斜面の道や、菊の花畑の上に架けられた石橋の道などの、異なる庭園の風景を切り取って繋げたかのような奇妙な景色が広がっている。
その光景を見詰めながら、やはり自分は死んでしまったのか。と、少女の心に多少の陰は差したが、焦りや悲しみといった感情は込み上げなかった。何処か他人事のように、先程まで後ろは平坦な岩の道だったと首を捻る余裕すらある。
「様々な去り人を見送って来たが…迷うておるみたいだのぉ。どれ、儂が送って行ってやろうかの?」
少女の不安な面持ちを見た老人は、針の付いていない釣り竿を置くと、隣りに寝かせてあった杖を持ち、石からぴょんと身軽に飛び降りた。
「ほんと?ありがとう」
心細かった少女は表情を和らげ、少し笑顔を見せると老人へ掌を伸ばした。
その小さな手を老人は握り返し、少女を連れ彼岸花が群生する斜面の道を歩き出した。
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