三章 十六丁 尽る命火
石段の上に血が一滴、また一滴と滴る。
ネイが一歩足掛け、段を上る度に混じりあった二人の血は、石肌へ赤い染みを付けた。
少女の傷は合羽で止血されたが、たっぷりと血液を吸い込んだ布は動く度に血の雫を落とし、一刻を争う事態だが、これ以上の治療が許される猶予はなく。
己の腹部から滲み流れる出血を後回しにしてまで、ネイは逃亡を急いでいた。
――己の処置をしなかったのは、もう意味を成さないからともいえる。
ネイの身体は罅割れが加速し、炭が爆ぜる音が体中から漏れ出していた。
頬を割る亀裂は、風が吹き地を踏み締める度に灰が零れ、また裂ける。
己の命が朽ちゆく感覚を抱きながら朦朧とする意識の中で、少女の命だけは何としても救いたい――その渦巻く感情が四肢に力を与え、少女を腕に抱きしめ、犬神を肩に負い、今にも地に仆れ込みそうな身体を気力で突き動かした。
尽き果てる今際の身体で、千を超える石階段を上り詰め、ネイは大門への到達を果たした。
聞き及んだ通り大門は厳重に閉じられ、四脚門という六本の柱で支えられた山門は、神輿を担いでも優に通り抜けられるほど鴻大である。大門に繋がる外壁すら簡単に這い上れる高さではなく、反りがあまりない緩やかな瓦屋根は上空を遮るほど広壮であった。
人が立ち入らないと云われていた筈だが大門は未だ綺麗で、 龍神寺 への礼拝を拒み、行く手を阻むよう 聳立 する様は衰えを感じず。まるで時の流れを置き去りにしたかのような、希代な雰囲気が漂っていた。
ネイは大門を観せず、迷わずその扉を押した。
しかし、固く閉ざされた大門は、いくら力を注ごうとも軋めく気配すらない。
「開けて…くれ…!頼む…!」
大声を張り上げたつもりであったが声は掠れ。自身の脚で立つ事はもう叶わず、門に身体を預けネイは戸を叩いた。逃げおおせる場所はここ以外なく、例え頼りがあろうとも歩く力は僅かも残っていなかった。
「頼む……っ誰か…!この子を…助けて……っ!」
中に居る者があるのか定かではないが、ここに縋る他なくネイは叫び続けた。
扉を叩く度に掌からは灰が散り、ネイの決死の叫びにも大門は応えず。ただ無情に、命消えゆく二人を見下ろしているかのようだ。
不意にネイの頬に冷えた指先が接した。
頬の亀裂に触れる小さな手を咄嗟に握り、ネイは少女を見下ろした。
意識を取り戻した少女は、微かに瞼を開きネイを静かに見詰めている。
「……私を…おいて……逃げて…」
弱々しく発した少女の言葉が受け入れられず、ネイは大きく首を振った。その拍子に涙が二滴零れ、再び感情をぶつけるよう大門を叩いた。
「あなたを…巻き込んで……ごめん…なさい……」
ネイは首を振り、尚も大門を叩き続ける。
「…生…きて…………いき………」
この言葉が少女の精一杯であった。
全身の力は抜け、涙を流して瞳を閉じた少女の呼吸は浅くなってゆく。
ネイは少女を抱きしめ、冷え切った体温を感じ絶望した。
涙は頬を幾度も流れ落ち、溢れる感情を抑えきれず、弾かれたように狂乱して扉を叩いた。
「頼む…!! 開けてくれッ!! お願いだ…ッ!! ……ッ救いを…!! 一度でいい…!! …っ一度ぐらい…!! 救いを…ッ!!」
無意識に心の丈を叫び、嗚咽を漏らす。
血を吐き出し、全身の亀裂が深まり身を裂こうとも、額を大門に押し付け、打ち叩いた。
不意に額への圧が軽くなり、ネイは動きを止めた。
鈍い音を立てながら大門はゆっくりと、両扉を内側へ開き。空を覆っていた門の切れ間からは、朝の木漏れ日のような淡い光が差し込んだ。
独りでに開いた大門の先には寺院があり、社殿に向かって連立する鮮やかな紅葉が風雅に参道を飾っている――その中心に、木箱を持つ美しい女が立っていた。
©️2025 嵬動新九
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