三章 四丁 通ふ心
青年が帰って来た事で、碧眼の男は刀に触れようとした腕を下ろし、どう言葉を返すか一頻り考え込んだが、やがて首を少し捻ってみせた。
『 まだ難しいか… 』
青年は気を悪くせぬよう男へ笑みを送ると、予め一カ所に集めておいた廃材の山へ歩んだ。
嘗て社殿の一部であった朽ちた木切れのみを寄せ集めたその山から数本の木材を拾い上げ、それらで手際よく焚火を作り、青年は飯の支度に取り掛かる。
身体が満足に動かせない碧眼の男は古書を脇に置き、せっせと働く青年の動きを目で追う事しか出来ず。それを心苦しく思うのか、青年の動作に合わせて首は動き、口は何かを言いたげに微かに開いている。
やがて青年は、焚火を囲って並べた石の上に、食材を大まかに放り込んだ鋳鍋を置き。出来具合を見張る為に鍋の側で腰掛け、やっと忙しなく動いていた身体を休めた。
休息なく働く青年に体を労って欲しかったらしく、青年が腰を下ろせば碧眼の男は安堵の表情を浮かべ、自身の膝へ視線を落とした。
『 doei 』
学殖ある言語を耳にした碧眼の男は、はっと顔を上げ青年を見た。
さよならという状況にそぐわない意味に驚いたのもあるが、まさか青年が異国語を発するとは思いもよらなかったのだろう。その目は丸く見開かれ、驚きに満ちている。
『 お、紅毛人か。意味もわからず試みたが、当たりを引いたようだのぉ 』
男の反応に手応えを感じ、早くも出自を突き止めたと青年はささやかに喜んだが、やはり思い直し、何かが引っかかる様子で首を捻った。そして包帯で保護された指先を顎へ当て、遠目に男の顔をじろじろと観察しながら、半ば独り言のように言葉を続ける。
『 しかし容姿が……幼き頃に見たのは翠の瞳だった…。ふむ… 』
青年の住まう江戸では、外つ国の者とすれ違う事は非情に珍しいが稀にあった。
その異国の貿易商達はいずれも淺緑か茶色の瞳で、赤茶けた髪の者が多く。子供であったため誇張されてはいるが、大木を思わせるほどの立派な体付きをした筋骨隆々 な男達を、青年は鮮明に憶えていた。
男の透き通るような金色の髪と、空を思わせる青い瞳。そして女らしさすらある顔立ちでは、脳裏に焼き付いた過去の紅毛人とは大きく差異が生じ、違和感が拭えぬ青年は更に男をまじまじ見詰め。――暫し考え込んだ後。何かを閃いた表情で、男へ向かってまた声を掛けた。
『 Bom――…… dia?』
手探りな発音で言った青年の拙い異国語にも、碧眼の男は頷いて応え、顔を微笑ませた。
『 ん?これにも応うるのか。南蛮人の言葉らしいが… 』
異人と交易した経験を持つ者達から手当たり次第に聞き込み、国々によって言語が異なる事を知った青年は、先程とは別の言葉を理解した男の様子に首を捻った。しかしまだ偶然の範疇を出ないため青年は懲りずに、次々と当てずっぼうで多言語を投げかける作戦に出る。
『 あの老者は何と申していたか……うぅん……、siー……、muy…bien――……』
また違った言語で、"とても良い"と話す青年に、何か吉事があったと思い込んだ碧眼の男は、機嫌良く首を二度肯けた。
扱う言葉の意味を全く考慮しないまま、青年は匙で鍋を弄りながらも記憶を辿り、頭を過ぎった最後の単語を口にしてみた。
『 Whereー…… am アイ?』
さっぱり会話が噛み合わぬ滑稽な状況に堪えきれなくなった碧眼の男は遂に吹き出し、くすくすと肩を揺らして笑い始めた。男に釣られて青年の顔にも、自然と笑みが差す。
『 おかしいか? 外つ国の者がよく誦すらしいが、どのような意味なのだ?』
束の間二人は笑い合い。
それが良い薬となったのか、乱れた息を落ち着けた男の頬は少し赤らみ、その顔は病人の面相ではなくなっていた。
『 エゲレスに南蛮言葉…全て解るときたか…。参った……、これでは何処の人国の者なのかわからん 』
同調した言語こそ男の母国であると考えていたが素矢を食い。多言語を聞き分け、心から楽しんでいる男を見て、青年は困り顔で眉を下げた。
『 今は異国の者が住まうには折り悪しい。 禁教令ゆえ、罰せられる前に故郷に帰してやりたいのだが… 』
そう言った青年に、男は首を振って答え、壁に寄り掛かる朱鍔の刀を指差した。
『 もうわしの申す事がわかるのか?』
故郷に帰すという一文を理解した事に驚いて目を丸くする青年に、男は頷くと人差し指と親指で何かを掴む身振りをした。
小さいものを摘まむような仕草をする事で、言葉が少し分かると伝えているのだと青年はすぐに察する。
『 ならば わしは白影という。白影 』
自身を白影と名乗った青年は、己の胸に手を当てながら相手が聞き漏らさぬよう丁寧に告げた。そして次に、胸にあった掌をそっと碧眼の男へ向ける。
『 主は?』
青年の名をきちんと理解した碧眼の男は、自身も名乗ろうと口から空気を吸い込んだ。しかし、上手くはゆかず激しく咳き込み。それでも男は諦めず、幾度も懸命に口を動かし声を発しようとするが、甲斐なくも喉から音は発せられなかった。
『 無理をせずともよい 』
白影は落ち着いた声色で伝え微笑むと、折よく煮立った鍋に視線を移し、匙で鍋をかき混ぜる。
『 …ネ…イ 』
耳慣れぬ声に惹かれ、白影は顔を上げた。
その微かに聞こえた声は、か細く途切れ途切れではあるが、思いのほか透き通る綺麗なものであった。
此方を見詰める白影へ、碧眼の男は息を整え、もう一度言葉を発する。
『 ……――ネイ… 』
喘ずきながらも苦労の末に名を明かした碧眼の男、ネイと白影は見つめ合い。――満たされた表情で微笑み合った。
たった一言名乗り合った程度の進歩だが、出会って間もない互いを、この時は何故か深く知れた気がした。
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