三章 一丁 夕景に引き合ひて
雲を過ぎゆく夕光は紫へ色を変え、茜空と交錯した夕焼けの空は美しく何処までも広がっていた。
しかし地を覆う森林は黄昏の入り日を遮り、僅かな夕刻の光のみが森の木々や蘚苔を赤く染め、樹林によって空と地の境界は分けられている。
薄暗い夕陰の森には、悔しくも打ち崩れた木片が散在し、幾年の月日が経過したのか、その木片には茸や苔、カビが至る所に生え腐蝕を促しており。それらの瓦礫屑と苔生した石塊を踏まぬよう、青年はしっかりとした足取りで逢魔が時の刻を進む。
行き先に散らばる砕片は数を増やし、おのずから青年の目前には、朽ち果てた巨大な神門が現れた。
嘗て、魔除けを象徴とする朱色で色取られていたその神門は、傾いた左扉のみ微かに色を残し、巻き付く蔦と地から這い上る苔が、今は全体を飾っている。降雨を凌ぐ屋根は崩れているが、威厳を失わず地に豎立する両扉は、この先にある社殿を護る役割を、未だ堅実に果たしているようだ。
神門へ歩む青年の頬を風が掠め、羽音も立てず一羽の黒鳥が横切った事で青年は不意に足を止めた。
拳大ほどの大きさしかない小鳥は、短い翼をはためかせ。傾いた低木が自由に、そして無造作に伸ばした枝を蝶のように器用に躱す。
嘴や足、全身を黒に着飾り、雀にも鴉の様にも見えるその鳥は――屋根が半壊した神門に止まると、門の上で小刻みに跳ね、身体の向きを変えた。
嘴を此方へ向ける小鳥を見上げ、初めて目にする小禽を物珍しく青年は一時眺めていたが。やがて歩み出し、朽ちて塗装の褪せた右扉をそっと押した。
門は僅かに動き、扉の上部から腐れた木片が剥がれ、ぱらぱらと 今紫の羽織へ落ちるが、青年は構わず。更に力を込め軋む門を押し開ける。
神門の片扉が青年の頭ほど開いたと同時に鳥は飛び立ち。自在に空を飛べるにも関わらず、わざわざ青年が押し開いた門を潜り抜けた。
青年は鳥を目で追っていたが、すぐに力を入れ直し、身体が擦り抜けられる幅まで広げた門を抜け周囲を見渡した。
境内は、更に植物の浸食が進んでおり、好き勝手に伸ばした雑草や木々に覆われ、何処が参道であったのか最早わからない。
水が流れる音に導かれ、青年が其方へ目を向けると、手水鉢の縁に黒鳥はいた。
山肌の岩の裂け目から流れ出る湧き水を溜める為に、石をくり抜いて造られた手水鉢は、経年を得て水に削られ器としての形を失い、苔生した場所を延々水が滴り落ちている。
黒鳥は青年の姿を認めると、今度は轆轤木の枝へ飛び移った。
青年は草を軽く脇に退けながら、不可思議なものを見る面持ちで黒鳥の止まる木へ歩むが、青年が近付く度に小鳥は奥へ奥へと遠のき。他の木々へ飛び移る。
黒鳥の向かう先は本殿であろうか。
青年には鳥が自分を導いているという予感があり、小さな翼で懸命に羽ばたくこの鳥に、己の行く先を委ねる事にした。
森と同化した参道には、崩れ落ちて形を失った石灯籠や殿を思わせる残骸が至る所にあり、それらを脇目にも振らず境内の奥へ進めば、やがて草藪は落ち着き、風は草萊の青々とした匂いから塩の香りへと移り変わる。
頬を撫でる潮風を感じ、ここは海の近くであった事を青年は思い出し、無意識に顔を上げた。
少し高所となった青年の位置からは海が見渡せ、浅瀬には鳥居が地平線へ向かって立ち、水面に浮かぶ鳥居を通して海を覗けば別世界に誘われるような 名状し難い感覚を覚える。
既に夕日は海に沈み、光だけが幾重にも層を成し、名残を残すように空を照らしており、崩れ落ちた本殿が海を半分覆い隠し朽ち果ててさえいなければ、まさに完璧な一場の絶景であっただろう。
夕日から視線を外し、青年は社殿へと向かった。
本殿の敷地内は石を利用して参道を整えている為、煩わしく感じる程には雑草が茂っていない。御社殿の屋根は扉を打ち壊して崩れ、神様が祀られている本殿の内部を曝け出してしまっている。
変わり果てた空虚なその本殿へ、青年が早々と歩を進めるのは。参拝の為でも、本殿の崩壊に心を痛めたからでもなかった。
金色の長い髪を垂らし、崩れた本殿の瓦礫に寄りかかる男の姿を見付けたのである。
©️2025 嵬動新九
※盗作・転載・無断使用厳禁
※コピーペースト・スクリーンショット禁止
※ご観覧以外でのPDF、TXTの利用禁止




