二章 三十三丁 古手屋
ふと色とりどりの、綺麗に並び飾られた帯や簪が目に入り男は足を止めた。
普通ならば年頃の娘が喜び眺めるものだが、男は鮮やかな帯を見て、先程別れたばかりである少女の姿を思い出していた。
金も無く、ぼろぼろの身なりでこれから何処へ向かい、どう生きて行くのだろう。笑顔で手を振り山へ消えた少女の姿が、男はずっと気掛かりでならなかった。
「何かお気に召しましたかな? 贈り物で?」
物思いに耽りながら帯を見詰める狐面の男へ、店の奥から現れた店主が、座布団に腰掛け声を掛けてきた。
その壮年の小柄な男は、客である男の外観を、相手の気分を害さぬよう瞳だけ動かして眺め。男の帯に結び付けてある木版に視線を止めると、目的のものを見付けたという表情で口角を上げた。
「お客さん。可惜夜に響く鈴の音は、また趣があるんでしょうなぁ」
碧眼の男の肩の上で、優雅な鈴音を奏でる犬神を見て、店主は瞳を閉じて感じ入るようしみじみと言葉を続けた。
「今宵こそ玉兎でも眺めながら鱈腹酒を飲みたいもんです」
腕を組み他愛なく言った店主は、愛想の良い笑みを男へ向けるが、古手屋の眼差しは狐面の男を熟視し、そして見極めていると感じられる。
「可惜夜に隠ろふ陽鴉も 趣深い」
男の返答を聞いた古手屋は目の色を変え、猫のように丸く屈めていた背筋を伸ばし、 今方 までへらへらとしていた雰囲気を一変させた。
「先程はお見事でしたな。あの片意地者は、旦那の薬を飲んで安静にしているらしいですよ」
「そうか」
古手屋の言う先程とは、足軽との 悶着 を指しており、金を払わず身分も明かさずに通った男を称賛しているのだろう。だが碧眼の男は、瘧に罹ったあの足軽が助言を聞き入れ、養生している事実が一重に喜ばしく、面の下で微笑んだ。
瘧を治療する薬はまだ確立されておらず、男があの足軽へ渡した薬は、解熱が主な効能だった。その為、身体を労り休息を取る事が一番の薬であり、後はあの足軽の忍耐と天運を信じるしかない。
「病の故は…、村の溜池で増える蚊だろう…。埋め立てるか…塩を混ぜるといい。病は恐らく減る」
人から人へは感染しない病だが、瘧で命を落とす者は多く。蚊が人を吸血する際に、その傷口から病を引き受けてしまうのではないかと男は考えていた。
さりとて病は原因の証明が難しく、病の全容を解明できなければ正確な予防や治療も明確にはならない。 証跡 がなければ、治療法を謳っても疑わしく思われるのが常であり、故に古手屋も男の言葉を信じるとは限らないだろう。
男の予想通り、未解明である瘧の原因を、出し抜けに突き付けられた古手屋は目を丸くさせ、呆気に取られた様相であった。けれどもすぐに、古手屋は丸く見開かれた目元をいつもの下がり目に戻し、深く息を吐きながら口を開いた。
「…なんと有難い」
見知らぬ男の言葉を、抵抗なく受け入れた様子で古手屋は微笑み。深い感謝を噛み締めたその表情からは、どんな不測の事態が起ころうとも、村人の為を一番に思い、行動できる人間であると窺えた。
「あんた何者です? 見知らぬ土地で、そこまでお人が好いと何かと不便しませんか? 先程のように」
古手屋は笑みを浮かべそう言うと、男を労っているのか探っているのか、首を傾げて狐面を覗き見た。
「思い腐さんでください。この村は野心を捨てきれず落ち延びたお武家様も多くてね。金と権威を挙げたい者にとっては、あの触れは少々匂い良く思えるのでしょうなぁ」
言い終えた後、古手屋は胡座を組んだ脚に肘を付き、右手の甲へ顎を乗せると何やら考え込んだ。そして、暫し口を閉じていたが、それほど間を開けず、溜め息交じりに半ば独り言を呟いた。
「それにしても牛鬼なんて古臭い伝説…あんな山中の辺に真にあったとはねぇ…。一体何処から噂が立ったのか……いや違うか…。一体誰が立てたのか…」
思慮に耽っていた古手屋は、考えても仕方がないと気持ちを切り替えた様子で、右横の結界という木製の格子が組まれた机に視線を移すと、散らかった大帳を手際よく纏め、引き出しに仕舞い込んだ。
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