二章 二十二丁 歓喜、消ゆる哭
利吉の傷口から、止め処なく溢れる血液に慌て、気を動転させる漁太は呼吸を乱し、痛ましいほど狼狽していた。
そこへ碧眼の男が、気を落ち着かせる様に漁太の肩へそっと掌を置き。次に、慣れた手つきで利吉の手首の脈を取った。僅かな間だけ脈拍を測ると、今度は利吉の胸に耳を当て心音を確かめた。
漁太には、その行動の意味が分からず、男に友人の死を告げられてしまうのではと、堪えきれず利吉の腕を揺すった。
「起きろ !! 利吉 !! しっかりしろっ!」
意識を失っている利吉が反応を示す筈もなく。このまま友が死に逝くのを、何も出来ずにただ眺めるしかないのだと、漁太は落胆し項垂れた。
「…死んじまう……臓物まで届く傷だ…もう駄目だ…」
碧眼の男は、利吉の胸に押し当てていた頬を離し身を起こした。そして、俯いて涙を溢す漁太へ、はっきりと簡潔に現状を述べた。
「助かる。 臓は無事だ」
利吉の心音と肺雑音を確かめ、碧眼の男は的確に容態を判断し、その男の言葉で、漁太の表情は一瞬にして希望が宿った。
「それは真ですかぃ!? こんな深い傷をどうやって――…あてて!」
興奮して身を乗り出した漁太は、地面に両手を付き、体重を掛けた折りに激痛を伴った右腕を抱えた。
出血が酷く、もたついてはいられない為、碧眼の男は素早い動きで大きな長方形の革袋を、自身の腰から取り外し地面へ置いた。
見た事もない風変わりな形の袋を取り出して、一体何を始めるのかと漁太は男の動きに見入った。
後の世で鞄と呼ばれる長方形のそれは、この時代を生きる者にはまだ馴染みがなく、日ノ本中のどの商店を探そうとも出回ってはいない。
当該の道具入れは、碧眼の男が用途に合わせ、特注で誂えたものであった。
男が厚みのない鞄の口を、手甲の内に忍ばせていた鍵で開け。中にある金具を指先で外すと鞄の四隅は外れ、中から大量の薬品と医療器具が姿を現わした。
長方形の箱型の形状から、一瞬で平らに形を変えた薬籠と呼べる鞄の中には、異国語で書かれた色とりどりの薬包や、布に丁寧に包まれている細く鋭利な金属など、数多の道具が混在している。
医術の知識など からきしの漁太には、どれをどの様に扱うのかが、全く想像出来なかった。
農夫を連れ、碧眼の男の元へ辿り着いた少女は、治療を始めた男の邪魔をせぬよう、静かに利吉と男の正面に腰掛けた。
「行くぜ。付き合ってられるか」
利吉を介抱する一同を、遠目に眺めていた親玉は子分に言うと、梯子を伝い己だけ崖上へ登っていった。
しかし、まだ下に残る子分達は、牛鬼の巨大な角に鋸が通らなかった為、やむなく切り落した爪だけを縄で括り付け、崖上へ引き上げようと奮闘している。
賊達には目もくれず、碧眼の男は薬品を利吉の傷口にかけ、予め灯しておいた蝋燭の明かりを近付け、傷の形状を正確に検めた。
薬品をかけた事で傷口が流され、露わになった 創傷 は、肩から胸にかけ30cm程の長さはあるが、肋骨が内臓を護り、それ以上深くはない。だが、ぱっくりと開いた大形の傷口を縫う事は、些か技術を伴うだろう。
「手が欲しい」
傷口を確認して、自身の片腕だけでは荷が重いと判断した碧眼の男は、右腕を覆う合羽を捲り、片腕である事を漁太へ伝えた。
「無理でさぁ! 腕がいかれちまった!」
腫れた右腕を見せ、利き腕がままならないと訴えた漁太は、少女と農夫へ期待の眼差しを向けた。
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