六章 二十二丁 狂わしき執念
卜部の息遣いは荒く、もはや正常ではない。
口を閉じる事が出来ず、喘鳴を発する喉から血が溢れ、脈々と首を伝っていた。
発汗と、骨が裂けるような手足の痛みが途切れず続き、程度の差こそあれ、同じ苦しみを味わうネイには、どうして彼が立っていられるのか説明がつかない。
それでありながら、卜部は嗄れ果てた声をなんとか振り絞り、他人の身を気遣う。
「引きなされ――…ッ! 手遅れに……なる前に…ッ!」
その警告に、ネイは首を振った。とはいえ強がっても、右目からは脈打って血が流れ落ち、助言に従わねば恐らく取り返しの付かない事になる。
樋造に手拭いを巻き付けてもらった左目も、いずれは毒に晒され、最悪は両目を失うだろう。
「様ぁ見やがれぇえええッ!! お前もぉ目が潰れるぞぉおーッ!!!」
腹の深傷を押さえながら、疫鬼はげらげらと笑いこけていたが、五輪王御劔の剣先が突き付けられれば、肩を跳ね上げて黙り込んだ。
ネイは深く息を吸い込み、足元が定まらぬ身体を奮い立たせて疫鬼へ躍り掛かる。すぐさま卜部も攻めかけ、濛々と毒気が立ち込める戦場を突き進む。
さりながら、卜部の 俊敏さは失われ、ネイは疾に刀を握る力が入らず、柄に手を括り付けて戦いに挑んでいる。
半死半生の肉体を辞さぬ二人の姿は、鬼にとって己の優勢が揺るがぬものだと、挫けた自信を取り戻させた。
「お前等にぃいッ!! これ以上ぉおッ傷を付けられて――」
すっかり慢心した疫鬼は、逃げも隠れもせずに真っ向から迎え撃とうとする。が、いまだ冴え渡る切っ先に、目の色を変えた。
二人は筋力の低下を考慮して、刺突を中心に立ち回り、退勢する動きを補う。更には、鰭に妨げられ 鈍重 な鬼へ、片方が揺動を仕掛けて出し抜き、隙を得た者が一撃を叩き付けた。
「おッ…お前等ぁああーッ!! ふざけんなぁああッ!!! それだけ毒を浴びてぇええッ――どうして死なないんだよぉおおーーぉおッ!!!」
みるみる身体が削られ、平静を失った疫鬼が、壺を割って毒を広げても、二人は攻撃を緩めない。
一歩を踏み締め、刀を突き出す度に、手足は激痛に苛まれ、今や喚き叫ぶ鬼の声すら耳遠く聞こえる。意識が遠のいているからか、無我の境地に至ったからか、目の前の敵を討つ――ただそれのみが、極限を超えた肉体を動かしていた。
両者の猛撃に疲憊しきった鬼は、やがて蹈鞴を踏んで後退り、その好機を敏に察して、ネイは心の臓を、卜部は頸を狙い澄まし、身魂を投げ打ってたたみ掛ける。
「調子に乗るなぁあああッ!!! 飯の分際でぇええーぇえッ!!!」
疫鬼は、残りの壺をすべて宙に放り投げ、尾でそれらを砕き割った。
空中で混ざり合った毒液は、熱を発しながら膨張すると爆発を引き起こし、赤い霧雨となって村へ降り注ぐ。林へ逃げ込んでいた村人達は、危うく難を免れたが、この世のものとは思えぬ激臭に、鼻口を覆わずにいられない。
霧雨に包まれた二人は、毒液が肌に触れた途端に、膝を折って、その場に崩れ落ちた。
肌は燃え溶けるような激痛に疼き、差し込む胸の痛みと共に、気道を塞いで血が溢れ出る。
身体を支えようと手を付いた土の上に血溜まりがつくられてゆくのを、苦しみ喘ぎながら眺める事しかできず、徐々に熱を失う身体が死へ向かっている事を告げていた。
©️2025 嵬動新九
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