一章 蠱獄 十二丁
ほんの寸刻、地揺れが収まったと思いきや、事態は一変する事となった。
耳を劈く笑い声と共に、銀杏の木に隣接した小屋を破壊して、巨大な蛇が突如姿を現したのだ。そして大蛇は、数々の家屋を押し潰しながら20mを優に超える巨体を地中から這い出して、逃げる少女を尾で華麗に捕らえた。
「きゃあああッ!!」
少女の身体は高々と持ち上げられ、為す術のない少女は悲鳴を上げ宙を掻いた。
予想だにしていなかった新手に坂田一行は戸惑い、大蛇の巨体と宙に抱えられた小さな少女を、愕然と見上げる事しか出来ない。
「漸く見付けたぁ!! 見付けたぁ!! 極上の馳走じゃあ !!」
翡翠色の鱗を輝かせ、身を捩り喜ぶ蟒蛇の大笑が通りに響き渡り、坂田達はその声量の大きさに顔を顰める。
「何だと…!もう一匹いたのか…!!」
巨大な蛇を見上げて口惜しげに呟いた坂田の横で、万雷は関心した面持ちで蟒蛇を見上げ、大口を開けて歓声を漏らす。しかし、万雷とは対照的に配下の者達は、人家を遙かに超える蟒蛇の巨体に狼狽え、坂田を巻き込んで後ろへと後退ってしまう。
「で…でかい…!!」
響めき怖気付いて後退する男達と擦れ違いに、鬼面の男は前方へ歩を進める。
蟒蛇の巨体に動ずる事なく、ゆっくりとその巨体の目下へと向かって行く鬼面男に、坂田一同は些か呆気に取られ男の背を見詰めた。
「……イド…」
野衾の口から僅かに発せられたイドと名を呼ぶ声に、喜び湧いていた蟒蛇は雷に打たれたかのように寸秒硬直したが、すぐに身を動かすと巨大な目で野衾の姿を探した。そして捉えた野衾の変わり果てた姿に、蟒蛇は再び身を硬直させ、徐々に全身を震わせる様は衝撃に打ちひしがれて見える。
野衾の胴体は黒炎で燃え滓となり、もはや首は命尽きる間際なのか、目は半分閉じかけている。大きな鼻と口からは血が流れ、何かを伝えようと虚しく口を動かす度に、血が口外へと波打って流れ出る様は、人の生き血を吸いそれを糧として生きていた妖怪には惨憺な最期である。
「すま…ん…すまん…な………。お前…だけ…で…も……ここ……から――………」
言い終える途中で野衾は口を薄く開いたまま果てた。
「片羽 !!」
巨大な目に涙を溜め、何度も野衾の名を叫び、骸へと巨体を滑らせる蟒蛇に坂田一同は驚愕した。それは不意に迫る蟒蛇の巨体に轢き殺される既の所で躱し、難を逃れたのもあるが、仲間の死を悲しみその骸に駆け寄るという意外な行動を目の当たりにした 喫驚 だった。
数々の妖怪と争闘し、それなりに知見がある一同ですらも、この様な仲間意識を持つ蟒蛇の行動は珍しく、野衾の名を泣き叫び、骸を胴で囲い抱きしめる形で慟哭する蟒蛇の様子に、坂田一同はどうにも面食らってしまう。
――当然ではあるが蟒蛇は元来、この巨体であった訳ではない。
嘗て子蛇であった蟒蛇は、子供の悪戯で涸れ井戸へ落とされ、幾日も幾日も飢えと喉の渇きに苦しんだ。
このまま涸れ井戸の中で、命尽き最期を迎えるのだと諦めていた蟒蛇へ、野衾だけが己の食べ残しを、涸れ井戸へ投げ込んだのだ。
そうして蟒蛇は餓死の危機を、日々野衾が餌を涸れ井戸へ運んだ事で生き存える事が出来た。だからこそ、野衾に危険があれば蟒蛇は庇い、無二の友として固い絆で結ばれている。翼が折れ飛べない野衾と、涸れ井戸から抜け出せぬ蟒蛇はこうして幾度も助け合い、共に困難を乗り越えてきた。
いつか共に、この村を出て二人で自由に生きてゆくのだと、幾年も費やし涸れ井戸の中からやっと脱したあの時の喜びを――鬼さえ現れなければ、蟒蛇と野衾は果たすことが出来たのだ。
こうした野衾との日々が、蟒蛇の涙を止め処なく溢れさせていた。
「貴様等よくもッ!! 許さぬ !! 八つ裂きにしてやるッ!!」
怒り狂う蟒蛇のあまりの剣幕に、事情の知らぬ男達は困惑し、ただ落ち着きなく蟒蛇を見上げるのみである。
「その童を放せ。大して腹は満たされんだろう」
蟒蛇の怒声を物ともせず、鬼面の男は涼しい声色で蟒蛇へと呼び掛けた。
「誰が片羽を殺したッ!!? そやつを一番に喰ろうてやるわ !!」
頭に血が上った蟒蛇には、鬼面男の言い放った言葉が聞こえてはおらず、執拗に怒鳴り散らして一人また一人と巨大な瞳で、野衾を殺めた人物が誰なのかを探る。――そして蟒蛇の瞳が、遂に万雷を捉えたその時。
万雷は鬼面男の背を指差し、何かを言いたげに蟒蛇へと目配せを始めた。
それを眺めていた数人の配下達も、万雷に倣って腕を真っ直ぐに伸ばし鬼面男の背を指差す。
赤く腫れた頬を押さえる坂田は、視線の端で捉えたその光景に、一瞬信じられないものを見たという面相で万雷を二度見したが、男から受けた頬の痛みを思い出し、見て見ぬ振りをしてすぐに蟒蛇へ視線を戻した。
「貴様かぁあ…!!」
「ほぅ勘が良いな」
万雷達の誘導で、蟒蛇は鬼面男の目前まで首を下げ、長い舌を振り乱し憎々しげに男を睨む。蟒蛇の鼻息で男の着衣は激しく靡いたが、やはり鬼面の男は動じず、味方に売られた事にも気が付かぬ様子で、堂々と正面から蟒蛇を見詰め返した。
「お逃げ…ください…!みんな…食べられて…しまいます…!」
胴を捕らえられ、恐怖で弱々しく言葉を発した少女によって、蟒蛇は唐突に正気を取り戻した。
友を殺され怒りに我を忘れていた筈が、少女が口を開いた事でその存在を思い出し、蟒蛇は鬼面男から目を逸らし遠ざかると、尾で宙吊りに捕らえる少女へと大口を近付けた。
少女は眼前に迫る蛇の頭から、少しでも距離を取ろうと咄嗟に身を後ろへと引き、恐怖から必死に両腕をじたばたと暴れさせる。
「そうだ…、忘れる所であったわ。――労して手に入れたのだぁ…!」
語り終えてもいない中途半端な状態で、蟒蛇は突如少女を上空へと放り投げた。
少女は悲鳴を上げ、その小さな体は高々と大空へ舞い上がり、やがて重力によって蟒蛇の元へと垂直に落下してゆく。
「まずはこの餓鬼を喰わねばな !!」
己の頭上へと落下する少女を喰らおうと、蟒蛇は真上に首を向け顎を外し、巨大な虚の如き大口で、少女の小さな体が自然と口の中へ収まるのを待った。
大蛇の口内へと落ち行く最中、死に抗う力無き少女は恐怖に体を丸め、両眼を固く閉じ死にたくないとただ願い。そしてその祈りが通じたかのように、少女の耳に微かに鈴の音が届いた。
©️2025 嵬動新九
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