五章 十八丁 定離
水路沿いの問屋街は、青物や魚が盛んに取引され、買い付けの商人や町人で常に活況を呈している。網目状の水運が、多様な品々の運搬を可能にし、江戸の経済を豊かにしていた。
火事の燃え移りを防ぐために道幅は十間ほど開き、様々な暖簾を飾る商店が一直線に軒を連ねる様は、非常に小粋で見応えがある。
街を彷徨く人々は、いつもならささと用向きの問屋を訪ねて、早々にやるべき事を終える筈が、この日はやけに場がそわそわと浮かれ、商人や客らは揃って首を上げ下げ、頻りに通りばかり見詰めていた。
それも、通りを騒がせているのは主に女で。
袴姿で刀を身に着けている武芸者と、芸者の身なりをした少女が、仲睦まじげに歩いている様子を羨望深げに眺め、顔を紅色に染めながらこそこそと、興味本位にその後を追う乙女らは絶えなかった。
周囲のざわめきが耳障りなのか、他の理由があるのかは定かではないが、少女は珠のように愛らしい顔をむっつりと顰めて相手の腕をより胸元へ引き寄せた。
そうして恥じらう様子も見せず、べったりと添い歩く二人を、下品だと貶す者もちらほらと見掛けるが、少女が行き先を指差し、相手が従って進路を変更するだけで、 含羞 の色を浮べながら見惚れる人々は何故か歓声を発し、場を沸かせた。
遠方の煮売り茶屋にて、立ったまま茶を味わう万雷は、通りから視線を外すと坂田へいやらしい笑みを送った。
「若ぁ。羨ましいですなぁ、あれぇ」
人集りからひょっこり目立つ褐髪を、指し示す万雷に気を取られ、坂田は通りへ目を凝らす。
「立花殿か」
さして関心の無い調子でそれだけ言うと、痛む頬を摩りながら再び茶を啜る。
この位置からでは、共にいる少女の器量ははっきりしないが、項の美しさを見ればかなりの麗人であろう。と、勝手に想像を膨らませていれば、少女は一軒の甘酒茶屋を指し、二人は楽しそうに入って行った。
芸者を連れて江戸を遊び呆けるなど、見目の良い男は違うなと侘しく頬を撫でる坂田へ、悪事を唆すように万雷は口角を上げる。
「芸者遊びなど良いご身分ではありませんかぁ。 八乎様も室に閉じ籠もり出でぬのです――…若ぁ、偶にはぱーっと如何ですかな? 金など綱影殿に借り受ければ、何とかなりますぞぉ」
「これ以上 借銭 を増やされてたまるか」
坂田は半眼で言い捨て、思い出したくもない借金の額が、絶望と共に脳内を過ぎった。
その憂鬱に引っ張られるように、去る白影の横顔がはたと呼び覚まされる。
青年が発った後、騒然とした屋敷の様相に気を遣った坂田は、何も詮索せずに場を離れ、こうして時を潰している。
夕刻頃へ戻れば、八乎以外の者は平静を取り戻しているだろう。が、恐らくその頃に仔細を尋ねても望む答えなど得られるどころか、あの場の誰も――本質に気が付いていない様に思えた。
いつしか坂田は湯呑みを持つ腕を膝へ休ませ、時を忘れ考え込んでいた。
その末、己の手に負える疑問ではないと、程よい所で見限り、鳥什丸を呼び付ける。
「鳥什丸」
「はっ!」
予想を裏切る低声に衝撃を隠せぬ坂田は、目を丸くして側で傅く男を見下ろす。
©️2025 嵬動新九
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