一章 蠱獄 十一丁
刀を頭上へと掲げ、上段の構えにて、野衾を迎え撃とうとする坂田だったが、野衾は坂田の頭上に降り立つ事はなく。
眼前に迫った三本の苦内に驚き、身を翻すと不器用に翼を折り畳んで、 急遽 誰もいない地面へと着地した。そして自身の身体から発する霧を止めると、視界を覆う靄の中から迫り来る、鬼面の男を睨んだ。
鬼面の男は鞘に納刀したままの刀を、野衾の喉目掛けて突き殺そうと、刺突を繰り出した。
首をへし折られまいと、野衾は地面を蹴り、男の攻撃を躱し、翼の機動を器用に生かして、隙だらけの左側面から鬼面の男に襲い掛かり。男は、野衾の鋭い牙と爪を鞘で受け止めたが、同じ身幅もある獣の体重と怪力が身体に加えられた為に、男の足は地面を削って僅かの距離後ろに後退した。
そのまま男の喉に噛み付こうと首を伸ばした野衾だったが、鬼面の奥から覗く鋭い眼光に底知れぬ恐怖を感じ、男の身体を飛び退いて距離を取った。
「動けるなど…! 貴様真に人間か…!?」
目を見開き声を上擦らせ、動揺して男へ問う野衾を 一蹴 するかの如く、鬼面の男は腕を突き出し、刀身を真下に下ろし構えを変えた。
「語らう気はない。お前はここまでだ」
男は言い捨て、柄を握る親指で漆黒の鞘を弾き――。
鯉口を切った鞘は、自身の重みでするりと地面へと落ち、刀身が姿を現したと同時に、その刃からは黒炎が舞い上がった。
顔を覆わねば耐えられぬ程の炎の熱に、坂田達は顔を背け、己の腕で吹き付ける熱波を遮って、何とか一同は視界を再び鬼面の男へと戻した。
黒炎は轟々と、刀身そして男の左腕に纏わり炎を滾らせているが、男の着衣は一切燃えていない。
しかし、坂田の耳には何かが焼け、炭が弾けるような奇怪な音が伝わっていた。
「図に乗るな !! 血を吸い尽くしてやるッ!!」
刀を真横に振り、炎を散らして構え直す鬼面の男に、野衾は僅かに怯んだが、負けじと野獣の形相で鋭利な牙を剥き出しに地を駆け、鬼面の男へと襲い掛かった。そして、翼を広げ男に飛び掛かろうとした、その瞬間。
野衾の左頬に、小芋程度の小振りな石が命中した。
差して痛みもない平凡な攻撃だが、野衾の大きな瞳は、石が飛来した方角へ自然と動き。その瞳には、石を投げた姿勢で唇を結び、怒りを浮かべて野衾を見詰める少女の姿が映る。
少女の背後にある、銀杏の根元の裂け目に覆い被さっていた瓦礫は、子供が通り抜けられる程度の隙間のみ脇に除けられ。少女はずっと、銀杏の木の裂け目に身を隠し、野衾との戦いを固唾を呑んで見守っていたのだった。
石に気を取られた一瞬の隙を逃さず、鬼面の男は瞬時に野衾へと距離を詰め、黒炎を散らし一閃の太刀で獣の身体を切り裂いた。
一瞬の攻防に驚愕し、目を丸くする坂田一行と同様に、野衾は目を見開いたまま、その首はもう宙を舞っている。傷口は炎で焼けた為に血飛沫は飛び散らず、ただ茫然と地に落ちるその時まで、野衾は少女を見詰めていた。
「いた………見付けた…ッ!」
掠れた声で、そう切れ切れに呟いた野衾の首は、分かたれた身体とは別々の位置を跳ねて転がり。やがて空を仰ぐ形で静止した首は、赤黒い血を地に染み渡らせた。
野衾を一瞥し、鬼面の男は鍔を固定する切羽と鞘口を合わせ納刀すると、男の腕に纏う黒炎や野衾を焦がす炎は、同時に跡形もなく姿を消した。
「ここから逃げて !!」
戦いが終えたと誰もが気を緩め、一同が刀を降ろしたのも束の間。少女は小さな身体で、持てる有丈の力で一同へと叫んだ。
周章狼狽 する少女の徒ならぬ様子が理解出来ず、唖然と少女を見詰めていた坂田達に、体を失い絶え絶えである筈の野衾の勝ち誇った笑い声が吐き捨てられる。
「やれぇ…!! 喰らい…尽くせ…ッ!!」
天を仰ぐ野衾の首は、口から血潮を吹き渾身の力で天へと叫び。――その突如、示し合わせたかのように地揺れが起こり、影響された辺りの家屋が小刻みに揺れ始める。
何かが這うようなおどろおどろしい轟音は、地揺れと共に一同の元へと忍び寄り、すぐ間近に迫って来ているかに感じられた。
©️2025 嵬動新九
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