五章 十六丁 故縁の客人
―――問屋街から外れたとある屋敷町は、立派な佇まいの門構えがずらりと軒を揃えている。徳人ばかりが住まうここは特に家格に手を抜かず、全ての屋根が庶民には許されぬ瓦葺きであった。
しかし、財を誇示するこれらの家々を、たった一軒の長屋門が目劣りさせている。
長屋を表に、その中心を切り抜いたように門を据えるこの長屋門は、防御に優れ、門の両脇の居住空間に家来を住まわせられる事から、武家が多用する様式であった。
黒を基調とした板張りの壁は周囲よりも高く、儼乎たるも洗練された門構えが、一帯の家並みにやや溶け込んでいない。
その門戸を潜り、坂田は中へ招き入れられたが、そこから玄関口で案内役が来るまで待たされ、履物を脱いで式台を上がらねば、まだ来訪を許された心地はしなかった。
坂田の面持ちが晴れぬのは、一向に屋敷内へ招かれぬ気疲れではなく、軍議にて顔を合わせた一人の同士を思い、惻隠の情からくるものであった。
「卜部殿はまだ…、囚われておいでなのか…」
憐れむ坂田の独話に、退屈でいられぬ万雷はすぐに反応する。
「相も変わらず卜部殿ばかり贔屓致され、面白うありませんな。 写し身で軍議に参加できるなら、皆そうすればよいものを。 儂らは労をかけてここまでせかせかせかせかせかせか…」
「やめろ。その様な…不平を溢したのではない」
江戸に出向かず、九条の 術式 で軍議に参加した卜部を、羨んでいると思い込んだ万雷は、同感とばかりに大声で不満を吐き出した。
余所の玄関口にも関わらず、遠慮なく発したその声が、屋敷の者に届いてはいないかと、坂田は周囲を気にする。
「ははぁー…ならば妬みですな? 席番くらいの事で腹を立てていては、亡き公時様に笑われますぞ」
「黙れ。 一々祖父上の名を出すな」
子供を茶化すような言い種に、次第に苛立ってきた坂田は万雷を睨む。
軍議の際、長に最も近い上座の席は、本来ならば坂田が位置する筈であった為。己より位の低い者に座席を奪われ、へそを曲げていると勘違いを続ける万雷は、まだまだ未熟者だというように厚かましく説教を始める。
「碓井殿直々に指南を受けた並び無き武人ですぞぉ。 そんな秀才を格別に扱うのは、致し方ない事では?」
「そんな事はわかっている。あの方には守禦領を離れ難きご事情があるのだ」
万雷とは、こうした認識の齟齬はよく見られる事で、もはや面倒、会話を締め括りたい坂田は、軍議の本質を万雷へ叩き付けた。
「言えば元より、軍議に意味などない。 綱影殿が便りを手際よく集める為、鳥什丸を一手に帰還させる口実に過ぎん」
作戦を伝え合うのは書簡でこなせる事から、軍議は仲間の顔合わせくらいのものであり、幕府への忠義を示す側面もあったと坂田は語る。
それを聞いた万雷は、旅路での苦労と、摂津から要した旅費を思い、絶叫する。
「なにっっ!!? では我々の路銀はっ!!? そんな事のためにっ!!」
「うるさいッ!!! 先程から斯様な事を、綱影殿の屋敷で叫ぶなッ!!」
上がり口で騒ぐ万雷を、坂田がついに一喝すれば、玄関の板間に丁度案内役が現れ、二人は咄嗟に身を引き締めた。
そんな坂田らの様子を、くつくつと笑いながらやって来たのは小柄な老婆で、腰は曲がっているが、しっかり纏め上げられた髪と、乱れのない着衣には気品が感じられ、包み込む様な朗らかな顔立ちに、不快を示す者はいないだろう。
「お待たせ致しまして、申し訳ありません」
てちてちと、土間へ辿り着くまで少々時はかかるが、左右に控える少年等の手を借りずに、老婆は坂田の目前まで歩み、深々お辞儀をする。
老婆の姿を見るや、坂田の面相は瞬時に穏やかになり、嬉しそうに微笑みを向けた。
「久しいな、きぬ。息災で何よりだ」
懐かしむ坂田の言葉に、板間で膝を付く老婆はにっこりと顔を上げ、目の前の若武者をしみじみと、隅から隅まで愛おしそうに眺める。
「有難きお言葉に御座います。 若様の御立派なお姿を、この目で再び見ゆ事が叶うとは…このきぬ――、 感無量に御座います。 長生きはするものですね」
世辞ではなく本心であると伝わる事がこの老婆の魅力で、思い出と変わらぬ姿に坂田は安堵と苦笑を浮かべる。
「またその様な事を…。 此度も世話になる」
感動を胸に収めた老婆は、両袖に隠した指先を差し出した。
他家へ上がる際に、脇差しや短刀以外の刀を預けるのは、必ず行う礼儀であるため、坂田は促されるまま黒鞘の刀のみを手渡す。
鞘に指先が触れぬよう袖で上手に受け取ったきぬは、すぐ真横の小部屋へ移動し、壁に設置された刀掛けの一つに、預かったそれを丁寧に飾る。
続いて万雷の得物を仕舞い込んだ少年は、老婆が部屋から出るのを確認すると、厳重に鍵をかけ、改めて坂田に頭を下げた。
「どうぞお上がりくださいませ。 このきぬがお座敷まで案内致します」
きぬは二人を歓迎し、一連の礼式を終えた坂田と万雷は、漸く屋敷へ上がる事が叶った。
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