一章 蠱獄 十丁
「化物め…! 村人を何処へやった !!」
声を荒げ激昂する坂田へ、野衾は気味の悪い笑顔を浮かべ、足だけで幹にぶら下がり、逆さの姿勢のまま大袈裟に口を拭う仕草を始める。
「喰ろうたに決まっているだろう。 貴様の従者も美味かったぞぉ。 久々の馳走だった」
野衾の衝撃の一言に、一同は揃って口を開き、はっと息を吸い込んだ。
仲間を失った事実に泣き出し取り乱す者は一人もいないが、 驚愕 に立ち尽くす男達の顔は徐々に怒りに歪み。野衾に隙を見せぬよう気丈な姿を保ってはいるが、男達の心に傷を負っているのは明らかだった。
「おのれッ!! 私の仲間を !!」
坂田の体は更に怒りに震え、憤激を宿した眼力で野衾を睨み付け、刀を構える坂田にもう隙はない。
主の赫怒に同調した配下達は、坂田の周囲を隙間なく囲い、素早く陣形を組み直した。そして、その陣形の一番前に躍り出たのは、やはり万雷である。
「まぁ互いにこの結界から出られぬ身だ。 諦めて餌になってはどうだ?」
逆さを向いたまま笑みを浮かべて言い放つ野衾の挑発に、坂田は殺気立ち歯牙を見せる。
その様子を更に愉快だとばかりに野衾は顔を歪ませ。両翼を広げ全身の体毛を逆立てると、起き上がった体毛の隙間からは薄緑の煙が、まるで山の木々から立ち込める霧のように一同に降り注いだ。
「ふざけるな !! 貴様はここで我等が斬る! 人を喰らった罪を贖え !!」
坂田の怒号を心底つまらないという面様で、野衾は坂田を見下ろすと、羽を畳み、いつでも飛び立てるよう前足の爪を木に突き立て、威嚇の姿勢へと変えた。
「つまらぬ事をほざく。まずは貴様から生き血を啜ってやる」
姿勢を後ろへと引き、今にも飛び掛かり襲い来るであろう野衾に警戒する一同だったが、刀を地へと落とす異様な物音に、一同の注意は不意に逸れた。
一同の視線は音の出所である、坂田の後方を護る仲間の一人へ注がれ、戦いの最中でありながら男は、確かに刀を地面に落とし膝を付いている。額には冷や汗を滲ませ顔を苦悶に歪めるその男は、必死に歯を食いしばり落とした刀を拾い上げようとするが、指が強張り上手くは行かず、体を保つので精一杯な様子だ。
見るからに体調を崩した仲間を助け起こそうと、隣にいた仲間の一人が男の肩に触れたその横で、また一人。仲間が呻き刀を落として地に膝を付けた。
これらを皮切りに膝を付く仲間は二人の男に留まらず。続々と坂田の配下達は地面に崩れ、一様に苦しみ呻き声を上げ始める。
そして異常は年嵩な古兵だけに限らず、年若い少年にも訪れた。
地面に膝を折る事なく、しっかりと両足は身体を支えているが、仲間と同様に冷や汗を掻き、少年の左腕は小刻みに震えている。鳥什丸は不調をきたす仲間達の容態と、自身の指先を眺めて眉根を寄せた。
「何だ…? 身体が痺れる…!」
呟いた瞬間、鳥什丸は不意に顔を上げ、事の重大さを訴える眼差しで坂田を見詰めた。
「――まさか…! 毒霧か! 吸うな !!」
鳥什丸の視線と、震えた指先を見て咄嗟に悟った坂田は、配下達に口を覆えと命じた後に、自身も素早く首巻で口元を覆った。
坂田の命令通り、配下の者達は己の身に着ける首巻で口を覆うと、痺れて動けない者達にも手早く同様に施した。仲間が全員覆ったのを確認した鳥什丸も、腰に巻く市松模様の布を器用に帯から外すと口元を隠した。
誰もが毒に蝕まれ怯む中、万雷だけは首巻で口元を覆う事はせずに、仏像の様に口を固く閉じ、両腕で力強く薙刀を構えた姿勢で、瞬きも行わず鋭い眼光で野衾を睨んでいる。
万雷の臆する事のない気迫を垣間見た仲間達は、毒で痺れる身体を奮い起こし姿勢を正すと、次に来たる野衾の攻撃に備えた。
毒が身体に回るのを待っていた野衾は、口から涎を垂らし、餌を待ち侘びる目付きで一同の様子を眺めていたが、尾を立てて更に後ろに身を引いた様は、漸く一同を狩る段取りが整ったようだ。
「もう遅い。貴様ら皆、ワシの腹に入ったも同然だ」
甲高い笑い声を発して、翼を広げ銀杏の木から飛び立った野衾は、毒霧を撒き散らし、坂田を狙い急降下する。
野衾の左翼は歪に折れ曲がり、右翼のみで浮力を保つ不格好な降下だが速度はあり、傾いた身体は正確に坂田の頭上へと迫った。
©️2025 嵬動新九
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