四章 十五丁 輪
身体から立ち上る蒸気は消え、うかうか出来ぬと首元に縋り泣く御鈴姫を抱きかかえて立ち上がれば、あらぬ方角へ吹き飛ばされた五輪王御劔の鞘を目当てに周囲を見渡した。
当代の男の足元に転がる鞘を拾い上げた事で、男は身を縮めて怯えるが、ネイは危害を加えず出口へ一目散に駆け出した。
その背を男は呆然と見送っていたが、次第に恥辱を受けたと腸が煮えくり返り、走り去るネイを指差し、一方的な罵声を吐き捨て仲間を呼び集める。
捲くし立てる男の激語は、殆ど言語としての形を成していないが、金堂に向かう足音は早まった。
しゃくりを上げる御鈴姫を抱き直し、崩れた外壁の山へ手を掛けると、ネイは息をつかずに 急登 する。
桟唐戸は倒壊した一部の外壁に押し潰され、積み重なった残骸はそれなりに高さはあったが、不思議と身体が軽い為、それほど労せず瓦礫の山を登り切れた。
そして、壁の空から堂外へ抜ければ、折り好くも渡廊の屋根上へ出ていた。
複雑に建造物を経由する廊下をどう進めば出口にありつけるのか――。
龍の破壊は堂外にも及び、建物の上半ばかりが食い散らかされた景観は、もはや戦跡と呼べるほど壊滅的であったが、渡廊や低層のものはそれほど損壊を受けてはいない。
高所から見下ろす景色は、明々白々に求むる道筋を表わし、ネイは咥えていた刀を腕に持ち直すと、即座に森の方角へ走った。
「上にいるぞ !! 追えーッ!!」
瓦礫に塞がれ金堂に立ち入れず、渡り廊下で足止めを食う兵達の頭上を走り去った事で、逃走に勘付いた者達は屋根上のネイを追い、屋根目掛け槍を突き刺す。
足元に飛び出した穂先を躱し、下り階段に差し掛かれば一気に兵達を引き離せると意気込んだところで、急に身体が疲労を思い出したかのように、前屈みに崩れた。
そのまま転倒した勢いで、下り斜面となる渡廊の屋根上を玉のように転がり、長大な廊下を一気に下る事となる。
水平に戻り、屋根上に足が飛び出した状態で踏みとどまれ、中庭へ転落せず追っ手との距離も幾許か得られたのは幸運だが。御鈴姫を庇うあまり身体の其処彼処をぶつけ、節々に走る痛みにより速やかに立ち上がることが出来ず。追走する黒装束達が差し迫った頃に、漸く上体を起こせた。
身を案じた御鈴姫が顔を上げたが、ネイは中庭から五人の射手が弓射る危険を感じ、身を伏せて回避すると、どうにか屋根上を伝って逃げる。
「逃がすぞ !! 追えッ!! 追えーーッ!!!」
口々に兵達は叫び、矢を射掛けられ、それらを回避せねばならない状況だけでも手に余るが、屋根上に二人の男が這い上がり、退路を塞ぐよう立ちはだかった。
御鈴姫を抱えては刀を抜けず、どうにか突破口を開こうと苦心するネイの耳に聞き馴染んだ声が届いた。
「お~の~れぇええ!!!」
刀を抜いたと同時に、男等は背後から足首を強打され、蹌踉めいた二人は少し傾斜のある屋根上を滑り落ちた。
斬瞑天月の鞘で襲撃者を打ち倒した犬神は、口に咥えた鞘をかなぐり捨てネイへ突進する。
「狛――」
「お前かぁああああッ!!!」
再会を喜び、笑顔で迎え入れたネイの肩に犬神は噛み付く。
「よくもぉおお !!! よくも生き埋めにしおったなぁあああ !!!」
予想だにせぬ急襲に、ネイは痛みに悶えるが足を止める訳にはゆかず。頭上を掠める矢と足元を狙う槍の猛攻から逃れるため、犬神に食らい付かれたまま屋根上を駆ける。
「ワシが何より埋められる事が嫌いだと知ってて貴様ぁあああ !!!」
肩に牙が沈み込む激痛に、ネイは涙を滲ませて耐え、手荷物が括り付けてある斬瞑天月の鞘を拾い上げた。
「に、荷を取り戻して偉いぞ!」
「はぐらかすなぁあああ !!!」
荷を確保した犬神を労いながら別の渡廊の屋根へ飛び移ったネイを男達は必死に追い。息も上がり切り、折れる膝をなんとか奮い立たせ、ネイは限界を迎える肉体を前へ動かした。
犬神は多少の鬱憤が晴れた様子で、ネイの肩に収まり前方を見据える。
「喉元食らい付いてやりたいが後にしてやる! とにかく下れ! 門はすぐじゃ!」
次々とネイは渡廊を飛び移り追っ手を攪乱させ、犬神の助言を信じ、只管に下り廊下を選んだ。
しかし、不意に追跡が和らいだ様に感じ、後ろを振り返る。と、追っ手の半数以上が猛追をやめ、動じた様子で金堂へ引き返して行く。
何か徒ならぬものを感じたが、これを好機と捉え、崩れた講堂を這登り、表門を目指した―――。
©️2025 嵬動新九
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