四章 十四丁 輪
纏わり付くような冥暗を滑やかに抜け出す大男は、袈裟を省き法衣のみを身に着けた格好で、肩幅にまで達する三度笠を深く被っている。
つばは真下へ向かって折れ曲がり容姿を遮るが、少し見える顎先と袖から覗く色白の肌は雪を思わせ、歩く度に荒々しく毛先を散らす癖髪も、闇を祓うような銀色をしていた。
腰にとどく長髪を揺らしながら、一歩一歩堅実に歩む大男は異様な闃を発し、容易ならざる鬼だと感受した身体は、警告を発するように震えを強め。
力の抜ける指先をネイは必死に握り直し、己を保つよう目前で足を止めた相手を真正面に見据えた。
下から仰ぎ見た鬼は、ネイの体格を優に凌ぐ雄偉な肉体を持ち。
俯いた鬼の全貌を捉えようとした瞬間、―― 錫杖 が水面に軽く打ち付けられた。
水面を突いた錫杖から波紋は生じず、まるで天地が覆ったかのように星の数ほどの水滴が宙に浮かぶ。
一瞬で辺りを雨景色に変えた水玉は意思を持つように、片膝を落とし首を垂れる鬼々を躱し、上へ上へと緩徐に上昇してゆき。
つつ闇の空へと上る雫は血を含むもののみ、腕の傷口に纏わり付いた。
ひやりという感触を残し、水滴は次々と刺傷に吸い込まれ、やがて拭い去るように外傷は消えた。
鬼が傷を癒やした事に驚き、咄嗟に顔を上げたネイは男の容貌を確かに捉えた。
その瞬時に、錫杖が強く打たれれば、浮遊する雫は時を止め。瞬きの間に舞台が移動したかの様に、ネイの視界は荒れ果てた堂内を映した。
あけぼのの空から差し込む曙光が、破損した外壁の隙間から内部の残骸を柔らかく照らし出し、建物は巨大な穴を数多生み出した状態で崩壊を止めている。
破壊の元凶である白銀の龍は姿を滅し、空間を覆う炎光すら 幽燭 も残さず消え失せていた。
ネイは瓦礫の残骸に入り交じるように、仰向けに転倒した状態で座り込み。
剥がれた皮膚は癒え、全身から湯気を昇らせながら、変わり果てた堂内の様相を茫然自失として眺め、首元に縋る御鈴姫の啜り泣く声が、心あらず上の空で耳を通り抜けた。
先の出来事に意識はまだ囚われ、鬼との邂逅の記憶を手繰るが、映像を切り取られた様に何も思い出す事は叶わず、 釈然 とせぬ違和感だけがもどかしく心に残った。
「……ふ…ざけるな…!! ふざけるなぁあああッ!!!」
乱心する男の声で、ネイは気を取り戻した。
当代の男は、何かに吹き飛ばされた後のように着衣を乱し、上向きに倒れた姿勢でネイを指差す。大口を開けて喚き散らすその顔は、失意と憤慨に満ちている。
男が此方に怒りを向ける理由が掴めず、ネイはぼんやりとした顔付きのまま、当代が指す方向へ視線を向けた。
固く握り締める五輪王御劔の刀身は一つに結び付き、鎺から切先まで刃には滑らかな一筋の光が走っている。
一点の曇りもない 秀麗 な刃に目を奪われ、回帰した五輪王御劔を暫し 夢現 に見詰めていた。が、大勢の足音が間近に迫る事を耳が捉えた途端、反射的に上体が起き上がった。
©️2025 嵬動新九
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