8.ハッキリ言おうか
「何を泣いているんだ?」
「すみません……私……」
嬉しさ以外の感情も遅れてこみ上げる。
殿下はちゃんと約束を守ってくれた。
けれど私は、殿下のことを信じきれずに疑ってしまった。
そんな自分の弱さが情けない。
お姉様の言葉よりも、殿下の言葉を信じるべきだったと、心から後悔する。
殿下は私の内心を見透かすように、優しく微笑みながら言う。
「少しずつでいい。俺のことを信じられるようになれ。その前にまず、自分の気持ちに素直にならないといけないぞ」
「素直に……なっていいのでしょうか」
「俺が言っているんだ。いいに決まっている。少なくとも俺の前ではそうしておけばいい」
「――はい」
私は流れる涙を拭い、できるだけ明るく笑顔を見せる。
嬉しさを示すように。
殿下には泣き顔ばかり見せたくはないから。
殿下は私の笑顔に応えるように、明るい笑顔を見せてくれた。
そこへ慌てたように二つの足音が近づいてくる。
誰なのかはすぐにわかった。
お父様が血相を変え、焦りを露にしながら玄関にかけよる。
大方、屋敷の入り口で対応した使用人に殿下のことを聞いてとんできたのだろう。
お父様の後ろにはお姉様もいる。
お姉様は殿下と私が一緒にいるのを見て、目を丸くしていた。
「これはこれはシルバート殿下! 遠路はるばるお越しいただきありがとうございます」
「貴殿が当主のウィンドロール公爵か」
「はい。グランダ・ウィンドロールでございます」
お父様が丁寧に頭を下げる。
貴族相手でも太々しい態度をとることが多いお父様も、隣国の王子様相手には態度を改めるようだ。
私の前ではあまり見せない姿で、少し驚かされた。
「急に来てしまってすまないな」
「いえそんなことは……して、本日はどのようなご用件でいらしたのでしょうか」
「ん? なんだ? 彼女から聞いていないのか?」
殿下が首をかしげる。
お父様とお姉様の視線が私に向けられ、びくっと身体が震える。
殿下も遅れて私に視線を向けた。
「伝えていないのか?」
「いえ、お伝えしたのですが、その……」
信じてはもらえなかった。
私と殿下の婚約の話を。
「なるほどな」
殿下は私の表情から察してくれたようだ。
呆れるように肩をすくめ、二人に視線を戻す。
一週間前の話で、冗談で済まされたことだから、二人とも忘れてしまっていたのだろう。
この時やっと、二人の表情が変わり、ハッと気づいたように目を見開く。
「まさか……」
お姉様の口からぼそりと声が漏れる。
思い出したのだ。
私が二人に伝えたことを。
質の悪い冗談だと一蹴した話は、紛れもなく真実しかなくて――
「なら改めて俺の、いや私の口から伝えよう。私は彼女と、アストレアと婚約することに決めた」
殿下は私を紹介するように右手を動かす。
二人は固まっていた。
驚きのあまり。
信じられないという感情が全身から溢れている。
無理もない。
私自身、ずっと夢のようだと思っていたのだから。
「すでに王家の許可は貰っている。両国は同意済み、あとは当主であるウィンドロール公爵の許しを貰うだけ。書類で済ませることもできたんだが……」
と言いながら、私の顔をチラッと見る。
僅かに視線が合った。
「せっかくだから、挨拶も兼ねて直接訪問させてもらうことにしたんだ」
「……」
「ウィンドロール公爵? 彼女と婚約する許しをいただけないか?」
「お、お待ちください」
お父様は慌てたように両手を前に出す。
こんなにも動揺しているお父様は初めて見る。
額から汗を流し、視線が揺れる。
「突然のことで動揺しております。失礼ながら確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「構わないぞ。何が知りたい?」
「ありがとうございます。ではまず、アストレアと婚約なさるおつもりですか?」
「ああ、間違いないぞ」
殿下は即答した。
一切の考える時間もなく、ハッキリと。
それにお父様は面食らう。
「さ、左様ですか……」
「何か問題があったかな?」
「い、いえ、問題というわけではありませんが……少々驚いております。お恥ずかしながらアストレアは、姉のヘスティアと比べても平凡でして」
「……」
殿下の前でも、お父様は平然と私とお姉様を比べた発言をする。
言い回しは優しいけど、要するに姉のほうが優秀だと言いたいのだ。
動揺しつつも少しずつ冷静さを取り戻し、お父様は一歩横へと移動して、お姉様が視界に入るように配慮する。
「いかがでしょう? アストレアではなく、ヘスティアと婚約されるというのは?」
「初めまして、シルバート殿下。ヘスティア・ウィンドロールでございます」
彼女はお淑やかに、令嬢らしく振舞い殿下に頭を下げる。
この時点で意図が見え透いていた。
理由はわからなくとも、これをチャンスと捉えたのだろう。
お父様は私から殿下を奪おうとしていた。
「ヘスティアは優れた聖女としての素質を持っております。きっと殿下の将来にも、よりよい関係を築けるはずでございます。ヘスティアも、殿下のような方と一緒になれることを嬉しく思うでしょう」
「はい。これ以上ないほど幸せでございます」
お姉様も乗り気だった。
隣国の王子様……お姉様が求めている自分と釣り合う数少ない相手との婚約。
これを逃す手はないと思っているのがわかる。
普通の……これまでの相手なら、迷わずお姉様に乗り換えただろう。
けれど、シルバート殿下は違った。
「盛り上がっているところ申し訳ないが、俺が婚約したいのはアストレアだ。君じゃない」
「え……」
ハッキリと断った。
この時、お姉様の面食らったような表情を見て、私は少しだけスカッとした。