7.夢じゃなかった
「ふふふっ、アストレアあなた、面白い冗談を思いついたわねぇ」
「お姉様……」
彼女は豪快に笑っている。
よほど笑いのツボに入ったのだろう。
涙目になりながら、笑ってお腹を押さえていた。
すでにまったく信じていないのは明白だ。
「あなたが王子様と婚約? しかも隣国の? アストレア、あなた笑いの才能はあるんじゃないのかしら?」
「……冗談ではありません」
「もう十分よ。嘘のつもりならもっと現実的な嘘をつきなさい。じゃないと笑ってしまってまともに話せないわ」
お姉様は微塵も信じる気がない。
そしてもう一人、お父様はというと、私を見ながら盛大にため息をこぼす。
「はぁ……アストレア。そのような嘘は控えろ。隣国とはいえ相手は王子だぞ。もし何らかの理由で知られたら国際問題になる。何より失礼だ」
案の定、お父様も信じてはくれなかった。
怒りよりも呆れのほうが強いのだろう。
姉は笑い、父はため息をこぼす。
わかっていたことだけど、実際に信じてもらえないと多少心には来る。
それでも私は、二人に向かって続ける。
「信じて頂けないかもしれません。ですが本当のことです。今回の縁談のお相手がシルバート殿下でした。殿下は身分を隠し、縁談の場を設けていたのです」
私は淡々と、できるだけ二人の反応を気にせずに説明した。
辺境の地での出来事を。
簡潔に、わかりやすく二人に。
話を最後まで聞き終わり、笑い終わったお姉様が言う。
「随分と考え込まれた嘘ね。あなた、本でも書けばいい話ができるんじゃない?」
「……」
私はお姉様と視線を合わせる。
するとお姉様はあからさまに不機嫌になった。
「何よその顔、気に入らないわね」
「……い、今話したことは本当のことです。数日後に正式な書類をお送りすると殿下はおっしゃっていました」
普段ならすぐに謝るところで、私は一歩前へと踏み込む。
殿下から貰った言葉が私の勇気になり、背中を押す。
そんな私の態度に、怒りを通り越してお姉様は呆れる。
「……はぁ。もし本当にそんなことがあったのなら、あなた、騙されているわよ」
「え――」
騙されて……いる?
「だってそうでしょう? 隣国の王子様がどうしてあなたなんかと婚約するの? 理由がまったくないじゃない」
「そ、それは……私のことを認めて」
「はい? 認める? 何を? どこを? 私と比べて、あなたが勝っていることはあるかしら? あるなら言ってごらんなさいよ」
「……」
私は言い返すことができなかった。
お姉様と私、どちらが優れた人間かなんて、これまで嫌というほど思い知らされてきた。
唯一頑張っていた薬学も、お姉様を育てる肥やしにされていたし。
私には何もなかった。
自慢できることなんて何一つ……。
「ないでしょう? そんなあなたと婚約するなんてありえないわ。考えつくとしたら一つ……あなたをからかって遊んでいたのよ」
「――!」
そう……なの?
私はからかわれていただけだったの?
思考が止まる。
殿下から頂いた言葉のほとんどが、ガラス細工のように砕けていく。
そうかもしれない。
お姉様の言う通り、私と婚約するなんて普通じゃない。
本気ではなく、からかわれていると思ったほうが自然だ。
「お父様、アストレアは長旅で疲れてしまっているようですね」
「そのようだな。アストレア、しばらく部屋で休め」
「……はい」
珍しくかけられた優しい言葉にも、私は何も感じることができなかった。
生まれて初めての希望が、一瞬にして潰えるような絶望感。
殿下の言葉より、姉の言葉のほうが信じられてしまうのは、私がそういう人生を歩んできたからに他ならない。
◇◇◇
あれから一週間が過ぎた。
聞いていた殿下からの正式な婚約報告は、未だ届いていなかった。
私はベッドでうずくまる。
「……やっぱり」
からかわれていただけだった。
殿下との婚約なんて幻でしかなくて、かけてくれた言葉も……偽りで。
涙がこぼれてくる。
布団が濡れて冷たくなって、私は何もかもを諦めるように、無気力に起き上がる。
「もう……」
どうでもいい。
このまま屋敷を飛び出して、どこか遠いところに消えてしまいたい。
惨めさがいっぱいで、心が限界だった。
私はトボトボと歩き部屋を出て、幽霊みたいにフラフラと玄関にたどり着く。
その時、扉がノックされた。
来客だろうか。
それにしても、外がなんだか騒がしい。
今出て行っても止められると察した私は、もう一度部屋に戻ろうと踵を返す。
「失礼するよ」
「――!」
聞こえた声に反応して、私は立ち止まる。
ゆっくりと扉が開く。
虚ろだった視界に光が差し込み、綺麗な銀色の髪が見えた。
忘れるはずがない。
今、扉の向こうから聞こえた声は――
「シルバート……殿下?」
「迎えにきたぞ、アストレア」
彼は微笑む。
優しく、暖かな笑顔を向けられて、私の瞳から涙がこぼれる。
「……本当に、来てくださったのですね」
「当たり前じゃないか。言っただろう? 君と婚約すると」
「嘘じゃ……なかったんですね」
「信じてなかったのか? 俺は嘘をつくのも、つかれるのも嫌いだ。だからあの日の約束に嘘はないよ」
「う、うぅ……」
涙が止まらない。
せっかく殿下が迎えにきてくれたのに、情けない姿を見せている。
けれど悲しい涙じゃない。
嬉しくて、温かくて、感情があふれ出すんだ。
この時やっと、私の中で夢と現実が繋がった。