43.断ってくれてもいいよ
私たちがフロイセン王国から戻って一週間ほど経過した今日、私は普段よりちょっぴり忙しい日々を送っていた。
「ニーナ、そこの小瓶をとってもらえますか?」
「こちらですか?」
「ありがとう」
私はニーナと一緒に、研究室で薬品の調合を行っている。
その理由は、最近になって流行し始めた感染症に効果がある薬を作るためだった。
「アストレア様、そろそろ休憩されてはいかがですか?」
「ありがとう。でも、もう少し……」
「あまり無理をされてはお身体に触ります」
「そうだぞ? 無理は禁物だな」
「――殿下!」
いつの間にか、殿下が私の研究室に顔を出してくれていた。
集中していた私は、殿下が来てくれていたことに気づくのが遅れて、慌てて身なりを整える。
「いらしていたんですね」
「ついさっきな。ニーナは気づいていたぞ」
「す、すみません……」
「謝らなくていい。よく頑張ってくれているのは知っているからな」
殿下は優しく微笑みかけてくれる。殿下だって忙しいはずなのに、こうして定期的に顔を見に来てくれるのは、殿下の心遣いだろう。
その優しさがあれば、私はどんな辛いことだって乗り越えられそうな気がする。殿下は散らかったテーブルの上を見ながら呟く。
「薬品の研究は順調か?」
「はい。もうすぐ特効薬が完成しそうです」
「さすがだな」
「私一人の力じゃありません。ニーナも手伝ってくれていますし、何よりここで働く薬師の方々が、日ごろから準備されていたおかげです」
ベスティリア王国では、毎年この時期になると、質の悪い感染症が流行するらしい。毎年のことで人々も慣れているから、みんな慌てたりはしない。
お医者さんも対処はわかっているし、薬師の方々も、毎年変化する感染症の原因をいち早く突き止めて、特効薬の作成を始めていた。私はそれを、ただ手伝っただけに過ぎない。
「謙遜するな。アストレアが作ってくれた薬は、どれも効き目が何倍もいいと評判だ。同じ調合でも、君には祈りの力があるからな」
「祈り……」
私は自分の胸に手を当てながら噛みしめる。無力だと思っていたこの身体には、ちゃんと聖女の力が宿っていた。お姉様のように、奇跡を起こすことはできないけれど。
私は奇跡を与えることができる。私が作り出すものには、祈りの力によって奇跡が宿っている。だから薬を一つ作るだけでも、通常よりも効果が高い。
それだけじゃなくて、感染症の原因を見つけ、特効薬の作り方にたどり着くのも早い。
私が奇跡を与えられるのは物だけじゃなくて、当然人も含まれる。
お姉様のように、その場で奇跡が起こるわけじゃない。彼らの頑張りを後押しするように、奇跡を起こす手助けをする。殿下の話では、原因を突き止めるのにかかった時間は、過去最短だったという。人々の頑張りが奇跡を起こした結果だ。
「あと少しで完成します。少々お待ちくださいませ」
「アストレア、休憩が先だ」
「――! 殿下、でも……」
「君はもう少し、自分のことを労わったほうがいいぞ? そう思うだろ? ニーナも」
「はい」
二人とも、温かく優しい視線を私に向けてくれる。
頑張り過ぎなくていいのだと。今でも十分、頑張っているのだから……そう言ってくれている視線に、心が温かくなる。頑張っても頑張っても、認めてもらえなかったあの頃とは違う。
ちゃんと見てくれている人がいて、支えてくれる人がいる。殿下やニーナの言う通り、私はもっと自分を大切にしなければならない。
私はもう、フロイセン王国の聖女ではなく、シルバート殿下の婚約者なのだから。
トントントン、とノックの音が響く。
「シルバート殿下、こちらにいらっしゃいますでしょうか?」
「――? 俺か?」
私への来客かと思ったら、殿下を探している使用人の男性だったらしい。殿下は私の代わりに扉を開けると、使用人の男性は深く頭を下げて言う。
「お忙しいところ失礼いたします。殿下にお客様がいらしております」
「誰だ? 今日はそんな予定はなかったはずだが」
「はい。ラインツ王子でございます」
「ラインツ?」
殿下は目を大きくして驚いていた。
ラインツ王子は、私の故郷であるフロイセン王国の第一王子であり、シルバート殿下とも親しい友人だ。ついこの間、ラインツ王子の誕生パーティーに参加したばかりで、記憶に新しい。
シルバート殿下は自分の顎に手を触れて考えている。
「珍しいな。この間来たばかりだったが、まぁいい。応接室に通してくれ」
「そ、それが……」
「ん?」
「その必要はないよ? シルバート」
声がして、ひょこっと使用人の男性の背後からラインツ王子が顔を出した。
すでに屋敷の中に入り、男性の後ろについてきていたらしい。シルバート殿下は少し驚いて、呆れてため息をこぼす。
「下がっていいぞ」
「はい」
使用人の男性を下がらせて、ラインツ王子が研究室に入ってくる。
「いやーごめんね? 忙しかったかな?」
「何をしに来たんだ? まさか、遊びに来たわけじゃないだろう?」
「そうだね。お気楽な理由ならよかったんだけど、今回は違うよ。ちょっと頼みたいことがあってきたんだ」
いつになく、ラインツ王子は真剣な表情をしている。
飄々とした態度が記憶に目立つラインツ王子だからこそ、その表情の真剣さが、何やら大切なことを相談したいのだと察する。私はごくりと息を飲んだ。すると、ラインツ王子と視線が合う。
「やぁ、アストレア。パーティー以来だね?」
「は、はい! 先日は招待して頂き、ありがとうございます」
「ううん、こちらこそ来てくれて嬉しかったよ。楽しんでくれたかな?」
「――あ、はい」
ちょっとだけ逡巡を挟み、私は愛想笑いをする。
楽しめたかどうかでいえば、正直あまり楽しくはなかった。会いたくない人に会ってしまったし、酷いことも言われたから。その後に殿下が私を庇ってくれたのは、嬉しい思い出にはなったのだけど。ラインツ王子も私の反応から察した様子だ。
「そうだよね。君にとって僕の国は、居心地のいい場所じゃないよね」
「そ、そんなことは!」
「いいよ。君の境遇については聞き及んでいるし、それを知りながら放置していた僕にも責任はあるからね」
「……」
「だから、アストレア? これからするお願いは、別に断ってくれても構わないよ」
「お願い?」
ラインツ王子は私に向けてそう言っていた。
お願いというのは、シルバート殿下に対してではなく、私に向けてのものだったらしい。
なんとなく予想がつく。殿下にではなく、私にお願いをしたいという時点で、求められているのは私が持っている聖女の力だろう。ラインツ王子はゆっくりと話し始める。