39.幸せの在りか
「……無能の癖に、言うようになったじゃない」
「私の婚約者を侮辱するのは止めてもらおうか?」
「――!」
「殿下」
私の後ろから声がして、振り向くと殿下が立っていた。
彼は私に視線を向けて謝罪する。
「すまなかったな。どうにも周りがしつこくて断り切れなかった」
「いえ、もうよろしいのですか?」
「ああ、アストレアのほうは?」
殿下はお姉様に軽く視線を向ける。
ビクッと反応するお姉様は、少しだけ気圧されている様子だ。
私には強気のお姉様も、殿下には弱いらしい。
「私も話は終わりました」
「そうか。なら行こう。ラインツにも挨拶をしておかないとな」
「はい」
「ま、待ちなさい、アストレア」
立ち去ろうとした私と殿下をお姉様が引き留める。
「お姉様?」
「……これが最後のチャンスよ、アストレア」
「チャンス?」
「そうよ。今なら戻ってきてもいいわ。今は快適でも、偽りの信頼なんていずれ必ず壊れるのよ。辛い思いをするのがわかっているでしょう?」
「――必死だな」
そう言ったのは殿下だった。
殿下は呆れてため息をこぼし、お姉様に鋭い視線を向ける。
「理解したのだろう? アストレアがいなくなってから、随分と大変だったんじゃないか?」
「っ……」
図星なのだろう。
お姉様はわかりやすく悔しそうな顔をして沈黙する。
私は殿下が教えてくれた真実を思い浮かべる。
お姉様が奇跡を起こす聖女なら、私は奇跡を与える聖女だった。
それ故に、私の存在がお姉様の祈りを支えていた。
だから、私がいなくなってお姉様は……。
「何のことでしょうか? 私はこれまで通り、聖女としての役割を全うしております」
「そうかそうか。姉妹揃って働き者だな。アストレアも俺のために、頼まずとも国に貢献してくれているぞ」
「それは喜ばしいことですね。姉として私も誇らしく思います」
お姉様の苦笑いなんて新鮮だ。
相手が隣国の王子様だから強く出れず、中途半端に対抗しようとするから圧倒される。
事実、彼女は困っていたのだろう。
私がいなくなったことで、聖女の力は弱化した。
祈り、癒す力が弱まれば、今まで通りではいられない。
何よりお姉様には薬学の知識はない。
私がやっていた新薬開発は、お姉様では引き継げなかったはずだ。
「君はこの国の聖女としてこれからも励むといい。ラインツも喜ぶだろう」
「――そうだね!」
「ラインツ王子!」
お姉様が驚く。
ラインツ王子は殿下の後ろから肩を組んだ。
「やぁ、二人とも。遅いからこっちから会いに来ちゃったよ」
「悪いな。今日はいつも以上に離してくれない者たちが多いんだ」
「そうみたいだね。アストレアもようこそ! 本当に来てくれて嬉しいよ」
「私のほうこそ、お招きいただきありがとうございます」
ラインツ王子とも親しく話している私を見て、お姉様は唖然とする。
そんなお姉様に、ラインツ王子はニコリと微笑みかける。
「ヘスティアも、来てくれてありがとう。やっぱり姉妹だし、お互いの近況とか気になるのかな?」
「はい。アストレアがご迷惑をかけていないかと」
「そうか。なら安心するといいよ。シルバートは彼女にゾッコンみたいだし」
隣で殿下がびくっと反応する。
ゾッコンって聞こえたけど、まさか……ね?
私はそろっと殿下のほうを見る。
ほんの少し、見間違いかもしれないけど……頬が赤くなっている気がした。
「おい、言い方を考えろ」
「あはは、怒られちゃったよ。とにかく心配は一切いらないよ。それよりもー……最近忙しそうだね? 君のほうこそ相談したほうがいいんじゃないかな?」
「――! い、いえ私は変わりありませんので」
「そうかい? 余計なお世話だったかな」
「ご心配頂きありがとうございます。では私はこれで……」
天然か、意図的か。
ラインツ王子の言葉に耐えかねて、お姉様は逃げ出すように離れていく。
去り際にギロっとこちらを睨んできた。
けれどあまり怖くない。
「恐ろしい奴だな、お前は」
「ん? なんのことかな? 僕は純粋に心配してあげただけだよ」
「……そう見えるから怖いと言っているんだ」
二人の王子に図星をつかれ、お姉様もたまらなくなったのだろう。
少し同情する。
と同時に、私が味わっていた苦悩を少しでも実感してくれているのなら……。
「スッキリしたか?」
「……少しだけ。いけないことでしょうか?」
「いいや、それでいい。聖女であれ、王子であれ、一人の人間なんだからな」
殿下は優しく微笑みかけてくれた。
おかげで不安は消え、この場に立つ自分に自信を持ち始める。
「さぁて、パーティーはこれからだよ。二人とも、存分に楽しんでくれると嬉しいな!」
「そうさせてもらうよ」
「はい!」
こうして懐かしき故郷でのパーティーは滞りなく終わった。
パーティーが終われば、私たちはすぐ帰路につく。
夕刻に王城を出発し、ベスティア王国を目指す。
しばらく馬車の旅だ。
外はすっかり日も沈み、星々がきらめく。
「疲れてはいないか?」
「はい。私より殿下のほうがお疲れでしょう」
「いつものことだ」
パーティー中、常に誰かと話をしていた。
隣国の代表ともなれば、関係を持とうとする貴族たちが後を断たない。
殿下は一人一人丁寧に対応されていて、何十人と話しかけてきた相手の顔と名前を記憶されている。
さすがとしか言えない。
途中からは私とはぐれないよう手を取り歩いた。
「……一応聞いておこうか」
殿下は改まって尋ねてくる。
「アストレアは故郷での生活と、俺の国での生活、どちらが好きだ?」
「――もちろん、殿下の国です」
迷うことはない。
故郷で過ごした十数年より、殿下と共に過ごした数日のほうが色濃く、幸せだったのだから。
「そうか」
殿下はホッとしたように笑みをこぼす。