36.故郷への招待状
ガタンゴトンと車内が揺れる。
綺麗に舗装された道でも、石や凹凸に車輪がかかると大きく揺れることがある。
長時間乗っていると足や腰が痛くなってくるのだけど、今はそんなこと考える余裕もなかった。
私と殿下を乗せた馬車は王城を出発し、街をいくつも超えて、国境を超える。
「緊張しているか?」
「……はい。少し」
今から緊張していては身体がもたないぞ、と言われると思っていた。
けれど殿下は優しく、仕方がないと一言口にする。
もう二度と、戻ってくることはないと思っていた。
足を踏み入れるにしても、もっと先の未来で、記憶が思い出に変わった頃になろうだろうと。
予想よりも早く、この時がやってくる。
私たちを乗せた馬車は国を超え、フロイセン王国の王都へとたどり着く。
「……戻って……来たんだ」
私はぼそりと口にした。
生まれ故郷、これまでの人生の大半を過ごした場所。
いい思い出より、嫌な思い出ばかりが残っているこの地に、私は戻ってきてしまった。
正直に言おう。
あまり気乗りはしていない。
可能なら、殿下のお屋敷で留守番していたかった。
けれどそれはできない。
なぜなら今日の催しは、ラインツ王子から直々のお誘いなのだから。
◇◇◇
「いやー美味しい! こんなにも美味しい紅茶は初めて飲んだよ!」
殿下にお願いされ、私はラインツ王子に紅茶を振舞った。
ラインツ王子は少し大げさな反応を見せ、楽しそうに紅茶を飲む。
彼の視線が私に向く。
「これ、本当に君が淹れたのかい?」
「は、はい」
「凄いな。聖女っていうのは紅茶を美味しくする力もあったりするのかな?」
「え、それは……」
反応に困る。
なぜなら、あながち間違ってもいないからだ。
さすがに殿下じゃあるまいし、私自身ですら知らなかった聖女の秘密を、ラインツ王子が知っているわけがないけど。
私が困っていると、シルバート殿下がため息をこぼして言う。
「それを飲んだら帰ってくれよ。こっちもそれなりに忙しいんだ」
「つれないな~ せっかく親友が遥々国境を越えて遊びに来てあげたっていうのに」
「もっと早く連絡をよこさなかったお前が悪い」
「あれ? 早めに予定を教えたらちゃんと時間をくれたのかい? 優しいなー、シルバートは」
ラインツ王子は笑いながらそう言った。
彼の言葉や態度は、まるで羽が生えたように軽くて薄っぺらい。
本心が見えず、何を考えているのか……少なくとも関わりの薄い私にはさっぱりだった。
シルバート殿下は呆れながらやれやれと首を振る。
ラインツ王子は紅茶を飲み切り、ご馳走様と言ってカップをテーブルに置く。
「別に遊びに来ただけってわけじゃないんだよ」
「ん?」
「ちゃんと目的はあったんだ。今度のパーティーに、二人を招待しようと思ってね」
「パーティー?」
首を傾げた殿下だったけど、すぐに何かに気付いた様子。
二人は目を合わせる。
「お前の誕生パーティーの時期か」
「正解! 覚えていてくれて嬉しいよ」
私も遅れて思い当たる。
そういえば毎年この時期に、ラインツ殿下の誕生パーティーが王城の会場で開かれていた。
名のある貴族たちも参列し、大々的に祝福される。
もちろん、ウィンドロール家にもお誘いはあった。
ただし私は、一度も参加したことがない。
いつもお姉様とお父様の二人で、そういう大事なパーティーには参加するからだ。
ラインツ王子は私に視線を向け、ニコリと微笑みながら言う。
「親友の婚約者として、今年は君も参加してほしいな」
「私も……参加してよろしいのですか」
「もちろんさ! シルバートと一緒に、僕の誕生日をお祝いしてくれると嬉しい」
彼は無邪気に笑う。
こうして直接、私のことを誘ってくれたのはラインツ王子の優しさなのだろうか。
嬉しいと思う反面、少し不安だった。
ラインツ王子の誕生パーティー、会場はもちろんフロイセン王国の王城。
そして参加者は名のある貴族たち。
当然、ウィンドロール家の二人も参加するだろう。
私がパーティーに参加すれば、嫌でも顔を合わせることになる。
もう二度と会うことはないかもしれない……そう思っていた相手に。
「アストレア、気が進まないなら無理をする必要はないぞ」
「殿下……」
「君の不安はわかる。せっかくこちらでの生活に慣れてきたんだ。今回は不参加でも、誰も君を責めたりしない。そうだろう? ラインツ」
「うーん、僕としては残念だけどね? 本気で嫌がっている子を無理やり招待しても楽しめないから、それは仕方がないかな」
そう言いながらも表情は残念そうだった。
どこまで本心なのかわからない。
けれど、わざわざ国を超え、招待してくれたラインツ王子に……シルバート殿下にも申し訳ないと思った。
それに……。
「いえ、参加させていただきます」
「アストレア」
「ご心配いただきありがとうございます。私は大丈夫です」
お姉様のこと、気にならないと言ったら嘘になる。
聖女の秘密を知った今、お姉様がどうしているのか。
直接会い、確かめてみたいという気持ちも少なからずあった。
「やったね。じゃあ待っているよ。僕の城で」
「――はい」






