31.親族にご報告
殿下と婚約し、国を出て一週間余りが経過した。
新しい屋敷での生活にも徐々に慣れ始めた頃、私にとって一番の難所が訪れようとしていた。
「アストレア、今日の昼に父上のところに行くぞ」
「――! 殿下のお父様……国王陛下に謁見するのですね」
「ああ」
ついにこの時が来た。
そんな風に思ったのは、きっと私だけじゃないはずだ。
本来は婚約し、国に訪れた初日に挨拶を済ませるべき相手だった。
けれど国王陛下はお忙しく、私が国にやって来た時には不在だったことを後から知った。
先延ばしにされていた陛下との顔合わせが実現する。
今から緊張して、私はごくりと息を飲む。
「ただの挨拶だ。そこまで緊張する必要はないぞ」
「は、はい」
私の心情を察した殿下がそう言ってくれた。
けれど緊張しないなんて無理だ。
ただでさえ他人と接するのは得意じゃないのに、他国の王様とお会いするなんて恐れ多いこと、緊張せずにはいられない。
上手く振る舞えるだろうか。
交流が深いとはいえ、異なる国同士で文化や風習の違いがあって、気づかぬうちに失礼を働いてしまったらどうしよう。
そんなことばかり考えてしまう。
何より、私は殿下の婚約者としてあいさつをする。
殿下の婚約者、いずれ結婚するということは、私が王族の一員になることを示す。
殿下曰く、国王陛下は合理的で国の利益を一番に考えているお方らしい。
私は示す必要がある。
自分の価値を、殿下と共にいるだけの意味を。
「そう心配しなくてもいい。婚約の話は通っているし、今さら覆ることでもない」
殿下には私の内心がすべてお見通しの様子だ。
恥ずかしさより、今は緊張が勝る。
そんな私に殿下は言う。
「振る舞いが心配ならニーナに確認しておくといい。俺よりよっぽど礼儀作法には詳しいからな」
「はい。そうします」
「ではまた迎えにくる。それまでは自由にしているといい」
そう言って殿下は立ち去っていく。
私は研究室で新薬開発の続きを……と思ったけど、気になって集中できそうにない。
「ニーナ、いくつか確認してもいいかな?」
「はい。もちろんでございます」
それから私はこの国での礼儀作法や文化について学んだ。
復習もかねて、この国の歴史についても教えてもらう。
ニーナは殿下の傍でずっとメイドをしているから、国王陛下と関わる機会も少なくなかった。
現国王の雰囲気や、考え方についても尋ねておく。
「ニーナから見て、国王陛下はどんなお方なの?」
「そうですね。私などが推し量るのは無礼だと思いますが、とてもまっすぐなお方だと感じます」
「真っすぐ……真面目なお方という意味?」
「それもありますが、態度や行動が一貫しておられます。一度決めたことは決して曲げず、己が正義、信念を貫き通す強いお方です」
よく言えば誠実な人で、悪く言えば融通が利かない人。
ニーナは口を濁したけど、自分の価値観を曲げず、家族であれ贔屓せず公平に物事を判断されるお方だそうだ。
地位や名誉に固執はしないけど、無価値と判断した相手には興味を示さない。
自身や王国にとって有益か無益か、それとも害ある存在なのか。
陛下の判断基準はわかりやすく、ある種残酷だという。
話を聞きながら緊張が増し、プレッシャーになる。
贔屓しないということは、私が何者であるかは関係ないということ。
つまり、私個人の価値次第で、陛下が私をどう見るかが決まってしまう。
私はちゃんと受け入れてもらえるだろうか。
いつまでたっても自分に自信が持てない私は、不安を感じるばかりだ。
そうしているうちに時間は過ぎて……。
殿下が再び研究室にやってくる。
「アストレア、時間だ」
「はい」
私はごくりと息を飲み、殿下と共に研究室を出る。
ニーナはここでお留守番だ。
彼女は丁寧にお辞儀をして私たちに言う。
「いってらっしゃいませ」
心配いりません、と言いたげに彼女は私を見て微笑んでくれた。
自信が持てない私にとって、彼女や殿下の言葉は勇気になる。
少しだけ背中を押され、私は殿下の斜め後ろを歩きながら屋敷を出る。
何気に初めてだった。
この国の城へ足を踏み入れるのは。
王城の造りは私の生まれ故郷と変わらず、奇妙な懐かしさすら覚える。
一応聖女として生まれた私は、何度か王城に招かれる機会があった。
その時の記憶がよみがえる。
正直あまりいい思い出ではないので、今思い出したくなかった。
いつも私の前をお姉様が歩き、声をかけられ応対するのはお父様とお姉様で、私はいないものみたいに扱われる。
ある意味では気が楽だったと、今さらながらに思う。
王城の中を歩けば、嫌でも注目を浴びる。
頭を下げられ、何度も見られている。
あれがシルバート殿下の婚約者なのか、と。
そんな声が聞こえてくるようで、落ち着かない気分だ。
「悪いな。見世物みたいになってしまって」
「い、いえ、大丈夫です」
「少しずつでいい。慣れてくれると助かる」
「はい」
そう、慣れないといけない。
この国で、殿下の隣にい続けるためには。
いい加減覚悟を決めよう。
私たちはたどり着く。
この城で最も高い場所にある部屋に。
王が坐する玉座の間に。
「父上、シルバートです!」
「――入れ」
簡潔に一言ずつ、次の瞬間には扉が開き始めていた。
そうして開かれた先は、赤い絨毯が敷かれ、長く続く部屋の先に、数段上がった壇上でこの国の王は座っていた。