3.神様は意地悪だ
まさか、そんな、嘘でしょ?
顔が青ざめたのがわかる。
私はいても経ってもいられず、噂の真偽を確かめに走る。
いくら私のことを娘と思っていない父でも、私を見下す姉でも、私の成果を横取りしているなんて考えたくなかった。
でも、一抹の不安が過る。
あの人たちなら……やりかねない。
私はノックもせずに、お父様の執務室を開けた。
「お父様!」
お父様はびくりと反応する。
普段は無視をするお父様も、私がいきなり入ってきたことには驚いた様子だった。
「なんだ? アストレア、ノックもせずに無礼だぞ」
「ごめんなさい。でも……お父様!」
走って来た私は呼吸を乱しながら、縋るように尋ねる。
間違いであってほしい。
首を横に振ってほしいと。
「私の新薬は、ちゃんと私が作ったと報告して頂いているのですよね?」
「――」
僅かに、お父様の眉が動く。
「お姉様の成果になんて……して、いませんよね?」
「……はぁ」
お父様はため息をこぼす。
その呆れの意味は……何ですか?
腕を組み、冷たい視線で私を見ながら言う。
「それの何が悪いんだ?」
「――!」
私は言葉を失った。
否定でも、肯定でもなくて、開き直った。
信じたくなかったけれど、もはや事実は覆られない。
「お父様……?」
「アストレア、お前の役目はヘスティアの役に立つことだ。聖女として役に立たないお前でも、それ以外で役に立つなら十分だろう?」
「……」
何が十分なんですか?
何が満たされるというのですか?
お父様の表情から、一切悪いことをしたなんて思っていないことが伝わる。
嫌というほど、わかってしまう。
この人にとって私は娘ではなくて、姉を支えるための道具に過ぎないのだと。
お姉様は知っていたのだろう。
だから言ったんだ。
無駄な努力と。
ああ、本当にその通りじゃないか。
「これからも励むといい。姉のために」
「……」
私は自分の人生を、自分のために生きることができないらしい。
◇◇◇
その日は何もする気が起きなかった。
新しい薬の開発に取り掛かろうと準備した素材が、乱雑に床に置かれている。
整理する気力も、勉強するやる気も出ない。
ただただ空しくて、少しずつ……苛立ちを覚える。
「なんで私ばっかりこうなの?」
期待を裏切ったから?
才能を持つ姉に全てを奪われても仕方がないの?
どんな努力も何もかも、優秀な姉に吸い上げられて、私の手元には何も残らない。
無能で役立たずな愚昧。
周囲が私を見る目は、小さいころから変わらない。
きっとこの先もずっと……。
ガチャリと扉が開く。
「アストレア、ちょっと何? 暗いんだけど? カーテンくらい開けたらどうなの?」
「……お姉様」
「じめじめして暗くて気持ちが悪い場所ね。こんな場所で研究なんてしてるから、アストレアは真っ当な聖女になれないのよ」
「……」
苛立ちを感じてしまう。
私の成果を横取りして、評価を上げているだけの癖に……と。
無意識に、敵意のような視線を向けてしまった。
それが姉を苛立たせる。
「何よその眼は? 文句でもあるの」
「……別に」
「ふんっ、あるわけないわよね。聖女の癖に奇跡も起こせない落ちこぼれだもの。そんなあなたは、私の役に立つことだけしていればいいのよ」
「……」
ああ、どうして?
聖女は神様に選ばれた乙女で、清らかな心の持ち主に力が宿ると言われている。
もし本当なら、神様は意地悪だ。
こんな人にばかり……力を与えている。
「アストレア、明日縁談があるわ。出席しなさい」
「……またですか?」
「ええ。相手は過去最低よ。どこの田舎貴族かもわからないわ。家名を聞いても全然ピンとこないの。よくそんな地位で私に縁談を申し込めたわね」
やれやれとお姉様はため息をこぼしながら首を振る。
時折ある。
ダメ元で、お姉様との縁談を申し込んでくる地位の低い貴族が。
今回もそのパターンで、お姉様はとても不機嫌だった。
プライドの高いお姉様にとって、地位の低さを理解しない貴族と話す時間など無駄なだけ。
必然的に私が出席して、あしらうことになる。
「……もう、やめようよ」
「は?」
ふいに本音が漏れてしまった。
色々嫌になって、暗い感情があふれ出ていたせいだ。
私は口にした直後に、しまったと後悔する。
お姉様はあっという間に不機嫌さが増して、私を睨みつける。
「何言ってるの?」
「……だ、だってこんなこと、相手に失礼だし。婚約する気がないならちゃんと断った方が」
「私に口答えする気? いい度胸じゃない。足手まといの癖に」
「っ……」
いつになくハッキリと暴言を吐き捨てられる。
不機嫌なお姉様は、近くにあった小瓶を掴み、私に投げつけてくる。
「や、やめてお姉様!」
「あなたが口答えなんかするからでしょ? いいから従いなさい。あなたにできることなんて、それくらいしかないのよ」
お姉様は床に置かれた素材の木箱を乱雑に蹴飛ばし、必要以上に部屋を荒らして出ていく。
私にとって唯一の居場所だったこの部屋も、結局はお姉様のために用意された舞台でしかなかった。
どこまでいっても私は、お姉様を支える道具でしかない。
もういっそ、こんな家を出られたら……。
とか思っても、飛び出す勇気も覚悟もない私は、言われた通りにするだけだった。