29.恥ずかしいから
聖女の奇跡は幸福を呼び込む。
苦しみを和らげ、不幸を跳ねのける。
それらは神の祝福であり、天から授かりし幸福の加護である。
聖女は幸福をもたらす奇跡を起こし、与えることができる。
殿下は私の手を優しく握りながら、続けて言う。
「君の姉、ヘスティアは奇跡を起こすことができる聖女だった。だから彼女の祈りは、その場で傷や病を癒し、幸福をもたらす。だがそれは、彼女一人の力じゃない。君という存在が傍にいたからこそ、彼女の力はより大きく発揮されていたんだ」
「私が……いたから?」
殿下は頷く。
そして続ける。
「君は与える聖女だった。物や人に奇跡を与える。君の祈りや願いは、君が作った薬やお茶に宿り、それを手にした者に幸福を与える。もちろん知識や技術は必要だけど、そこに聖女の奇跡が加わることで、君は多くの幸せを届けてきたんだ」
「私が……」
誰かに幸福を届けることができていた?
殿下の言葉を聞きながら、心が、身体が震える。
驚きと、喜びで。
「それだけじゃない。君は奇跡を与える。それはもう一人の聖女、ヘスティアの力を相乗していた。君は無意識に、自身の奇跡を彼女に与えていたんだ」
「そうなのですか?」
「ああ、この眼は隠していても、君たちの輝きを捉える。同じ聖女で双子でも、君たちの輝きは少し違っている。君たちを見た時、アストレアの輝きがヘスティアの中に感じられた」
そこで確信を得たと、殿下は続けた。
私の祈りや願いは、無意識に周囲へと振りまかれるらしい。
お姉様に私の力がそそがれていたように。
「つまり君は、一緒にいるだけで誰かに幸福を届ける。聖女というより、まるで女神だな」
「女神……」
私が?
「初めて会った時に言っただろう? 俺は君の姉よりも、君のほうが優れていると思っている。その理由を婚約したら教える約束をしていたからな。ちょうどいい機会だ。忘れていたわけじゃないぞ?」
そう言って殿下は悪戯な笑みを浮かべる。
私のほうこそ忘れていた。
殿下とそんな約束をしたことを。
忘れるほどに、ここでの生活は魅力的で、日々に満足していただけだ。
別に知らないままでもよかった。
けど、心の奥底でホッとしている。
ずっと自分は無能だと、お姉様の足を引っ張るだけだと思っていた。
そんな私でも……。
「聖女として誰かの役に立てていたんですね」
「ああ。君の存在が多くの人を幸福にした。君自身は対照的に、どんどん不幸な思いをしながらね」
「それでも……」
よかった。
私がいる意味は確かにあったのだと。
今日までの日々が報われる。
「俺が君を選んだのは、見ていられなかったからというのもある。君は周りを幸福にするのに、君自身は幸福から離れてしまっている。それはあまりに不平等だ。誰かを幸福にしたのなら、君自身も幸福にならなければ釣り合わない。と、俺は思う。ようはただのおせっかいだ」
殿下は、自分が幸福になる道を諦めていた私を見て、手を差し伸べてくれた。
誰も、誰一人として、私を助けようとはしなかった。
罵り、見下し、蔑むばかりで。
家族でさえ、私のことを踏み台にしていた。
それなのに殿下は、初めて出会ったばかりの私の気持ちに気付き、優しく手を握ってくれた。
見返りなど求めずに。
「どうして……そこまでしてくださるのですか?」
知りたいと思った。
これまでの言葉を全て思い返しても、彼の真意がわからない。
自らの力を政治に利用されたくなくて、陛下やお兄様の思惑から外れるために他国の婚約者を探していた。
私を選んだのは、境遇に対する同情や、地位や権力に固執しなかったから。
だけど、それだけじゃない気がする。
利用するだけなら、こんなにも優しく接してくれなくてもいい。
自らの秘密も隠して、私のことも教えず、狡猾に利用する方法はいくらでもあった。
殿下が私を選び、私に優しくしてくれる理由を教えてほしい。
私は視線で訴える。
「内緒だ」
殿下は穏やかに微笑む。
はぐらかすように。
何か隠している理由があるのだろ。
けれど教えてはくれない。
「……そう、ですか」
仕方がないと諦める。
そんな私に、殿下は照れくさそうに言う。
「恥ずかしいからな」
「え……?」
それはまるで、無邪気な子供の表情のようで。
穏やかで大人びた普段の殿下から想像できないような可愛い笑顔だった。
「いつか話すよ。必ずな」
「――はい」
殿下はずるい人だ。
そうやってまた、私の心を引き込んでいく。
この人のことをもっと知りたい。
我がままに、そう思ってしまうほど、私の心は殿下を求め始めていた。