22.信頼の証
着替えを済ませた私は、ニーナと一緒に食堂へと向かう。
道中、私の斜め後ろにぴったりとくっつき、距離感を保ちながら歩くニーナの姿に、使用人としての意識の高さを感じる。
私が不快にならず、けれど見失わないギリギリの距離感を保っている。
ウィンドロール家の使用人も優秀な方々ばかりだったはずなのに、彼女を見ていると特別に感じる。
「何か私にお聞きになりたいことがあるなら、遠慮なくおっしゃってください」
「え……」
向こうからのアプローチ。
私は変な声が出る。
「お気づきになられていないかもしれませんが、アストレア様は表情に出やすいようです」
「そ、そうみたいだね」
同じことを殿下にも言われた。
彼以外にも気づくということは、本当にわかりやすいのだろう。
それとも、ニーナが殿下に似ているのかも……。
「ニーナはいつからここで働いているの?」
「殿下がこちらのお屋敷で暮らし始めた頃からです」
殿下は今年で二十一歳になる。
彼が屋敷で暮らし始めたのは十歳の頃だから、今から十一年前のことだ。
つまり彼女も同じ期間、この屋敷で暮らしていたということになる。
「ニーナは何歳なの?」
「今年で十八になります」
「そうなんだ。私と同じだね」
「そのようですね」
見た目から年齢は近いだろうと思っていた。
同い年だと知って、なんだか妙に親近感が湧いてくる。
と同時に、自分の子供っぽさが際立って思えた。
十八歳はこの国では成人になる年齢だ。
子供から大人の女性に移り変わるタイミング、ニーナはとても落ち着いていて、しっかり者のオーラを感じるのに、私は全然ダメダメだ。
これからはもっとしっかりしないと。
殿下の婚約者になったのだから。
「じゃあニーナは、七歳の頃からメイドのお仕事をしているの?」
「はい。私の家系は代々王家に使える使用人の一族です。この屋敷の執事長は私の祖父にあたります」
屋敷の中で殿下と何度か話していた老執事が頭に浮かぶ。
白い髪と髭に、高身長ですらっとした体型や立ち振る舞いには、男性としての色気のようなものを感じた。
あの人がニーナのお爺さんなのか。
確かに、雰囲気は似ているかもしれない。
「私は祖父が殿下の専属執事をしておりましたので、幼いころから殿下のメイドとして働いてきました。ですから屋敷に移る前は、王城で少しだけ働いておりました」
「そうだったんですね。じゃあ殿下と一緒にこの屋敷に?」
「はい。殿下にお誘いを頂きましたので」
「殿下に信頼されている証拠だね」
「そうだと光栄です。殿下はあまり、他人を快く思っておられませんので」
ニーナは少し寂しそうに呟く。
私は昨夜の出来事を思い出す。
殿下と二人、夜空の下のテラスで話をしたことを。
俺は他人と関わる度に、人間のことが嫌いになりそうだった。
子供の頃は特にそれが強くて、誰とも関わりたくないとすら思った。
殿下はそう言っていた。
特別な目があるせいで、知りたくもない他人の素顔を覗いてしまう。
他人と触れ合う度に心が遠ざかっていく。
そういった苦悩から逃れるために、殿下は一人屋敷で暮らすようになった。
そんな殿下が、共にいることを望んだのだから。
ニーナは殿下に深く信頼されているに違いない。
「信頼されていなかったら、十年以上も一緒に暮らせないと思います。きっと」
「――だからこそ、アストレア様は特別なんです」
「え?」
私は振り返る。
するとニーナは、とても優しくて綺麗な笑顔を向ける。
「あの殿下が、自らの意思で婚約することを望みました。聞いた時は私も、皆さん驚かれたはずです」
「私も驚いたよ。夢みたいだなって」
たぶん、私が一番驚いたのだろう。
一切の予感もなかった。
お姉様の身代わりで縁談に参加して、まさか相手が殿下だとは……。
「殿下はこれまで、縁談や婚約の話を執拗に断っておられました。その殿下が自ら選び、この屋敷に招いたのはアストレア様だけです。それだけ殿下にとって、アストレア様は特別なのでしょう」
「特別……」
「殿下が他人を信用されなくなったのは、特別な眼のせいです」
「ニーナも知っているの? 殿下の眼のこと」
ニーナはこくりと頷く。
どうやらこの屋敷で働く者たちは全員知っているらしい。
殿下は一部の人間だけが知る事実だと言っていた。
余計な詮索や不都合が増えることを避けるため、眼のことは隠されている。
その秘密を知らされているということは、ここで働く者たちは皆、殿下に認められた方ばかりなのだろう。
ニーナも含めて。
「私は、いえ、この屋敷で働く者は皆、殿下のことを心からお慕いしております。ですから常に思っていたのです。殿下が心を許せる方に巡り合えることを……アストレア様」
彼女は真剣な表情で、私のことをまっすぐに見つめる。
そうして伝える。
「どうか、殿下のことをよろしくお願いいたします。孤独であろうとするのは、特別な眼があるせいです。殿下は孤独を望んでいるわけではありません。本当は……」
寂しがり屋なのです、とニーナは小言で呟いた。
ハッキリと伝わる。
殿下のことを本当に案じているのだと。
十年以上傍で見て来た故に、誰よりも殿下の苦しみを知っている。
そんな彼女だからこそ、きっと殿下も傍にいてほしいと思ったに違いない。
私は……。
「殿下との出会いに、私は救われました」
もしも出会わなければ、私は今も一人きりだった。
「だから今度は、私が殿下のことを支えたいと思っています。何ができるかは、まだわからないけど」
殿下にとって私が、心を許せる相手になれるように。
彼の特別になりたい。
願わくば、私が彼に惹かれたように、彼も私に……惹かれてほしいと思う。
「これから殿下のことを、いろいろ教えてくれると嬉しいです」
「はい。もちろんです。全力でお支え致します」
私は思う。
きっと彼女たちがいたからこそ、殿下は本当の意味で孤独にはならなかったのだと。
殿下の優しさや温かさを守ったのは、彼女たちの存在なのだろう。