21.遠慮はいりません
朝がやってくる。
いつも憂鬱だった。
一人で目覚め、一人で暮らす。
屋敷の中にはたくさん人がいるのに、私だけ孤立しているような疎外感が常にあった。
あるきっかけで対応が変わり、急に私を認識するようになった。
少しは生活しやすくなると思ったら、案外そんなことはなくて。
心にもない心配や気遣いなんて窮屈なだけだと知った。
私はいつも一人だった。
帰る場所なんてどこにもなかった。
だから、眠ったまま過ごせるほうが楽だと、何度思ったことだろう。
けれど今は少しだけ期待している。
「ぅ、う……朝」
見慣れない天井がそこにある。
いつもの屋敷じゃないことに、数秒時間をおいてから気づく。
「ああ……そっか」
私は今、シルバート殿下のお屋敷にいる。
昨日から彼と一緒に暮らすことになって、ここは新しい私の寝室だ。
私はゆっくりと起き上がり、周りを確認する。
不思議な感覚だ。
まだ夢の中にいるみたいで、少し意識がふわふわしている。
私はしばらくぼーっとベッドの上で座っていた。
トントントン――
ドアをノックする音の後で、女性の声が聞こえてくる。
「アストレア様、お目覚めでしょうか?」
「――あ、はい。もう起きています」
「お着替えをお持ちいたしました。中に入ってもよろしいでしょうか?」
「はい。どうぞ」
失礼します、と丁寧に一言添えて扉が開く。
姿を見せたのはメイド服の女性だった。
この屋敷で働いている使用人の一人で、昨日から私のお世話を担当してくれることになった。
名前は確か……。
「おはようございます。ニーナさん」
「私の名前を憶えてくださったのですね。光栄です」
彼女は礼儀正しく頭を下げる。
頭をゆっくりあげて、私のことをまっすぐに見る。
一つ一つの動作や視線をとっても、ウィンドロール家の使用人とは違う。
丁寧さ以前に、私のことをちゃんと見ている。
ウィンドロール家の使用人は、私なんていない者として扱っていた。
扱いが変わってからも、まっすぐ私を見る者はいなかった。
腫れ物に触れるみたいに。
「ですがアストレア様、私に敬称など不要です。どうぞ、ニーナと呼び捨てになさってください」
「呼び捨て……」
あまり他人を呼び捨てにするのは慣れていない。
そもそも、名前を呼ぶこと自体も少なくて、新鮮な気分だ。
ここは一つ、小さな勇気をもって前に進もう。
せっかく新しい生活が始まるのだから、私も少しは頑張らないといけない。
「ニーナ、着替えの用意をしてくれてありがとう」
「褒めていただくようなことはしておりません。当たり前の仕事をしただけですので」
「ううん、そんなことないよ」
その当たり前が、私にとっては特別なんだ。
「ありがとう。そこに置いてくれるかな?」
「お着替えをされないのですか?」
「するよ。今から」
「……まさか、ご自身でお着替えをされるおつもりですか?」
「そうだけど」
ニーナはキョトンと首をかしげて尋ねてくる。
ここでハッと気づく。
貴族の令嬢というものは、着替えを使用人にお願いするのが普通だった。
お姉様もそうしていたように。
ウィンドロール家で私が過ごしてきた日々は普通じゃない。
改めて実感する。
私はこれまで、貴族らしい生活なんてしてこなかった。
数秒の沈黙を挟む。
「失礼ながら申し上げます。もしもよろしければ、私にお着替えのお手伝いをさせていただけませんか?」
困っている私に気を遣ってか、ニーナは自らそう言ってくれた。
私は僅かに間を空け、頷く。
「じゃあ、お願いします」
「かしこまりました」
ニーナが着替えの服を用意し、私の動きに合わせて着替えさせてくれる。
なんだかちょっとむず痒い。
最近ではウィンドロールの屋敷でもやってもらっていた。
けれどあの時とは違う感覚がある。
初対面の相手だから、というのもあるのだろう。
ちょっぴり落ち着かない。
「アストレア様」
着替え中、ふいに彼女が私の名前を呼ぶ。
「なに?」
「私に遠慮なさらないでください。ここはウィンドロール公爵のお屋敷ではありません」
「ニーナ?」
「アストレア様がお越しになられる際に、シルバート殿下より事情は伺っております。もちろん、詳細なことを聞いたわけではありません。ただ、アストレア様が私に遠慮される理由がわかる程度には聞いております」
彼女は淡々と着替えを進めながら私に説明する。
私の担当をする前に、シルバート殿下から今日までの経緯を簡単に共有されているらしい。
シルバート殿下と婚約する前、ウィンドロール家でどういう扱いを受けていたのか。
二人の聖女はいろんな意味で有名だった。
王城で働いているのなら、貴族でなくても耳にする機会はあっただろう。
有能な姉と、無能な妹。
私は、無能な妹のほうで、周囲の扱いは酷かった。
「アストレア様が感じた苦悩を、私などが推し量ることはできません。ですがご安心ください。殿下に任されている以上、アストレア様のここでの暮らしを私は全霊をもってお支えします。ですから、我慢なさらないでください」
「――!」
我慢しなくてもいい。
なぜか彼女のセリフに、シルバート殿下の姿が重なる。
「着替えは終わりました」
いつの間にかニーナは仕事を終えていた。
何の問題もなく、窮屈さも感じない。
完璧な仕事をして、一歩下がる。
今の言葉が本心なのか。
それとも建前なのかはわからない。
どちらだとしても、私にとっては嬉しい言葉だった。
「ありがとう」
「感謝など必要ありません。これからは遠慮なくお申しつけください」
殿下の傍にいる人は、みんな優しくて素敵な人ばかりなのだろう。
私は胸に温かさを感じて、思わずじーんと目が潤んだ。
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