12.もう一度会えるまで
殿下が訪れた翌日。
私は何気なく、廊下を一人で歩いていた。
通り過ぎる使用人が頭を下げていく。
一人一人に応えたり、一々歩く速度を調整するのは面倒だった。
かといって無視するのも違う気がする。
無視されるのは悲しいことだ。
私は、これまで自分にされて嫌だったこと、他の誰かにしたくなかった。
本当に皆、私に対する態度が変わった。
ただ、一人だけ例外がいる。
「いい御身分ね」
「――お姉様」
お姉様は私の行く手を塞ぐように、堂々と立っている。
私は立ち止まり、お姉様と向き合う。
「随分と偉そうにしているみたいじゃない?」
「別に偉そうになんてしていないよ」
「何よ、口答えする気?」
「――!」
お姉様は私を睨みつける。
周りはみんな私に優しく丁寧になった。
お父様でさえ、私のことを気遣うようになった。
けれどお姉様だけは違う。
今まで通り私に強く……ううん、今まで以上に辛く当たるようになった。
「わかってる? あなたは無能のままなのよ。聖女の癖に奇跡も起こせないでしょう?」
「……」
「なんとかいいなさいよ」
「……ご、ごめんなさい」
言い返せない。
奇跡が起こせないのは事実だし、聖女としてどちらが優れているか問われたら、みんなお姉様を選ぶだろう。
私が一番よくわかっている。
自分と、お姉様との差を。
未だにどうして、シルバート様が私を選んでくれたのかわからない。
ただ、選ばれたという結果があるだけで、私は少し前向きに生きられる。
「急いでるから、もう行くね」
「待ちなさいよ」
「っ……」
立ち去ろうとした私の腕を、お姉様は乱暴に握る。
「い、痛いよお姉様」
「うるさいわね。あなたが私にふざけた態度をとるからでしょ?」
「ほ、本当に急いでるから」
私はお姉様の手を振りほどこうとした。
本当は急いでいるわけじゃない。
けれど、すぐにでもこの場から立ち去りたい、お姉様から逃げたいと思ったから。
その態度が逆に、お姉様を余計苛立たせてしまった。
「私に口答えするんじゃないわよ!」
「――!」
お姉様は手を振り上げる。
叩かれる。
そう思った私は恐怖で目を瞑った。
「やめなさいヘスティア!」
「「――!」」
その時、お父様の怒声が響く。
お姉様の振り上げた手は、振り下ろされることなく制止される。
廊下の反対側にお父様が立ち、私たちを見ていた。
少し呼吸が荒い。
叫んだからではなく、きっと急いでかけつけたのだろう。
使用人の誰かが、私たちがもめていることに気付き、お父様に報告したに違いない。
お姉様もそう思い、周囲を睨む。
「アストレアは行きなさい」
「は、はい」
「ヘスティア、お前は私の部屋に来るんだ」
「……はい」
不服そうに私を睨み、お姉様はお父様に連れられて行く。
誰かはわからないけど、報告してくれたおかげで叩かれずに済んだ。
私は使用人たちが隠れている方へ向き、軽く頭を下げて歩き出す。
◇◇◇
父に連れられたヘスティアは、苛立ちながら執務室に入る。
ウィンドロール公爵は椅子に座り、ため息をこぼしながらヘスティアに尋ねる。
「なぜあんなことをするんだ?」
「アストレアが私に不遜な態度をとったからです」
「……わかっているのか? アストレアは今、シルバート様の婚約者だ。それはつまり、殿下の庇護下にいるということ。しかもそれを両国が承認している」
「っ……だから何だというのですか」
ヘスティアは唇をかみしめる。
問いかけながら、本当はすでに理解している。
彼女を害することがどういう意味を持つのかを。
それでも、心が認めたくないと叫んでいた。
「わかるはずだ。アストレアに危害を加えるな」
「危害ではなく躾です! 今までだってそうしてきたじゃないですか!」
「今までとは状況が違うと言っているんだ!」
「お父様はどっちの味方なんですか? 私よりアストレアのほうが大事なんですか?」
ヘスティアは涙目になりながら叫んだ。
今までずっと味方をしてくれた父でさえ、アストレアを庇うような言動や行動をとっている。
それが腹立たしく、悲しかった。
自分の味方が誰一人としていなくなってしまったような喪失感。
しかし、奇しくもその感覚は、これまでずっとアストレアが感じていたものと同じ。
アストレアが満たされていくのと対照的に、ヘスティアは零れ落ちていく。
今まで積み重ね、培ってきた自信が。
◇◇◇
あれから、お姉様は私に何もしてこない。
廊下であっても無視されるし、私から話しかけることもない。
お父様が注意してくれたお陰だろうか。
よかったと思うべきなのに、なぜだか胸騒ぎがする。
嵐の前の静けさのように、不気味だった。
そして……。
「な、なにこれ……」
嵐は起こった。
いつものように新薬の研究を始めようと部屋に行くと、部屋の中が荒らされていた。
棚の本は破られ、素材も床に転がっている。
作成途中だった新薬のサンプルも入れ物が割れて、床に零れてしまっていた。
「あら? 大変みたいね」
「――お姉様」
そこへお姉様がやってくる。
私は直感的に思う。
「お姉様がやったんですか?」
「酷いわね。私じゃないわよ」
「じゃあどうしてここに?」
「心配で様子を見に来たのよ。姉として普通のことでしょう?」
白々しく笑みを浮かべるお姉様に、背筋が凍る。
これまでお姉様が見せた笑顔の中で、今見せた笑顔が一番怖かった。
「証拠なんてないのに決めつけるのは最低よ」
「……」
確かに証拠なんてない。
でも、お姉様以外にこんなことをする人はいない。
今はそう断言できてしまう。
だって、顔に書いてある。
いい気味ね、と。
「あなたみたいな最低な人間と婚約するなんて、シルバート殿下も人を見る目がないわね」
そう言って笑いながら去って行く。
私は思い出す。
しばらく耐えてくれと、殿下が別れ際に言っていたことを。
これがそうか。
殿下の瞳は知っていたのかもしれない。
「殿下……」
次に会えるのはいつ?
それまで私……耐えられるのかな。
「とにかく落ち着きなさい。気持ちはわかるが、あからさまな行動は慎むんだ」
「……ふふっ、だったら私だとわからなければいいんですね?」
「――? 何をする気だ」
「内緒ですよ。お父様に話したって意味はありませんから」
ヘスティアの心はどす黒く染まっていく。
もはや誰も信じないと言わんばかりに、不敵な笑みを浮かべていた。