歴史は繰り返す②
遅くなりましたが、第三章の続きです。
3
「ミルテ、待って!ねぇ、ミルテってば!」
グラミスキャッスルの複雑な回廊を足早に歩くミルテを追って、シレネは小走りになっていた。
「ねぇ、私たちルカ様のお傍にいなくていいの?」
「お傍に?」
そう繰り返して、ミルテは足を止めた。そして投げやりに言う。
「お部屋にすら入れてもらえないのに!」
「それは……」
と、シレネはうつむいた。
そんなシレネに、ミルテは食ってかかる。
「アタシたちはずっとルカ様にお仕えしてきたのに、なんでショウなの?なんでショウがルカ様のお傍にいられて、アタシたちは外で待ちぼうけなのよ!」
「仕方ないよ。ルカ様がそれを望まれたんだから」
シレネはミルテをなだめるようにそう言った。しかし、ミルテの怒りはおさまらない。
「あいつはヴォルフなのよ……」
ミルテの瞳が憎しみの色に変わる。
「ミルテ……」
「醜く卑しいヴォルフなのよ……。なのに、なんでルカ様はショウのことばかり……」
「ショウだからじゃないかな」
シレネのその一言に、ミルテは眉をひそめた。
シレネは言葉を探りながら続ける。
「ほら、ショウって純粋で真っ直ぐで、人を惹きつける力があるっていうか……。なんていうか、私たちの知ってるヴォルフとは違うじゃない。だから、ルカ様もショウを傍に置くことをためらわないんじゃないかな」
「アタシたちの知ってるヴォルフとは違う?」
「そう、そうだよ。だから……」
「アタシたちの知ってるヴォルフって何?」
「え?」
予想外の反応に、シレネは面食らった。次の言葉が浮かんでこない。
ミルテは肩を震わせながら続けた。
「あんたは何も知らないじゃい。この国でぬくぬく育ったあんたは、結局何も知らないのよ」
「ミルテ……」
「教科書でしか見聞きしたことのないあんたに、ヴォルフの本当の恐ろしさなんてわからないのよ!」
「確かにそうかもしれない。私はミルテみたいに、直接ヴォルフに恨みがあるわけじゃないもの。でもね、それでもショウは違うと思うの。うまく言えないんだけど……」
「何も違わないわよ。ヴォルフはヴォルフよ!いつか必ず牙をむくわ」
ミルテの言葉は憎悪に満ちていた。彼女の悲痛な過去が、ヴォルフに対する異常なまでの憎しみを増幅させているのだった。
「ミルテ……。どうして、そこまで?」
今まで二人でローゼンシュトルツに迷い込んだヴォルフを助けてきた。ミルテは嫌々やってきたのかもしれないが、少なくとも二人が出会ってきたヴォルフは「悪」と完全に言い切れる者たちではなかった。
「リボルバーヘルトで、何があったの?」
シレネは恐る恐る聞いてみた。今まで聞きたくても聞けなかったミルテの過去を。
ミルテは静かに重い口を開いた。
「味わったのよ……。地獄のような屈辱を」
悲痛な叫びが雫となって、ミルテの瞳から流れた。
4
小鳥のさえずりが聞こえて、ショウはゆっくりと目を覚ました。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。窓からは、日の光がまぶしいくらいに差し込んでくる。あまりにまぶしいので、手で遮ったほどだ。
(もう朝か……)
ショウは、ふと辺りを見回した。隣にいたはずのおばばはもういなかった。帰ってしまったのだろうか。
そして、
「ルカ!」
ベッドにいたはずのルカの姿も見えない。
ショウは慌てて部屋を出た。廊下を左右見回す。誰もいない。
(どこ行ったんだ、あいつ?まだ動ける身体じゃねぇのに!)
ショウはルカの名を叫びながら、城内を探して回り始めた。
ルカはある一室に、重い身体を引きずりながら向かっていた。そこは、女王陛下と四天王が集う広間。大事な会合を行う場合は、必ずそこに集合することになっている。
その部屋の前まで来ると、ルカは短く息をついた。そして、背筋を伸ばして胸を張り、堂々と扉を開いたのである。怪我の痛みなど微塵にも感じさせずに、悠然と構えて床を踏みしめていく。
部屋ではすでに女王とルカを除く四天王がそろっていた。
長テーブルの中央に女王が鎮座し、左右に分かれて四天王が座っている。
ルカは女王に歩み寄ると、深々と頭を下げた。
女王ロゼは、頭を下げるルカに言葉をかける。
「傷はもう良いのですか、ルカ?」
「はい。さほど深い傷ではございません」
顔を上げることなく答えるルカを、ロゼはじっと見つめた。長い髪を高い位置できつく縛り、輝かしいばかりの貴金属で飾っている。前髪も上げているせいか、彼女の瞳がひと際大きく見えた。美しく繊細なレースをふんだんに使用してあつらえたドレスは、戦場の女神ではなくビスクドールのようだ。
ルカが顔を上げないのを、ロゼは内心ほっとしていた。今ルカと目が合ってしまったら、何を言うかわからない。
ルカの傷が軽いものではないことを、ロゼは痛いほどよくわかっていた。だからこそルカの顔を見たら、飛びついて泣いてしまいそうだったのである。
ロゼはできる限り自分の唇を平静に動かした。
「そう……ですか……」
するとルカは顔を上げた。そして、ロゼの意思にうなずくように、優しい笑みを向ける。
「陛下のお心遣い、有り難き幸せにございます」
と、一礼してルカは退いた。
「では、昨夜の事件について会議を始めましょう」
そう口を切ったのは、リリィだ。
「アイリスさん、陛下を襲ったヴォルフについて、何かわかったことはありますか?」
「ええ、もちろんですわ。あの者たちは、リボルバーヘルトの者でしたわ」
「リボルバーヘルトの?」
リリィの顔が険しくなる。
アイリスは抑揚なく続ける。
「しかも、国王であるヨーゼフの配下の者……。つまり、国王の命でローゼンシュトルツへ侵入し、陛下を亡き者にしようとしたのですわ」
「なんという恐ろしいことを……。でも、よくそこまで白状させられましたね」
「まあ、ちょっと痛い目をみてもらったんだけどねぇ」
と、ネルケが口を挟んだ。
「指をちょいちょいとね……」
そう言って、ネルケは自分の指を一本ずつ通常とは逆方向へ折るしぐさをして見せた。
「片手はもつかと思ったけど、案外もろかったわね。ねぇ、アイリス?」
「そうですわね」
と、アイリスは冷笑した。
その様子に、リリィは不快そうな顔をし、ルカは諌めるように鋭い視線を送った。
アイリスはルカの視線に気づくと、睨み返すどころか妖艶な笑みを浮かべて、フンと鼻で笑った。拷問したからこそここまで聞き出せたのだと言っている様だ。
リリィは、わざとらしく咳払いをした。二人のにらみ合いを中断させるために。
「それでアイリスさん、逃走した残党の行方はわかりましたか?」
「現在、捜索中ですわ。まあ、見つかるのも時間の問題ですわね」
「わかりました。では、これからリボルバーヘルトに対してとる我が国の対策ですが……」
「戦争でもしちゃう?」
と、ネルケがニヤリと笑った。
「ネルケさん、何を言い出すんですか!」
「冗談よ、冗談。そんなに怖い顔しなくてもいいでしょう、リリィ」
「冗談にもほどがあります!」
「ですが、国王がわが国の女王暗殺を計画したのは事実ですわ。これが何を意味するのか、おわかりでしょう?」
アイリスは妖艶な笑みを浮かべながら、身を乗り出した。
「いずれあの国とは雌雄を決しなくてはならなかったのですもの。時が早いか遅いかだけのことですわ。それに、先代の国王が死去してからのリボルバーヘルトは、以前にも増してヴィーネを抑圧し、ローゼンシュトルツに移住を望むヴィーネをことごとく処罰していると聞きますわ。これ以上あの国を野放しにしておけば、リボルバーヘルトに残る我々の同胞を見殺しにすることになりますわよ」
「そうね。私もアイリスの意見に賛成。やつらは『薔薇の革命』がなぜ起きたのか、ちっともわかっちゃいない。未だに私たちヴィーネを力ずくでどうにかできると思っているんだから。女王陛下の暗殺計画がいい証拠よ。それで私たちが恐れをなして言うことを聞くとでも思ったのかしら?」
と、ネルケは嘲笑った。
「浅はかですわね。自らの首を絞めるとも知らずに……」
アイリスも続けて冷笑する。
「ともかく、私はリボルバーヘルトへの進軍を提唱しますわ」
そうアイリスは声高々に宣言した。
リリィは慌てて首を横に振る。
「ちょっと待ってください!確かに、リボルバーヘルトをこのままにしてはおけませんが、だからって戦争は安易過ぎます!戦争になれば、民に負担をかけることになるんですよ!」
「ヴォルフを駆逐するためなら、民は喜んで戦いに赴きますわ。それに、いずれ訪れる『第二次薔薇の革命』のために、軍備の増強と軍資金の確保はすでに行っていますのよ。ねぇ、ネルケ?」
「そのとおり。つまり、いつでも準備オッケーなのよ、ローゼンシュトルツは」
そう言って、ネルケは、あろうことかウインクをして見せた。
リリィは、目を皿にしてネルケを見た。
「ネルケさん、あなたは今まで勝手に国の財政を……?」
「それが私の役目だから」
と、ネルケはほくそ笑む。
リリィは呆れてものも言えなかった。最初からアイリスとネルケは『第二次薔薇の革命』を起こすべく動いていたというのだ。アイリスが度々理由をつけて行っていた“薔薇の決闘”も、おそらく民衆の意思を戦争へと移行させる手段の一つだったのだろう。
リリィは助けを求めるべくルカの表情をうかがった。ルカの表情は硬く、何か考え込んでいるようだ。
「ルカさん、ルカさんの意見も聞かせてください」
リリィが言うと、アイリスは、蛇のような目でルカをにらみつけた。
アイリスの鋭い視線をものともせず、ルカはゆっくりと口を開いた。
「私は、戦争には反対です。むしろ、それこそリボルバーヘルトの思うつぼではないでしょうか」
「それはどういう意味かしら?」
「なぜ、国王は女王暗殺を目論んだのでしょうか」
「だから、それは私たちを言いなりにするために……」
と、ネルケが顔をしかめた。
「本当にそうでしょうか。私は、国王が戦争をけしかけるために、刺客を送り込んだとしか思えません」
「ならば逆に好都合ではありませんこと?向こうも戦争がしたいというのなら、こちらも受けて立つまでですわ」
アイリスはそう強く言い放った。
それに対し、ルカはおもむろに首を振った。
「向こうが戦争をする気でいるなら、こちらは完全に不利でしょう」
「なんですって?」
「アイリス、あなたは負ける戦をしかけますか?」
ルカの問いに、アイリスは言葉を失った。
「勝つと信じているからこそ、向こうはわざわざ我々の神経を逆なでするようなことをしてきたのです。このまま戦争になれば、地獄を見るのは我々のほうです」
「ローゼンシュトルツが負けるとおっしゃるの?『薔薇の革命』に勝利したヴィーネが、ヴォルフごときに敗れるとおっしゃるの!」
アイリスは声を荒げた。
ルカは取り乱すアイリスを冷静な眼差しで見据えた。そして、静かに言った。
「そもそも、ヴィーネは『薔薇の革命』に勝利したのでしょうか?」
「何を……!」
「ルカさん?」
ルカの言葉に、その場にいた誰もが息を呑んだ。
「何を言ってるんですか、ルカさん?私たちヴィーネが勝利したからこそ、ローゼンシュトルツという国ができたのですよ」
「いいえ、リリィ。本当に勝利したのならば、ローゼンシュトルツという閉ざされた国は生まれなかったでしょう。ヴィーネは、真の平和と平等を勝ち取ることはできなかった……。だから門を閉ざし、難攻不落の砦に逃げ込んだのです。そして、ヴォルフを排除し蔑むことで、『薔薇の革命』の勝利を謳い、ヴィーネの誇りを保持しようとしたのです」
「いい加減になさい、ルカ・クレアローズ!」
アイリスは激高して叫んだ。
「黙って聞いていれば……。あなたのおっしゃっていることは、女王を侮辱するだけでなく我々ヴィーネをも侮辱していますのよ!」
「私は事実を言っているまでです。アイリス、あなたも心の底では解っているはずです。だから、あなたはもう一度『薔薇の革命』を起こそうと考えたのではありませんか?」
ルカの問いに、アイリスは唇をかんで押し黙った。
ルカは続ける。
「けれど、おそらくもう一度『薔薇の革命』を起こしたところで、過去の惨劇を繰り返すだけでしょう。憎しみからは憎しみしか生まれない。私たちはそれを目の当たりにしてきたはずなのに、なぜまた同じ過ちを繰り返そうとするのです?」
「ならば、どうするとおっしゃるの、ルカ・クレアローズ?」
「私がリボルバーヘルトへ行きましょう」
ルカの一言に、四天王の三人は顔を見合わせた。
アイリスが訝しむように、ルカを見る。
「行って、どうなさるおつもり?」
「国王に謁見し、女王暗殺計画の真意を問いただします。国王が本当に戦争をしたがっているならば、私には止める義務があります」
「なるほど……。結論はそれからでも遅くはありませんわね」
と、アイリスが微笑を浮かべた。
「ダ、ダメです!」
そう制したのは、リリィだ。
「リボルバーヘルトの国王はかなりの好色家と聞きます。そんなところへ行くなんて、何かあったらどうするんですか!」
「大丈夫ですよ、リリィ。ヴォルフであろうと一国の王。何かあれば、それこそ国の品位が問われます。そこまで傍若無人な人物でもないでしょう」
「でも……!」
「私が行かなくて誰が行くのです?外交を司る者として、相手国を訪問することは当然の責務です」
「ルカさん……」
心配そうに見つめるリリィを、ルカは優しい笑みで包み込んだ。
ルカにはそれなりの覚悟があった。リボルバーヘルト、そこにはあの『薔薇の革命』を生んだ元凶が未だはびこっている。それでも行かなければならないと、ルカは覚悟を決めていた。戦争を起こしてはならない。これ以上悲しみや憎しみを増やしてはならない。互いが手を取り合い、愛し合える世界を創るために。
5
「ミルテ、馬の用意をお願いします」
ルカにそう頼まれて、ミルテは少し慌てた。
いつものように馬の世話をシレネとともにしていたところへ、突然ルカが現れたのだった。
「ルカ様、もうお怪我は大丈夫なんですか?」
ミルテは驚いた口調で言った。馬の毛並みを整えるためのブラシを、思わず落としてしまったほどだ。
ルカはそんなミルテに優しく微笑みかけた。落ちたブラシを拾って、彼女に手渡す。
「ええ」
「でも、あんなにひどいお怪我だったのに……」
「あれほどの騒ぎが起きたというのに、四天王の私が眠っているわけにはいきませんからね」
「でも、もしもお身体に何かあったら……」
「ありがとう、ミルテ」
そう言うと、ルカは心配そうに気遣うミルテの手を、両手で包み込むように握った。
ミルテは恍惚としてルカを眺めた。そして、握られた手の温もりを確かめる。ルカの温もりは、ミルテにとって心の休まるものだった。どんなに辛いことも、ルカの温かい瞳が癒してくれる。
(ルカ様……)
ミルテはルカを見つめた。ルカの温もりや優しさを感じるたびに、ミルテは心に誓うのである。この人のために、全てを捧げようと。
「ルカ!」
どこからかそう声がして、ミルテは我に返った。すると前方からショウが走ってくるのが見えた。
ショウは、ルカの傍へ寄るなり声を張り上げて怒鳴った。
「おまえ、今までどこ行ってたんだよ!」
「ショウ……」
あまりの剣幕に、ルカは少し面食らう。
「おまえ、怪我人だろ。おとなしく寝てろよ!」
「そういうわけにもいきませんよ。四天王としての仕事が山ほどありますから」
「四天王だろうが何だろうが、おまえは今、怪我人だっつーの!」
「ショウ……」
自分の身を案じて言ってくれているだけに、ルカは困った顔をするしかなかった。
そこへミルテがぴしゃりと窘めた。
「ショウ、あんたルカ様に向かってなんて口の利き方するのよ!」
「あ?」
と、ショウはミルテを見た。
「ルカ様はこの国のために、一生懸命力を尽くしてくださってるのよ。それを軽々しく、怪我人だから寝てろ、だなんて……!失礼だとは思わないの?」
「なんだよ、俺はルカのことを思って……!」
「だいたい、その言葉遣い!ルカ様を呼び捨てにするなんて、無礼にもほどがあるわ!」
「は?」
ショウは顔をしかめた。
「友達なんだから、別にいいじゃん」
「な、友達?」
ミルテは面食らった。仮にも四天王の一人であるルカに対して、ショウの“友達”発言は予想外であったのだ。呆れてものが言えないとばかりに、ミルテは口をパクパクさせる。
その横で、ずっと黙って見ていたシレネがクスクスと笑った。
だが、ミルテが笑い事じゃないと睨みつけると、シレネはばつが悪そうに肩をすくめた。
ミルテはキッと鋭い目つきでショウを睨んだ。ふざけているのではない。本当に頭にきていた。
「あんたねぇ……」
「よしなさい、ミルテ」
見かねたルカが窘めた。
「ルカ様……」
「ショウの言うとおり、私たちは友達です。ショウが私をどう呼ぼうがいっこうにかまいません」
「でも……ショウはヴォルフなんですよ?」
「ええ、そうですね」
「ルカ様……どうして……?」
「ミルテ、私はあなたのことがとても大切です。ですがそれは、あなたがヴィーネだからではありません。あなたという人が、私にとってとても大切なのです。ショウに対しても、私は同様に思っています」
「でもアタシは……」
ミルテはうつむいた。ルカの言いたいことは解っている。それでも、どうしてもミルテには受け入れられなかったのである。
「ミルテ、ヴォルフが憎いというあなたの気持ちは解ります。だから、あなたにヴォルフを憎むなとは言いません。ただ、信じてほしいのです。全てのヴォルフが憎むべき存在ではないことを」
「アタシには……できません……」
ミルテの声はかすれていた。
「アタシはヴォルフなんて信じられません!ヴォルフはヴォルフです!必ずアタシたちに牙を向く。そいつだって、いつルカ様に手を出すかわかったもんじゃないわ!」
「なっ!」
「ヴォルフはみんな同じよ……。みんな鬼畜だわ!アタシたちの敵なのよ!」
「何だよ、その言い方!黙って聞いてりゃ、好き放題言いやがって!」
さすがのショウも頭にきて言い返す。
「だいたい、おまえは単に、意地張ってるだけだろ!敵だとかなんだとか言って、結局ヴォルフを助けてんじゃねぇか!」
「それはルカ様のためよ!」
と、ミルテも言い返した。
「アタシは、ルカ様のためなら何だってする。ルカ様はアタシの恩人だから。ルカ様がいなかったら、アタシはずっと地獄を味わい続けなきゃならなかったんだもの!」
「ミルテ……」
ルカは沈痛な面持ちでミルテを見つめた。ミルテの言葉がルカの心を締め付ける。彼女がルカの正体を知ったら、どんな顔をするだろう。心酔するルカがヴォルフだと知ったら……。
「私は決して忘れない……。あの日の屈辱を」
ミルテは唇をかんだ。
「私は決して許さない。リボルバーヘルトでの残酷な仕打ちを!」
「リボルバーヘルト……」
ショウは繰り返した。そこで、ミルテの身にいったい何が起きたというのだろうか。なぜ、ミルテはここまでヴォルフを憎むのか。
「いったい何があったんだ?そのリボルバーヘルトで」
「何があった?……あんたたちヴォルフが一番良く知ってるんじゃないの?」
「何言って……?」
「自分の胸に手を当てて聞いてみなさいよ。自分たちが何をしてきたのか!」
「あのなぁ、おまえの言ってること、全然意味がわかんねぇよ!」
「だったら、わかるまで考えることね!」
そう言い放つと、ミルテはその場から走り去ってしまった。
シレネが慌ててミルテの後を追う。
ショウはわけがわからず立ち尽くしていた。ミルテが何をそんなに怒っているのか、今のショウには想像もつかなかったのである。
「わけわかんねぇよ、あいつ」
「ショウ」
と、ルカは眉をひそめるショウの肩に、優しく手を置いた。
「私と共にリボルバーヘルトへ行きましょう」
「え?」
「あなたは知らなくてはなりません。ミルテの怒りの理由を。ヴィーネの心の叫びを」
ルカはそれだけ言うと、馬に跨った。そして、ショウに手を差し伸べる。
ショウはそれに従った。
(ヴィーネの心の叫び……か……)
最後まで自分に向けられていたミルテの鋭い瞳が、ショウの頭から離れなかった。憎しみ、恨み、そして深い悲しみのこもった瞳が。
リボルバーヘルト、そこに答えがあるというのか……。
「ミルテ、ミルテ!」
走り去っていくミルテを追っていたシレネは、森の中でミルテを見失ってしまった。シレネの中で、複雑な想いが駆け巡る。
ミルテの過去を知ったとき、シレネはヴォルフの恐ろしさ痛感した。ミルテが受けた屈辱は、想像を絶するものだったに違いない。それに比べて、自分はなんて平和な日々の中にいたのだろう。ローゼンシュトルツという国が、自分にどれほど平和と安らぎを与えてくれていたことだろう。ヴォルフは、やはり憎むべき存在なのか。
(だけど……)
シレネは迷っていた。そして、ルカの言った言葉を思い出す。
『信じてほしいのです。全てのヴォルフが憎むべき存在ではないことを』
(私は……信じてみたい……)
そのときだ。茂みの奥に人の気配を感じたのは。
「ミルテ……?」
シレネは、物音がしたほうへ歩み寄っていく。ふと気づけば、赤黒いものが地面や草の葉に点々とこびりついているではないか。シレネは一目見て、これが血であることを悟った。そうなれば、茂みの奥にいるのはミルテではない。
シレネは息を凝らして近づいた。一歩、二歩と慎重に。
そして、その姿をはっきりと確認したのである。
そこには、腕から血を流した黒ずくめの男がいたのである。木の幹に力なくもたれかかっているその男は、息も絶え絶えな様子で、目もうつろであった。
(ヴォルフ……!)
シレネは息を呑んだ。
今回「リボルバーヘルト」という新たな国が登場しました。「リボルバーヘルト」「ローゼンシュトルツ」ともにドイツ語です。
この作品には、ちょくちょくドイツ語が出てきます。私がドイツ好きなので…。