ヴォルフであること②
4
「女王陛下からのお達しがくだった。そこをどけ!」
女剣士は、ショウに向かって剣の切っ先を突きつけた。しかし、ショウは退こうとはしない。むしろこちらからにじり寄る勢いだ。
怖さがないと言えば嘘になる。しかし、それ以上に怒りが彼の身体を突き動かしていた。
自分の後ろで狼狽しているこの男は、殺されるためだけにこの地に立たされていたのだ。ヴォルフというだけで、この男は抵抗する術すら与えられずに放り出されたのである。
ショウはその事実に、心の底から怒りを感じていたのだった。
「ヴォルフだって、同じ命を持ってる」
ショウは言った。
「ヴォルフだって、同じ人間だろうが!」
ショウは、構えていた棒で女剣士の剣をなぎ払った。女剣士は一瞬よろめいたが、すぐに体勢を立て直した。
「人間?」
女剣士は嘲笑の笑みを浮かべた。
「ヴォルフが人間?ばかばかしい!こいつらは、人間なんかじゃない。人間なら、もっと美しいはずだわ。そうでしょう!」
女剣士は、ショウに向かって剣を振りかざした。
カキィンッ
金属音が響き、ショウが持っていた金棒から火花が飛び散る。
ショウは押し倒されそうになりながらも、棒一本で女剣士の重厚な剣を防いでいた。
女剣士はさらに剣に体重を乗せる。
「ヴォルフは卑しく醜い生き物。この世から排除すべき、邪悪な存在なのよ!我々と同じ気高く美しい人間であるはずがないわ!」
「なっ」
ショウは愕然となって、言葉を詰まらせた
。
(なんなんだ、こいつらの感覚は。ヴォルフを人間と思っちゃいない。ゴミかなんかだと思ってる。だから、平然と命も奪えるってのか?)
「おまえら、おかしいんじゃねぇのか!なんでそんな考え方しかできねぇんだよ!」
「なぜ?ヴォルフだって、同じように我々を扱ってきたではないか!我々を、欲を満たす道具としてしか扱わなかったその報いだ!自業自得なのさ!」
「そんなの、何十年も昔の話だろ!」
「時がたてば無になるというのなら、歴史など必要ない!」
女剣士の放った一撃が、ショウの小さな身体を跳ね飛ばした。ショウは後ろにいた男にぶつかり、その衝撃で二人とも地面に背を打ちつける。
「大丈夫か?」
男がクッションとなり、比較的衝撃の少なかったショウは、即座に立ち上がって男に手を差し伸べた。男は掴もうと手を伸ばす。しかし、ショウの手には届かなかった。女剣士が割って入り、起き上がる男の顔面を蹴って再び地面を這わせたのである。
「何しやがる!」
「ヴォルフは地面に這いつくばるのがお似合なのさ」
女剣士は、男の喉もとに剣を突きつけた。
「あの革命がなければ、地を這うのは我々ヴィーネだった。ヴィーネは奮起し、ようやく自由を勝ち取ったのよ。二度とその自由を汚させはしない。だからヴォルフは、我らが滅ぼす!」
女剣士は突きつけた剣を、喉もとめがけて振り下ろす。
「やめろ――っ!!」
ショウは女剣士に体当たりをくらわした。女剣士の重心が傾き、横に数歩よろめく。
「このっ!」
女剣士は、頭に血を上らせてショウに剣を振りかざした。
体当たりしたショウの態勢は万全ではない。避けられるか。
ショウは覚悟を決めた。
(くそ、こんなわけもわからない世界で、俺の人生は終わっちまうのか……)
考える余裕などないはずなのに、次から次へと過去の映像が思い浮かぶ。走馬灯のように、とはこういうことか。
カキィンッ
終わりを告げる鐘かと誰もが思った。ショウすらも、自分がこと切れたことを告げるものだと思った。しかし、こんなにはっきりと聞こえるものだろうか。剣の音、民衆のざわめき、風の音、何かがなびく音……。
ショウはおそるおそる目を開けた。自分の意志でまぶたを動かせるか確かめるように。
そこには、風にはためく白く美しい布があった。それは、マントだった。自分がよく知っている人物のマントだったのだ。
「ルカ……」
ショウを女剣士の太刀から救ったのは、美しい銀髪をなびかせ、精悍な顔つきで佇むルカ・クレアローズだったのである。
ほっと安心したからだろうか、ショウの頬を一筋の涙が伝った。
それとは逆に、女剣士は青ざめながら、目の前に現れた高貴な姿の女性にひざまずいた。
「ルカ・クレアローズ……様……」
「ご迷惑をおかけしましたね。この者は、私が責任を持って連れ出します」
「え?」
女剣士は目を皿にしてルカを見上げた。間違いなくお咎めをもらうだろうと思っていたからだ。しかし、彼女の口から発せられた言葉は、ねぎらいの言葉だったのである。
これに驚いたのは、女剣士だけではない。ショウもまた拍子抜けしたような顔をしていた。
「ちょ、ちょっと待てよ、ルカ!こいつを助けてくれるんじゃねぇのかよ!」
と、ショウは彼の後ろで恐怖におびえる男を指差した。
「こんなくだらねぇ競技を止めさせるために、あんたはここに来たんじゃねぇのかよ!」
ショウの叫びに、ルカは答えようとしなかった。口を閉ざしたまま、男のこともショウのことさえ見ようとはしなかった。
ショウは愕然とした。
「なんだよ……。やっぱりあんたもここにいる奴らと一緒なのかよ」
ショウは声を震わせた。
「あのとき語ってくれた理想の世界ってやつは、全部ウソだったのかよ。あんたのやってることは全部ウソなのかよ……?」
「ショウ……」
唇をかみ締め悔しそうにするショウに、ルカは手を伸ばした。しかし、ショウはそれを払いのける。
「ふざけんな!目の前で殺されそうな人間を助けられねぇで、何が平等な世界だ!何が平和だ!」
ショウはそう叫んで、ルカに金棒を向けた。
「もう誰も当てにしねぇ。俺がこのおっさんを守る」
「ショウ……」
「来るな!近づいたら容赦しねぇ。ルカ、あんたでもぶっ倒す!」
「ははっ!」
と、横で女剣士が一笑した。
「おまえごとき小娘が、ルカ・クレアローズ様に勝てると思っているのか!」
「うるせぇ、ババァは黙ってろ!」
「な、ババァぁ?」
女剣士の顔が怒りにゆがむ。
「生意気な小娘が!」
と、剣を振り上げる女剣士を、ルカは静かに制した。
そして、黙ってショウを見つめる。その瞳は迷っていた。このままヴォルフとショウを逃がして試合を中止させるか、それともショウを捕らえて試合を続けさせるか。
ショウの行動は正当化されるべき行動だ。だが、その行為はこの国では悪でしかない。
何が最善の策なのか、ルカは決断しかねていたのだ。
風は闘技場の砂を荒らした。砂埃が立ちこめ、対峙する彼らの目をかすめさせた。
ショウもルカも微動だにしなかった。二人は互いににらみ合うように、張り詰めた視線を交わしていた。
「ルカ・クレアローズ、何をしているのです!」
張り詰めた空気を解いたのは、その女王の一言だった。闘技場を見渡せる見物席から、声高に叫ぶ。
「私は“薔薇の決闘”を汚す者に、退去を命じたはずです!そのために、あなたはそこへ出向いたのではないのですか!」
「陛下……」
女王のその一言で、ルカは意を決した。
一歩、また一歩とショウに近づいていく。その後は一瞬の出来事であった。すばやくショウの背後に回り、延髄を圧迫して気を失わせる。力が抜けて崩れるように倒れるショウの身体を支えると、ゆっくりと抱きかかえた。
(すみません、ショウ。私はまだ、陛下の御側を離れるわけにはいかないのです)
ルカはショウを抱きかかえたまま、闘技場を後にした。
闘技場を出ると、ミルテとシレネが馬車を用意して待っていた。
ルカの姿を見るなり、ミルテはその場に跪いた。
「申し訳ありません、ルカ様。私たちがついていながら、大変なご迷惑をおかけしてしまいました」
「いいえ、ミルテ。あなたが詫びることなど何もないのですよ」
と、ルカは優しく声をかけた。
「全ては私がいたらなかった結果です。あなたたちが責められる理由など何もないのです。もちろん、ショウにも……」
「ルカ様……」
ルカは、ショウを馬車に横たわらせた。
「では、ミルテ、シレネ、ショウを頼みます」
「はい」
ミルテとシレネは深く頷いた。そして、ミルテは馬車の手綱を引いた。
遠ざかっていく馬車を見送ってから、ルカは空を仰いだ。真っ青だった空に雲がかかり始めていた。
5
気が付けば、ベッドで眠っていた。やわらかくゆったりとしたベッドに、つい我を忘れてうずもれる。
辺りは暗く、ここがどこなのかもわからない。ただ、このベッドに包まれていると、そんなことなどどうでもよくなる。それほどに心地が良かった。
ショウはしばらく横になっていたが、はたと気づいて起き上がった。
(そういえば俺、闘技場にいたはずなのに……)
ショウはベッドから起き上がると、光を求めてカーテンを開けた。
月が出ていた。もうすっかり夜になってしまったようだ。煌々と輝く月明かりに照らされて、ようやく自分の居る場所の正体が現れた。
ここは広い部屋の中だ。ベッドと一本足の丸テーブル、椅子が数個あり、そして天井にはシャンデリアがまだ光を放たずに垂れている。
(ここは……確か……)
ショウがそう思ったときだった。突然シャンデリアに灯りがともった。
「ルカ!」
「お目覚めですか、ショウ」
ルカは、いつものように優しい笑みを向けた。
しかし、ショウはその笑みを受け取ることなどできなかった。鋭い視線を向け、歯を食いしばる。臨戦態勢だ。
「試合はどうなった?あのおっさんは?」
ルカは静かに首を横に振った。
「あの後、試合は続行されました。そして彼は敗れ……」
「死んだのか……?」
「はい」
ショウは愕然とし、そして怒りに身体を震わせた。
「どうか気持ちを静めてください、ショウ」
「ふざけるな!」
ショウの怒号が響き渡る。
「くそっ、くそぉっ!」
唇をかみ締め、目に涙を浮かべて叫んだ。
たった一人の命を守れなかった自分の無力さに。そして、ヴォルフというだけで命を奪われることへのやり場のない怒りに。
「ショウ、これがこの国の現状です。私とて、あの試合を止めたかった……。あのような無意味な決闘を。しかし、私にはできませんでした。女王陛下とともにこの国を支える四天王の一人である以上、私は“ヴォルフ”をかばうわけにはいかないのです」
ルカは沈痛な面持ちで続ける。
「ですが、わかってください、ショウ。以前にあなたに語ったことは、全て私の本心です。私は本当に“ヴォルフ”と“ヴィーネ”が……男女がともに分かち合い、平等に暮らせる世界を望んでいるのです」
「いい加減にしろ!うわべばっかりじゃねぇかよ、あんたの言ってることは!」
ショウは叫ぶ。
「俺だって、あんたらのいう“ヴォルフ”だ。でもあんたに助けられた。あのおっさんだって、同じ“ヴォルフ”だ。でもあんたに見捨てられた。助かる“ヴォルフ”と助からない “ヴォルフ”がいるってことだ。あの牢屋でのことだってそうだ。俺はあんたに助けられた。でも、あそこにいたのは俺だけじゃなかった。他の奴らはどうなる?いずれ殺されるんだろう?」
ショウの涙に濡れた瞳が、鋭くルカに向けられた。
「あんたは、それで本当に平等な世界が創れると思ってるのか!」
「ショウ。私は……」
「もういい!もうあんたの話は聞きたくない!」
ショウは一直線に部屋の出口に向かう。
「ショウ、どこへ?」
「俺は元の世界に戻る!」
「宛はあるのですか?」
「ねぇよ。だけどここにいたら、どうせ俺もヴォルフだからっていつかは殺されるんだろ」
「そのようなことは、私がさせません」
「あんたがさせなくても、俺が死にたくなるんだよ!」
そう叫んで、ショウはルカの胸倉を掴んだ。
「あんたにわかるのか?男だからってだけで、殺されていく奴を目の当たりにする俺の気持ちがわかるのか?女のあんたにわかるのかよ!」
掴みかかってきたショウの目には、恐怖や不安、そして怒りが交じっていた。
ルカは立ち尽くしていた。激しく胸倉を掴まれても、その力は子供だけにか弱かった。
この幼くか弱い少年は、今、孤独にさらされている。同じ性を持った者たちが、その性を持つがゆえにむごい仕打ちを受けている。しかし、彼だけが生かされた。いつ命を失ってもおかしくない状況だった。それなのに、この少年だけ生かされたのだ。孤独。ここでは分かち合えるはずの同性の者がいない。皆、死に追いやられる。孤独。彼の気持ちを誰が解ってやれるというのだろう。
ルカは静かに彼を抱きしめた。強く自分の腕の中に包み込んだ。そして声をしのばせて泣いた。
思いがけないルカの行動に、ショウは戸惑った。先ほどまで激昂していたのとは打って変わって、気持ちが動揺する。
「お、おい、ルカ?」
ルカの瞳からひそかに流れ落ちた涙が、ショウの肩を濡らしていく。そして、力強く抱きしめた手が徐々に解けると、涙にぬれた瞳がショウの目に飛び込んできた。
「ルカ……」
「ショウ、あなたに見せたいものがあります」
そう言って、ルカはシャンデリアの灯りを消した。部屋には、月の青白い光だけが差している。
「見せたいもの?」
ショウが首を傾げていると、ルカはおもむろにマントを脱いで椅子にかけた。それから上着の一番上のホックをはずし始め、二つ目三つ目とゆっくりとはずしていく。上着をするりと脱ぎ捨てると、次はブラウスにとりかかった。ボタンを一つ、また一つとはずしていく。
ショウは呆然とその光景を眺めていた。ルカが何をする気でいるのか、見当が付かなかったからだ。しかし、ブラウスのボタンを全てはずし終えたとき、ショウの脳裏にあることがよぎった。
「ちょ、ちょっと待て、ルカ!」
と、ショウは慌てて声を上げる。しかし、ルカが手を止める気配はなかった。ゆっくりとブラウスをも脱いでいく。白く透き通るような肌が、少しずつ露わになっていった。
(な、何考えてるんだよ、ルカ?)
ショウは訝しむと同時に目のやり場に困ってそっぽを向いた。ルカの雪のような肌は気になるが、直視するわけにはいかない。
「何考えてるんだ、ルカ!服を着ろ!」
と、耳まで赤くしてあさっての方向を向きながら、ショウは言った。心拍数がどんどん上がっていくのが自分でもわかった。このままいくと、最終的に止ってしまうかもしれないと思うほどに。
しかし、そんなショウの心労をよそに、ルカは服を着るどころか、ブラウスをも脱ぎさって上半身一糸まとわぬ姿になったのである。
「ショウ」
と、ルカは悠然と構えてショウの名を呼んだ。裸体を恥らうことなしに。
「ショウ、こちらを向いてください」
「ばっ、できるわけねぇだろ!」
「あなたには、見ておいてもらいたいのです」
「見れるわけねぇだろ!男はほいほい女の裸なんて見ねぇんだよ!それをするのはエロおやじだけだ!」
「ショウ」
「だから、見れねぇって言って……!」
と、言いつつ、ついうっかり顔をルカのほうへ向けてしまった。
月の薄明かりに照らされて、ルカの裸体が白く浮かび上がる。
ショウはその絵画のような美しさに目を奪われた。いや、それだけではない。驚愕の真実がそこにあったのだ。
「ルカ、あんた……」
「そう、私は“ヴォルフ”です」
読んでくださってありがとうございます。
小説を書いていて一番楽しい瞬間は、素の自分とは違う人格になれることです。
そのキャラクターになりきって書くことで、何通りもの人生を送れるような気がして楽しいです。
そう感じるのは私だけ…かな?