過去との決別⑦
5
背中で手首を縄で絞められて、ショウは牢屋の前に立たされた。
必死の抵抗もむなしく、取り押さえられたショウは、ひとまずアイリスの元へ連行された。アイリスはあまり関心がなさそうに一瞥すると、「牢に」と短くだけ言って、ショウを執務室から追い出した。
あまりにそっけない態度が、逆に何かあるのではないかと、勘ぐってしまう。
確かに、何かあるようだった。部屋を追い出される直前に見た彼女の表情は、笑っていた。身の毛もよだつぞっとするような妖しげな笑みだった。
そして今、ショウは牢屋の前に立たされている。
「入れ」
看守の冷たい一言の後、ショウは小さな入り口から中へ押し込まれた。
かがんだ状態のまま後ろから押されて、顔面から地面に激突してしまう。
「大丈夫ですか?」
心配そうな顔でショウに手を差し伸べたのは、同房のルカだった。ショウは、ルカと同じ牢屋に入れられた。というよりも、同房になるよう仕向けたと言った方が正しいかもしれない。ごねたもの勝ちだ。
「いって。なんだよ、この扱い。おまえと全然違くね?」
地面で打って赤らんだ顔を上げながら、ショウは恨めしそうにルカを見た。
縄も鎖もかけられず、毛布とベッド、机と椅子と本まで用意されて、ちょっと贅沢な牢獄ライフを送っている。地位があるかないかの違い……。どの世界も同じだなと、ふと思ってしまう。
「ごめんなさい……は、なしな」
ショウの手の縄をほどきながら、何かを言おうとしたルカに、ショウは先回りをして言った。
図星だったのか、ルカは少し恥ずかしそうに頷いた。
ようやく縄がほどけて自由になったショウは、ベッドの上にあぐらをかいてどっしりと腰を落ち着けた。
「なんか思い出すな。最初の頃のこと」
気がつけば、牢屋で鎖につながれていたあの日。あれからどれくらいの月日が経ったのだろう。一ヶ月近く経っているような気もするが、身に起こったことがめまぐるしすぎて、まだほんの数日のような気もする。
どちらにしろ、以前よりホームシックはほとんどない。むしろ、このままこの世界で生きることを考え始めている自分がいる。
「俺って、なんでこの世界に来たのかな……」
「私が望んだからかもしれません」
ふいに漏らした言葉に、ルカは律儀に答えた。特に答えを求めて言ったわけではなかったのだが、その答えが思いの外興味深くて、ショウは身を乗り出した。
「望んだ?俺に来てほしいって?」
「ええ。というか、昔、そういう本を読んだことがあって……。早くに両親を亡くし、孤独に打ちひしがれる少年に、どこからともなく小人がやってきて、彼の孤独を癒すのです」
「てことは、俺は小人なわけね」
(確かに、俺は小さいけどな……)
と、自虐的なツッコミは、あえて飲み込む。
「あ、別に、ショウが小さいことは関係ありませんよ」
あえて飲み込んだのに、あっさりルカに口にされてしまって、ショウは苦笑した。
「ただ、自分を偽る必要のない友がほしかった……」
そう呟いたルカは、遠い目をしていた。
ルカが抱えてきた孤独感は、きっとはかりしれない。誰にも自分の本当の姿を見せられずに生きる孤独。
この国に来た当初、ショウがさいなまれた孤独と同じだ。でも、彼はもうずっと長い間、その孤独と闘ってきた。
「母は、男と知りながら、私をこの国で育てることを選択しました……」
「ああ、ローサだっけ?おばばから前に聞いたよ。女としておまえを育てるって言って……」
おばばに聞いたルカの過去を思い出しながら、ショウは言った。ルカは相変わらず遠い目をしたままだ。自分に孤独という試練を与えた母親を恨んでいるのだろうか。
「女として育てられていたなら、どんなによかったことか……」
「え?」
「母は、私を女として育ててはくれませんでした。私は男として、自分が“ヴォルフ”であることを自覚しながら育った……」
辛かった……。口には出さないが、その心情は伝わってくる。
「髪を……削いだことがありました……」
語り始めたルカの口調は、驚くほど穏やかだった。だが、そこには、ずっと言いたくても言えなかった想いが詰まっている。誰にも話せずに、ずっと心の奥にしまい続けた過去。今、ようやく吐き出して、楽になれる。
月明かりだけが差し込む部屋で、幼いルカは、鏡台に向かって泣いていた。
短剣を片手に握りしめて、がむしゃらに自分の銀色の髪を切り落としていく。肩まであった手入れの行き届いた髪は、瞬く間に見るも無惨な散切り頭になってしまった。
たまたま部屋に入ってきた母、ローサに見つかって、短剣を取り上げられた。
床に散らばった大量の髪を見て、ローサは唇を震わせた。
「なぜ、こんなことをした?」
凛として深みのある声は、怒りとも嘆きともとれない口調で、ルカに問う。
しゃくりあげながら、ルカは答えた。
「私はヴォルフです。ヴォルフは醜く汚れているのです。この顔もこの身体も髪すらも。私は生まれたときから汚れているのです」
歴史を習う授業で、ローゼンシュトルツの成り立ちを聞いた。ヴォルフに虐げられ、自由を奪われたヴィーネを先導し、救ったのが女王ロゼだ。
『薔薇の革命』と呼ばれる偉大な革命が起きなければ、ヴィーネは未だヴォルフの支配下で屈辱的な日々を送らなければならなかっただろう。そして今もなお、隣国リボルバーヘルトでは、ヴォルフのヴィーネに対する蹂躙が続いているのだ。
ヴォルフはいかに野蛮で醜いものか、このとき切々と唱えられた。もちろん、これを話した教師は、ルカがヴォルフであることを知らない。教師だけではない。その教室にいる誰もルカの正体を知らない。
その話を聞きながら、ルカは吐きそうなほどに気分が悪くなった。
ヴォルフについて意見が飛び交う。殺してしまえばいいとか、奴隷にすればいいとか、胸が悪くなるような意見ばかりあがった。
自分に向けて発せられた言葉ではないのに、それは全て自分に向けられているような気がして、ルカは自分という存在がたまらなく疎ましくなった。
鏡を見て、そこに映る姿のなんと醜いこと……。これがヴォルフ。ヴィーネを傷つけて我が物顔でのさばるヴォルフ。この顔もこの身体も髪の毛一本すら汚らわしい。
そう思うと、傷つけずにはいられなかった。ヴォルフである自分を。
短剣を鏡台に置くと、ローサはルカを抱きしめた。
「汚れてなどいるものか!」
強く抱き寄せて、ローサははっきりと言った。
「おまえの心は澄んでいる。純粋で真っ直ぐだ。何一つ汚れてなどない」
「でも、私はヴォルフです」
「ヴォルフが皆汚れているわけではない」
その言葉に、ルカは目を見開いた。母の口からそんな言葉が出てくるとは、思いも寄らなかった。
母は、女王とともにこの国を創り上げた四天王の一人だ。母こそヴォルフを憎んでいると思っていた。
「ルカ、男が悪いわけではない。女が悪いわけでもない。おのが持つ心が淀んだとき、人は汚れるのだ。ここにいる女たちは、心の淀んだ人間を見てきた。そして、今、自らの心をも汚そうとしている」
ルカの目をしっかりととらえて、ローサは離さなかった。
「おまえは、そんな女たちに手を差し伸べられる唯一の存在なのだ」
ローサの手が、ルカの頬をなでた。垂れ流した涙を丁寧に拭ってやる。
「澄んだ心は、性を越える。男も女も関係ない。おまえという一人の人間に、皆情愛を向けるだろう。今は辛くとも、おまえが自分を見失わなければ、必ず光は射す」
「お母様……」
ルカは母の胸に顔を埋めた。
「ルカ……、私の可愛い子……」
ローサもまた息子を力一杯抱きしめた。
あれから十数年、ルカは母の言葉を信じて生きてきた。だからこそ、今のルカがあるのだと、ショウは話を聞いていて思った。
自分のことより他人のことばかり心配するお人好しな性格も、光が射すことを信じて生きてきた証なのではないか。
「私の唯一の理解者であった母は、私が十五のときに国を出ました」
「え?」
まさかの言葉に、ショウは耳を疑った。
「おまえを残して、出ていったのか?」
「ええ。大切な約束があるとかで。何かは教えてくれませんでしたけどね」
遠くを見つめていたルカの視線が、やっとショウに向けられた。その瞳は、どこか爽快な輝きを放っている。
「母がいなくなって、確かに心のより所はなくなったかもしれません。でも、寂しかったわけではないのです。私には、リリィやアイリス、ネルケという幼い頃からの友がいましたから。でも、大切な友に、嘘をつき続けなければいけないことに挫けそうだった……」
そして、そうしたことに対する弱音をはける人物が、ルカの隣にはいなかったのだ。
「ショウに初めて会ったとき、素直に光が射したと思いました。これから自分が成そうとすることに希望がもてると……。そう思ったのは、あなたの強くひたむきな瞳に、母の面影を見て、つい頼りたくなってしまったのかもしれませんね」
そう言ってはにかむルカの顔を見ていると、こちらまで照れてくる。
なんとなく目を合わせていられなくなって、ショウは天井を見上げながらこめかみを掻いた。
「俺も、ルカとの出会いは衝撃だった。初めて見たとき、すっげぇ美人だなと思ったし……」
と、言いかけて、それは関係ないかと口を止める。
「なんていうか、俺はこの世界に来て、ルカと出会えて、すげぇよかったなって思ってる。辛いこともムカつくこともあったけど、ここに来なきゃ、きっと俺は何も考えずに大人になってたと思う。うまく言えないけど、俺はここに来るまで、自分のことしか考えてなかったと思う。……いや、考えてなかった」
ここに来る前の、電車に飛び乗ったときの自分を思い出して、ショウは大きく頷いた。
降りる階段が近くなるように飛び乗った車両が女性専用車両だった。急いでいるのに、なんでこんなもの作るんだと、心の中で毒づいたことをよく覚えている。たぶん、そう思ったのはこのときだけじゃない。普段から不満の塵がたまっていたのだ。
でも、この世界に来て、少なくともあの頃の考え方とは違っている。そういう意味でも、この世界に来たことは無意味ではない。
「人は、出会いとか経験とかで、価値観や考え方が変わる。俺はルカに出会えて変わった。おまえも変わった?」
ショウの問いかけに、ルカは静かに頷いた。
「何も考えず思ったままに行動するのも案外いいものだな、と」
「それって、俺が何も考えてないってこと?」
と、唇を尖らせるショウの頭を、ルカは優しくなでる。その手つきは、まるで小動物を愛撫するようだ。
(こいつ、絶対俺のことハムスターかなんかだと思ってる……)
ハムスターのように頬を膨らませて、ショウはしばしふてくされた。
「ずいぶんと楽しそうですわね」
突如、棘のある鋭い声が、牢屋内の二人を突き刺した。その冷ややかで甲高い声に、ショウとルカは恐る恐る目を向ける。鉄格子の向こうに、コツコツとヒールで床を蹴る足音を響かせながら、蒼いソバージュの髪をなびかせて歩いてくる美女を見た。アイリスだ。
牢屋の前に立って、二人を蔑むように見下ろす視線は、背筋を凍らせるほどの威力がある。
彼女の背後には、鎧をまとった兵士と、よく知った顔の少女が立っていた。
少女は、歯を噛みしめて、悶えている。よく見ると、兵士に身体を掴まれて身動きのとれない状態だった。逃れようと身悶えるたびに、ピンクの長い髪と豊満な胸が揺れた。
「ダリア!」
ショウは思わず叫んだ。
「ショウ、ごめんね。私……」
と、目に涙を浮かべながら、ダリアは何かを訴えようとしていた。だが、先にアイリスが口にする。
「ルカ・クレアローズ。あなたにはほとほと失望しましたわ。民を欺き侮辱しただけではなく、リボルバーヘルトと結託し、我が国を陥れようとしていたとは……」
「何を……?」
アイリスの言葉に、ショウはルカの方を見やった。当然ながら、ルカは身に覚えがないという顔をしている。
白々しいとばかりに鼻で笑うと、アイリスは一枚の紙を突き出した。黄みがかったその紙は、巻かれていたせいか、端が内に折れている。
「ルーダ……、この書簡の差出人の名ですわ。宛名はルカ、あなたになっていますわよ」
そこまで言って、アイリスは手紙を早々と懐にしまい込んだ。
「なぜ、リボルバーヘルトの国王の側近があなた宛てに文を書くのかしら?そして、それをなぜ、この娘が持っているのかしら?」
アイリスの口調は、かなりわざとらしかった。
「この娘を介して密書を交わし、この国をどうするつもりだったのかしらね、ルカ……?」
妖艶な笑みを浮かべるアイリスだったが、その瞳の奥は笑っていなかった。鋭い眼光で、ルカを見据えている。
ルカもまたアイリスを見つめた。
「確かに、私はダリアを介して、ルーダ殿と内々にやりとりをしていました。しかし、それはあなたの考えているようなことのためではありません。リボルバーヘルトの改革を模索する彼に、私ができる支援をしたまでです」
「口では何とでも言えますわね」
「待ってください、アイリス様!」
アイリスの背後からダリアが叫んだ。
「ルカ様のおっしゃっていることは、本当です!」
「お黙りなさい!でしたら、この書簡はどう説明しますの?なんと書かれていたかご存じかしら?」
「それは……」
急にダリアは黙り込んだ。実のところ、手紙の内容は知らなかった。二人のやりとりを恐れ多くも盗み見るなどできるはずもなく、伝書鳩によって届けられる手紙をただルカに手渡していただけだ。
今回届けられた手紙も、看守の目を盗んでルカに届けるはずだった。そこを運悪く感づかれてしまったのだ。
自分が捕まったことで、ルカにあらぬ嫌疑がかけられることは、容易に察しがついた。このことで、事態はさらに悪くなるだろう。自分の失態のせいで、ショウの大切な人を追い込んでしまうことが、悔やまれてならなかった。
「ここにあるこの書簡が、動かぬ証拠……。ルカ、あなたに弁解の余地はなくてよ」
突き放すように言うと、アイリスはマントを翻して、鉄格子の中の罪人に背を向ける。
「三日後、あなたを公の場にて、処刑いたします。私が直々に、あなたの首を落としてさしあげますわ」
ヒールの甲高い音が、地下に響きわたった。まるで、死へのカウントダウンを数えるように。コツコツコツコツと……。
三日後、そこでルカの運命が決まる――。




