過去との決別④
過去編終わりです。
「ねぇ、アイリス。聞いてるの?」
ネルケに声をかけられて、アイリスは我に返った。鏡台の前で髪をとかしていた手が、いつの間にか止まっていたことに、このときようやく気づいたのだった。
「何の話でしたかしら?」
「ルカの処刑をどうするかの話でしょ」
と、ネルケは肩をすくめた。
「そうでしたわね」
流すような軽い返事をすると、アイリスは再び髪をとかし始めた。入浴後のせいで、髪はまだ濡れている。濡れた髪などいつも見慣れているはずなのに、どうして突然あんなことを思い出したのだろうと、黙々と手を動かしながら鏡に向かって問いかけた。
「火あぶりや水責めの拷問もいいけど、もっと見せしめにできるのがいいわね。裏切り者にふさわしいような・・・・・・」
どこか楽しそうに処刑方法を考えながら、ネルケは熱めの紅茶を一口飲んだ。
綺麗な花の模様が入ったティーテーブルと肘掛椅子は、ネグリジェ姿のネルケをより艶めかしく美しく見せる。テーブルに置かれたティーカップは二つ。もう一つはまだ口も付けられておらず、湯気だけが上がっている。
アイリスとネルケは、こうしてよく寝る前に短いティータイムを興じる。二人は幼い頃から仲が良かった。どことなくタイプが似ていて、馬が合った。夜な夜な愚痴大会や自慢大会など、女の子が好きそうな話はたいていしてきた。
今日の話は、ヴォルフだと発覚したルカをこれからどうするか……だ。
最初は、ルカの容姿の話になった。どこからどう見てもヴォルフには見えない。自分たちよりは劣るが美人だという話になり、誰も気づかなかったのかという話になり、そもそもローサ様は知っていたのかという話になり……いろいろ話していて、結局どう処刑するかという話に戻ってきた。その途中で、アイリスは昔の思い出に一人耽ってしまったようだったが。
「ねぇ、アイリス」
ティーカップの淵を人差し指で撫でながら、ネルケは鏡台の前に座るアイリスに呼びかけた。鏡に映ったアイリスと視線が合う。
「まさかと思うけど……ルカのことを見逃したりしないわよね?」
ネルケの視線は、アイリスの顔を捕らえて離さなかった。ほんのわずかな揺らぎも見逃さないように、凝視したまま目を離さない。
「まさか・・・・・・」
アイリスの表情はわずかにも揺らがなかった。
「そ。よかったわ」
と、ネルケは視線を紅茶に移した。どこかつまらなそうに見えるのは、気のせいだろうか。
「私が昔からルカを嫌っていたことは、知っているでしょう?どこかの誰かさんのように、温情をかける理由など、何一つありませんわ」
「それもそうね」
あっけらかんとして紅茶を飲むネルケの前に、髪をとき終えたアイリスが座った。少しさめてしまった紅茶に口をつける。
「ルカの処刑方法については、私にいい案がありますの」
「どんな?」
ネルケの目が好奇心の色に染まる。
「それは当日のお楽しみですわ」
「なにそれ、つまんない」
ネルケはわざとらしく口を尖らせて見せたが、すぐに真顔に戻った。戻さざるを得なかった。アイリスの冷徹な目に、恐怖を感じてしまったからだ。
「ルカ・クレアローズ、私を……ローゼンシュトルツを裏切るとどうなるか、思い知らせてさしあげますわ……」
ティーテーブルの上で、紅茶が小さく波打った。
自分が震えていることに気付いた時、ネルケは紛らわすように紅茶をいっきに飲み干したのだった。