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緋の砂  作者: みーねこ
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過去との決別③

「さ。着きましたわよ」


 馬をひと鳴きさせて止まらせると、アイリスは颯爽と降り立った。ルカも慌てて馬から降りる。

 馬を走らせること数十分。ルカがアイリスに連れてこられた場所は、市門の前だった。


「アイリス、いったい何を?」

「市門の外に出ますわ」

「え?そんな、危険です!もしヴォルフと鉢合わせでもしたら……」

「好都合ですわ。ヴォルフの首を落とせば、私はさらに剣士としての名声を上げますもの」


 怖気づくルカと対照的に、アイリスは妖艶な笑みを浮かべる。


「ルカ、女は強くなくてはなりませんのよ。あなたのように、ただ護りに入るだけの剣では、この国の未来を担うことなど到底できませんわ。あなたは、女王陛下の期待を一身に背負っていますのよ。ここで、怯んでいてどうしますの」


 アイリスは、もっともらしい言葉でルカを説き伏せる。


 しかし、ルカは眉尻を下げて逡巡している。市門の外にいるヴォルフが恐ろしいというのもあったが、何よりも自分がこの市門から一歩でも外に出れば、もうこの国には帰ってこられないかもしれない不安があったからだ。母ローサからも、ローゼンシュトルツから出ることを禁じられていた。


 いっこうにはっきりしないルカの態度に、アイリスは吐き捨てる。


「軟弱者!もういいですわ、私一人で行きます」

「あ、アイリス!」


 ふんっと顎を捻ると、ルカが止めるのも聞かずにとっと先に市門から外へ出ていってしまった。

 アイリスがくぐったのを見届けて、門は重々しい音を響かせながら閉まった。


(どうしよう……)


 半ば泣きそうになりながら、ルカはまだおろおろと門を見つめていた。




 その頃、アイリスは一人でスタスタと道を進んでいた。万が一、ヴォルフと遭遇したときに備えて、腰に差した剣には常に手を添えておく。


 市門を一歩外に出ると、そこは森が広がっていた。数十メートルほどまでは、道が整備されているので、そこを通れば問題ないが、その先は道のない樹海が広がっている。気をつけなければ迷い込んでしまい、戻ってこられなくなるだろう。


 整備された道を突き進み、左へと進路を曲げると大きな川が見えてくる。この川こそが、ローゼンシュトルツとリボルバーヘルトを分断する大河だ。

 この辺りまで来ると、もうローゼンシュトルツの市門は見えなくなっているし、ヴォルフとの遭遇率もかなり高くなる。


 アイリスは、よりいっそう警戒心を強めた。


 時折後ろを振り返るのは、ルカが追いかけてこないか確かめるためである。


(あの弱虫、結局来ませんわね。女王陛下は、あの臆病者に何を期待しているとおっしゃるのかしら)


 女王に頭をなでられるルカを思い出して、アイリスは無性に腹が立ってきた。


(見ていらっしゃい、ルカ。私がここでヴォルフを血祭りに上げて英雄となったとき、あなたは市門すら出られなかった臆病者と嘲笑って差し上げますわ!)


 アイリスの足取りは、さらに速くなった。


 しばらく川沿いを行くと、二人の男が浅瀬で水浴びをしているところに出くわした。

 男たちに気取られないよう木の陰に身を隠すと、アイリスはじっと様子をうかがった。


 男たちは兵士のようだった。どこかの戦にでかけていたのだろうか。身につけていた銀の鎧や兜を川岸に脱ぎ捨てて、上半身裸で汗を拭っていた。


(なんて野蛮なのでしょう。川が汚れますわ)


 アイリスは、そっと剣に手を触れた。二対一だろうがかまわない。自分の剣にかなう相手などいないのだと、アイリスは勢い良く剣を抜いた。


「覚悟なさい、ヴォルフ!」


 威勢良く飛び出したアイリスは、男たちめがけて突進していく。


「何だ?」


 咄嗟に一人の男が川岸に置いていた剣をつかんで構えた。無精ひげを生やし、筋肉質な褐色の肌をむき出したその男は、突然切りかかってきた少女をまじまじと眺めた。


「何だ、貴様?」

「ヴォルフに名乗る名などありませんわ!」

と、アイリスは男を睨みつけた。


「ヴォルフだと?」

「おい、ローゼンシュトルツの女じゃないのか」


 剣を構える無精ひげの男の傍らで、もう一人の男が耳打ちした。その男は、色こそ白かったが、分厚い胸板とよく鍛えられた二の腕を持った恰幅の良い男だった。筋肉で盛り上がった腕には、狼の刺青が入っている。その模様は、まさにリボルバーヘルトの紋章であった。


「ほお。さすが楽園と言われるだけはあるな。なかなかの美人じゃないか」

「おい、まだ小娘だぞ」


 小声で話しながらもにたにたと笑いながら眺めている男たちに、アイリスは虫唾が走る思いだった。ヴォルフと口を利くだけでもおぞましいのに、自分のことを好色な目つきで見られることは恥辱を受けるも同じだ。


 気合の声とともに、アイリスは斬りかかった。アイリスの剣に、退却の文字はない。勇ましく猛進し、力でねじ伏せるのだ。そうして自らの剣術を磨いてきた。


 剣と剣が激しくぶつかり、ギリギリと力比べが始まった。

 アイリスが腕力に任せて振り降ろした剣を、無精ひげの男がくい止める。力と力がぶつかって、剣が小刻みに震えた。


 アイリスは、渾身の力を込めた。最強の剣士である自分が、たかがヴォルフごとにきに負けるはずがないとばかりに、力で押していく。


(私は、強い。ヴォルフに力で負けるはずがありませんわ)


 さらに刃を押し当てて、アイリスは体重を乗せる。歯を食いしばって、表情が徐々に険しくなるアイリスに対して、男たちの顔には余裕ともとれる笑みが浮かんでいる。まるで、力比べを楽しんでいるかのようだ。


 ぶつかり合った剣の重心が、いっこうに逸れる気配はなかった。計られたように、力と力が均衡に保たれている。どちらが押し勝つか。はたまたどちらが先に引くのか。


 アイリスの細腕が疲労した筋肉によってしびれ始めた。長時間、限界に近い力を出し続けたせいだ。

 無精ひげの男は、その小さな変化を見逃さなかった。

 好機と口元を緩ませて、勢いよく剣を振り払ったのだ。その拍子に、アイリスは自分の剣とともになぎ倒された。それはあっという間の出来事だった。剣はアイリスの手から離れて、水の中につかった。同時に、アイリスも浅瀬に倒れ込んでしまったのだった。


 ようやく上半身を起こしたアイリスは、髪も服もぐっしょりと濡れていた。ブラウスは水分を含んで、艶めかしく下の柔肌を映し出す。

 男たちの目つきが明らかに変わったのを、アイリスは肌で感じていた。


 どうやら、先ほど倒された際に足をくじいたようだ。これ以上、身体を起こすことができない。


(どんなことがあろうとも、ヴォルフには決して屈しませんわ)


 たとえ襲われたとしても、爪でひっかいてやるくらいの気構えで、アイリスは男たちを睨みつけていた。

 しかし、心と身体は相反するもの。心は折れまいとどんなに強がっても、身体は恐怖を感じていたのだった。

 男たちはじらすようにゆっくりと、アイリスに近づいてくる。そして、無精ひげの男の太く分厚い手が、とうとうアイリスの胸元に触れた。


 そのとき。


「やめろ――っ!」


 雄叫びに近い叫び声に、無精ひげの男は手を止めた。声がした方に視線をやるや否や、男はアイリスから飛び退いた。


 剣を振り上げた銀髪の少女が、ものすごい剣幕でこちらに向かってきていたからだ。その姿は、少女というよりも少年に見えた。しかし、その線の細い顔立ちは、やはり少女か。


「アイリスに触るな!」


 剣を構え、澄んだ高い声で咆哮する。


「ルカ……」


 眼前に立つ凛々しい後ろ姿を、アイリスは呆然と眺めた。理想の剣士というものを自分の中に絵として描くなら、きっとこういうシルエットをしているだろう。品のある佇まい、静かなる鼓動、そして空気を震わせるほどの並々ならぬ気迫。


「遅くなってすみません。でも大丈夫、私がアイリスを必ず護ります」


 アイリスの心臓が大きく脈打った。なぜかはわからないが、驚くほど胸が高鳴っている。

 目の前で剣を構えて立っているのは、自分の知っている気弱なルカではない。全身に勇ましいオーラを放ち、堂々と二王立つ英雄だ。


 だが、男たちにはそうは見えていないようである。


「ガキが一人増えたところで同じこと。おまえ、少し遊んでやれよ」

と、無精ひげの男が、刺青の男に顎で促した。


 刺青の男は、剣をおもちゃのように軽々と振り回し、ルカを牽制する。

 男の出方をルカは冷静に探っていた。相手は小柄で華奢な容姿のルカに、明らかに油断している。油断は隙を与え、時としてそれが命取りになるのだ。ルカの体格では、まともに向かっていっても男たちには通用しないだろう。だが、油断している今なら、チャンスはある。

 ルカは全神経を研ぎ澄まし、臨戦態勢をとる。どんな小さな隙も見逃さぬように。


 男の剣が動いた。大ぶりの剣は、懐に入りやすくする。ルカは、俊敏に男の懐に飛び込んだ。そして、剣の束で腹の急所に、会心の一撃を食らわせる。みごと鳩尾に入れられた男は、吐き出しそうな激痛に身体を曲げて悶えた。


「このガキ!」


 今度は無精ひげの男が、突進してきた。その表情から余裕の笑みは消え、兵士の顔つきになっている。


 男は、鋭く剣を振り降ろした。ビュッと風を切る音が、ルカの耳元で鳴った。とっさに避けたルカの髪が、数本あまり刃の餌食になって、風に舞った。

 だが、ルカは怯まなかった。見事な反射神経で攻撃を回避すると、男の後ろにひらりと回り込んで、剣の腹で延髄に打撃を食らわせる。

 短い悲鳴を上げて、男は地面に倒れこんだ。一瞬の出来事に、何が起こったのかわからぬままに。


 戦意を喪失した男たちの前に立つと、ルカは剣を振り上げた。刺青の男は、思わず目を閉じた。自分の命が尽きるのを覚悟して。だが、何事も起こらなかった。それもそのはず、ルカは男たちの命を奪うためでなく、剣を腰に収めるために振り上げたのだから。


「これ以上は無意味です。彼女に二度と手を出さないと誓いを立ててくださるなら、私はあなたたちに二度と剣は向けません」


 男は息を呑んだ。ルカの穏やかで優しい口調の中に、ただならぬものを感じたのだ。

 刺青の男は、気絶した無精ひげの男をかかえると、無言でその場を去っていった。


 脱兎のごとく逃げ去っていく男たちを見届けて、ルカはホッと胸をなでおろした。そして、アイリスの方に向き直る。


「大丈夫ですか?」


 未だ水に浸かったまま尻餅をついているアイリスに、ルカはそっと手をさしのべた。いつもの柔和な笑みを浮かべて。

 だが、その手をアイリスは容赦なく振り払った。


「なぜとどめを刺しませんでしたの?」


 男たちに向けた剣をあっさりと収め、簡単に見逃してしまったルカに、助けてもらったにも関わらずアイリスは憤りを感じていた。


「もう勝負はついていましたし……」

「でしたら、せめて一人殺して、見せしめるべきですわ!ヴィーネに手を出せばどうなるか!」


 頼りない言い訳をするルカに、アイリスはさらに語気を強めた。

 ルカは何も反論しなかった。そのことが、さらにアイリスの機嫌を損ねさせた。先ほどまでの凛々しいルカの姿はどこへいってしまったのか。アイリスは苛立つ感情を抑えきれないまま、痛む足に鞭を打って起き上がった。


 何もかもが腹立たしい。ヴォルフにむざむざと力負けしてしまった自分。優れた力を持っているのに振るおうとしないルカ。足の痛みを怒りに変えて、アイリスは大地を踏みしめる。


「『闘えない者に剣を向けてはならない』」


 アイリスの背中に向かって、脆弱な声が飛んできた。アイリスは足を止めた。怒った表情のまま振り返る。


「『剣は、傷つけるためにあらず。大切なものを護るために、愛する者とともに生きるために振るうのだ』」


 淡々と、しかしどこか切々と、ルカは唱えるように言葉を発した。


「母の教えです。私は、大切な友達を護りたくて剣を振るいました。ただ、それだけです……」


 それだけ言うと、ルカは唇をぎゅっと閉じてアイリスのそばに駆け寄った。そして、無言で肩を貸す。

 今度は振り払わなかった。アイリスもまた無言でルカの肩を借りる。


「年下で貧乳のくせに、生意気ですわ……」


 ルカの肩に寄りかかりながら不機嫌そうにアイリスは呟くと、小さくくしゃみをした。濡れた服や髪が、今頃になってひんやりと身に染みてくる。そのせいか、寄り添うルカの体温がよりいっそう温かく感じられた。


 この後、市門まで辿りついた二人を待っていたのは、ローサの厳しい折檻と、二人仲良く発症した高熱だった。



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