餓狼の企み③
3
ショウを街に案内する役を仰せつかったのは、ピオニーという少女だった。ショウよりも五歳は年上らしいが、背が低くショウとほとんど変わらない。少しふっくらした丸顔とそばかす、短い栗色の髪を両サイドで三つ編みにしている風貌から、実際の年齢とは想像もつかなかった。
「ミルテは元気?」
中央通りを歩きながら、ピオニーは気さくに話しかけてきた。黒い布で顔を覆っているせいで、少し声が聞き取りづらい。
この国では、女性が外出する場合は、こうした黒い布で全身を覆わなければならないようだ。肌など一切見せない。見えているのはわずかに目の部分だけである。もちろん、ショウも同じように黒い布をかぶせられた。最初は動きにくくてぶつくさ文句を言っていたが、これを着なければ街へは行けないと言われてしかたなく観念したのだった。
「ミルテを知ってるのか?」
と、ショウは少し驚いた顔をしたが、顔が布で覆われているため、表情がわかりにくい。
「知ってるも何も、昔一緒にお城で働いてたんだもん。一番の仲良しだったのよ」
「へぇ」
「ミルテがうらやましいな」
「何で?」
「だって、ローゼンシュトルツで暮らしてるんだもん」
「そうか?俺はあんまりあの国……」
と、言いかけて、ショウは口をつぐんだ。ピオニーの羨望の眼差しが、あまりにも眩しかったからである。
「女だけの国って素敵じゃない。なんの気兼ねもせずに、自由に生きられるのよ?」
「そういうもんかねぇ……」
ショウは苦笑した。果たしてそうだろうかという疑問がやはり渦巻く。
「ねぇ、ローゼンシュトルツの女王様はどんな方なの?会ったことある?」
「あるけど……」
「きっと凛々しくて麗しいお方なんだろうな。なんたって、ローゼンシュトルツを導くお方だもの」
と、ピオニーは羨望の眼差しを向ける。
「いや、案外そうでも……」
実際の女王に会っているだけに、ショウは素直にうなずくことはできなかった。しかし、ピオニーはショウの返答など気にしない。自分の想像をどんどん膨らませる。
「ねぇ、四天王の方たちは?みんなすごくキレイな人たちばかりなんでしょ?ルカ様があれだけ素敵な方なんだもの、きっと上品で優しい方たちばかりなんだろうな」
「いや、案外そうでも……」
と、ショウはまたしても苦笑する。そんなショウを無視して、ピオニーはひたすらローゼンシュトルツに想いをはせていた。
(なんか疲れるな、こいつといると……)
何かとローゼンシュトルツのことばかり聞いてくるピオニーにうんざりしながら、ショウは街の散策を一人楽しむことにした。
気がつけば屋台の立ち並ぶ市場に来ていた。野菜や果物を売る店から肉や魚を売る店、生活用品を売る店や大工道具を売る店もある。ショウがその中でも気になったのは、肉を売る店だ。
褐色の肌にうっすら汗をかいた店主が、鉄板で肉を焼いていた。どうやら鶏肉のようだ。店主の後方には、毛をはがれた鶏たちが逆さに吊るされていた。
店主は豪快に鶏肉をぶつ切りにすると、鉄板の上でジュージューとおいしそうな音を立てて焼いていく。
ショウはごくりとつばを飲み込むと、香ばしいにおいに誘われて店の前にまでやってきた。そして、焼きあがっていく鶏肉をじっと眺める。
(うまそ~)
ちょうどいい具合にお腹もすいてきた。
「おっちゃん、鶏肉ひとつ……」
と、言いかけて、ショウは何者かに後ろから口をふさがれた。布で覆われている上に手で強く押さえつけられたために、息ができずにもがく。
「何してるのよ、ショウ!」
ようやく手が離れて楽になったかと思うと、真っ青な顔をしたピオニーに叱責された。ショウの口をふさいでいたのは、ピオニーだったのだ。
「それはこっちのセリフだ。いきなり何しやがる?息が止まるかと思っただろ!」
ショウは口を覆っていた布をはずして、そう言い返した。するとピオニーは、ショウの言葉ではなく、ショウが口の覆いをはずしたことに焦って、無理やり口元にたゆませた布を押し上げた。
「ここはローゼンシュトルツじゃないのよ!」
そう一喝すると、何を思ったか、ピオニーはいきなり跪いて肉屋の店主に謝りだした。
「どうかお許しください!」
「お、おい、ピオニー?」
ショウはこの行動の意味がわからず立ち尽くしていた。すると、ピオニーがショウの腕を引っ張り、強引に地面に跪かせた。
「あなたも謝って!」
「なんでだよ?俺は何も悪いことしてねぇだろ!」
「したわよ!女は男の人から声をかけられる前に、むやみやたらと声をかけてはいけないの。無礼にあたるのよ」
「無礼って……」
ショウは顔をしかめた。どうも納得がいかない。
「あのな、俺はただ……」
「肉がほしかったんだろう?」
と、ショウの言葉に続いたのは、肉屋の店主だった。ニヤリと口元をゆるめて、焼きたての肉を慣れた手つきで串に刺す。
「威勢のいい、嬢ちゃんだ。ほれ、ひとつ持って行きな」
そう言って、店主はショウに串に刺した鶏肉を差し出した。ショウは最初あっけにとられていたが、肉のなんともいいにおいつられて遠慮なく受け取った。
「サンキュー、おっちゃん」
「ちょっと、ショウ」
横でピオニーが不安そうな顔をした。
それを見た店主がピオニーにも串に刺した鶏肉を差し出した。
「嬢ちゃんも食べるかい?」
「いいえ、めっそうもございません。いただくわけには……」
そう答えた声はどこか怯えている。
「そうかい。そりゃあ、残念だ。どうだ、嬢ちゃん、うまいか?」
「おう、すっげぇうめぇ」
豪快にかぶりつきながらショウはおいしそうに答えた。店主はそれに満足したようにうなずくと、思い出したように店の奥から小瓶を取り出して持ってきた。その小瓶には何か液体が入っているようである。外から中身を見ることはできないが、振るとチャポンという音がした。
「これは特性ソースだ。かけるともっとうまくなるぞ」
「マジで?かけて、かけて」
と、ショウは無邪気に食べかけの肉を突き出す。店主は満面の笑みを浮かべると、気前よく肉にそれをかけてやった。一滴、二滴と。
ピオニーはその横で身の縮まる思いをしていた。特性ソースといわれるそれに、見覚えがあったからだ。だが、何も言えなかった。恐怖が彼女の身体を支配し、言葉が口から出てこなかったのである。
何も知らないショウは、特性ソースのかかった肉を大きな口を開けてほおばった。しかし、一口食べて顔をしかめる。どうやら思っていたほどおいしくならなかったようである。
「ん?なんかおっちゃん、これ苦くねぇか?」
「そうか?」
と、店主はほくそ笑む。
ショウはゆっくり肉を噛み砕いていく。柔らかい肉を食べきるのに、さほど時間はかからなかった。全て胃の中に納まったところで、ショウは何か違和感を感じた。するとどうだ。突然、眩暈に襲われたかと思うと、だんだんと身体の力が抜けていく。
(なんだ?なんか眠い……)
ショウの目がうつろになってきた。それから数秒の間に、ショウは地面に倒れこんだのである。
「ショウ!」
ピオニーは思わず叫んだ。ショウの身体を揺すってみるが、目を覚ます気配はなかった。息はしているが、とても深い呼吸である。どうやらぐっすり眠ってしまったようである。
(どうしよう……ショウが……!)
そう思ったときにはもうすでに遅かった。肉屋の店主の顔が、ぐっとピオニーに近づく。無精ひげの生え際が一つ一つ見えるほどに。
ピオニーは腰を抜かして後ずさった。身体中の震えがとまらない。
「どうか……お許しを……」
ピオニーは震えながら声を絞り出した。
「おいおい、あまりいじめてやるなよ」
と、見かねた他の店の店主がやってきた。だが、彼女を助ける気はないらしい。薄笑いを浮かべて、腕組みをしながら彼女を見下ろしている。
「わかってるさ。こっちはマックスさんのお好みじゃないらしいんでな」
そう言うと、肉屋の店主は鼻で笑った。そして、物陰に向かって呼びかける。
「マックスさんよ、あんたの言うとおりやってやったぜ?」
すると肉屋から少し離れた露店の陰から、一人の男がのっそりと顔を出した。ひょろ長い顔で色が青白く、目がすっぽり隠れるほど長い前髪をした男だった。痩せこけて全体的にひょろ長いこの男は、まるでもやしのようだ。
マックスと呼ばれたこのもやし男は、細長い身体を頼りなく動かしながら倒れているショウのところまで近づくと、まじまじと眺めてわからないほど小さくニヤリと笑った。
「これでいいんだろ?」
と、肉屋の店主が念を押す。
マックスはゆっくりとうなずいた。
「上出来です、はい」
「じゃあ、約束どおり家賃のこと頼んだぜ?」
「わかりました。“親方”に伝えておきます、はい」
マックスはそう言うと、倒れているショウを担ぎ上げようとした。しかし、この男、脆弱すぎてショウの身体の半分も持ち上げられない。
(う~ん、どうしましょう、はい)
と、しばし考えて、結局肉屋の店主に運ばせた。