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1.

「リズベル」


 あ、これ夢なんだ。そう思ったらふんわりとしていた景色が、急にしっかりと輪郭を形作っていく。それから、自分がどんどんとその場から遠ざかっていく感覚。

 あともう少しで一番いいところだったのに。この声、きっとあの子だ。タイミング悪いなあなんて思わず文句を言いたくなってしまう。


「リズベル……リズったら!」

「うわぁ!」


 もうちょっと、あと少し。まだ、この微睡みの中でふわふわした幸せを味わっていたい、そう思っていたのに、いきなり体をがくんと揺さぶられて、一気に目が覚める。


「うわ、じゃないって! 休憩終わったのに戻ってこないからって、おばさんが心配してたよ?」

「え、もうそんな時間!? ありがとソフィ!」


 もうちょっと、なんて言っている場合ではなかった。昼の忙しい時間が終わって、夜の仕込みをするために一度閉めていたこの短い時間。それをちょっとした休憩を楽しめるようにしてはどうだろう、ってお試しで店を開ける提案をした。店に負担になるような事はしないから、とお願いしたのはあたしだから、この時間だけは責任者もあたし。

 出せる軽食も種類は絞ってあるし、作り置きが出来るようなものだけ。それに飲み物を出すだけの時間、小さいカフェみたいなもので特に宣伝はしていないのに、そこそこ人が来るようになってきた。


「まーたいつもの夢でも見てた?」


 トントン、とリズミカルに階段を下りていくのに合わせて、馬の尻尾みたいに揺れるライトブルーの髪の毛をぼんやりと眺めていると、くるりと振り返ったソフィと目が合った。お隣さんで、あたしが家の手伝いを始めたのと同じくらいからうちで働いてくれている親友には、隠し事なんて出来るはずがない。


「今回はね、ふわっふわしたケーキを作ってたの。美味しそうだったなあ……

 もう少し、遅く起こしてくれたら食べられたのに」

「はいはい、どうも気が利かずにすみませんね。

 それで? 作り方は覚えたんでしょ?」


 にやり、とソフィの形の良い唇が弧を描く。ふっくらとしたピンクの唇、わずかにつり上がった瞳はライラックの花のような薄い色。黙っていれば美人だと言っていたのは誰だったか。黙っていなくても、こうしてくるくると表情を変えるソフィは美人だし、そんな親友はあたしの自慢なんだけど。


「うん、あるもので作れそうだったから早速試してみる」

「なら、味見はわたしの出番ね!」

「もちろん! 頼りにしてる」


 わあと歓声を上げて抱き着いてくるソフィに、あたしもぎゅっと腕を回す。動きにつられてふわっと風に舞った自分の髪の色が目について、ソフィに気づかれないように小さくため息を吐いた。

 ストロベリーブロンド、なんて美味しそうな名前だけど、子供っぽく見られがちなのが悩みなんだ。ソフィみたいに落ち着いた色の方が良かったなあ、なんてない物ねだりのようだとは分かっているけれど。


「……その前に、おばさんに謝らないとね」

「うぅっ、お母さん怖いんだよなあ……」


 耳に届いた小さな呟きに、髪色の悩みなんて吹っ飛んでしまった。お母さん、許してくれるといいなあ。




「こんにちは」


 人気が出始めたのはいいけれど、無理をしてまでやることはない、と心配なのか怒っているのかいまいち判断がつかないお説教を受けた後、入口のドアにかけた看板をオープンへと変える。

 それを待っていたかのように、カラン、と軽やかな音を鳴らしたベルが来客を告げる。


「なんか、いい匂いがするなあ」

「いらっしゃいませ」


 さっき、夢の中で見ていたものを急いで作ってみたから、焼いたバターの香りが残っているのだろう。

 すん、と小さく鼻を動かしていたけれど、見えるところに匂いが分かるような料理は置いていない。首を傾げていたのが見知った顔だったので、キッチンからお水を持ってきながら挨拶をする。


「お二人ともいらっしゃい! お久しぶりですね」

「まあねー。神殿にしばらく籠りっきりだったから」


 この男性二人組は、街にある神殿にいる神官様。あたしも知らなかったんだけど、街で何か問題が起きていたりしないかをこっそり調べるために、わざわざ服を着替えてまでふらついているらしい。

 そんな事をしているのは、神殿務めの神官様のなかでもこの二人だけのような気もするんだけど。

 怪我をしたり、悩みごとの相談だったり、街で生活していたら神殿のお世話になることはとても多い。だから、誰でも一人くらいは顔馴染みの神官様がいるんだけど、街中で神官様を見かけた、なんて話を聞いたことはなかったから。


 ある日突然ふらっと現れて、定期的に来るようになってから神官様だと知ったので、あたしを含めてソフィや両親だってこの二人には気安く接している。そうして欲しい、と向こうからお願いされたのもあるけれど。じゃないと何のために着替えてきているか分からなくなってしまう、なんて言われてしまえばそうせざるを得なかった、とも言う。

 そんな二人がしばらく顔を出さなかったのは、少しだけ心配していた。遠征とかで街から離れるときは、必ずと言っていいほどに買い込んでいたのにそれも何もなく、ぱたりと来なくなったんだから。


「そんなに大きな事故とか、ありましたっけ?」

「とびっきりのがね」


 神官がいうとびっきり、って命の危険があるような大怪我ってことなんじゃないだろうか。サッと顔を青ざめたソフィに、後ろに控えていた眼鏡をかけた神官様が安心させるように微笑んだ。


「ご安心ください。大怪我を負ったわけではありません。勇者一行が戻った事は?」

「当然です! ずっと封印だけで倒すことが出来なかった魔王を倒したんだって、そこらじゅうで話題ですから!」

「ちょっとソフィ! すいません、彼女、勇者様のお話が大好きで」


 さっき青ざめたのが嘘のようにパッと顔色を明るくさせたソフィの声が響く。今はまだこの二人しかお客さんがいないからいいけれど。もちろん、二人だってそれを分かっているから自分たちが神官であることを隠そうともせずに、こうやって話を振ってくれている。


「いやいや、構いませんよ。何より、気持ちも分かりますから」


 魔王、それはおとぎ話のようだけれど、実在している。獣が知性を持っただとか、王に恨みを持っていた人のなれの果てだとか、その正体についてはいろいろと噂はあるけれど、魔王という存在は悪なのだと。それだけは確からしい。

 らしい、というのは、あたしにとってその存在も、恐怖も身近なものではないからだ。

 王様が住んでいる街、だからこそ警備は万全だし万が一何かがあった時のための手段だってたくさんある。この王都を出たことがないあたしにとっては、魔王とか勇者とか、本当におとぎ話でしかない。

 だから、旅立つと聞いた時も魔王を倒したと聞いたときだって、どこかそれを他人事のように思っていた。無事で帰って来た、という報せ自体は喜ばしいものだと思ったけれど。


「命に関わるような怪我はしてなかったけど、変なの持って帰って来てたらたまらないからって、今までずっと神殿で検査してたってわけ」

「え、もしかして」

「そ。担当したの、俺」


 にやっと笑みを見せるのは、金色の髪の毛を三つ編みにして首の後ろで結んでいる男性。いくら神官の服を脱いできても髪の色が目立つと思う、とは何度も言ったけれど、今まで一度だってその髪を隠して来たことはない。

 おかげで隠れファンなんてものが出来て、この時間だけではなく店の売り上げに一役買ってくれているから、今ではあんまり強く言えなくなってしまった。


「……本当に高位の神官だったんですね」

「ベルちゃんは今まで俺の事を何だと思ってたのかな?」

「あ、ええっと、その……ごめんなさい」


 思わず、本当にぽろっと口から滑ってしまった本音は、どうやっても取り繕うことなど出来なくて。笑顔でこちらに迫って来る圧に押しつぶされそうになりながら、頭を下げた。


「今日のおススメ教えてくれたら許してあげる」

「またあなたはそんな事を言って。ベルさんのご飯が食べたいだけじゃないんですか」


 しょうがない、とわざと大きく響くように息を吐いたけれど、すぐに後ろにいた眼鏡をかけている神官様にたしなめられていた。

 この人も金に近い髪色をしているけれど、そこまで濃い訳ではない。印象に残るのは、どちらかといえば宝石のような色合いを持つ瞳の方だ。ソフィの色よりも鮮やかなバイオレット。

 こっちもこっちで噂になったりしないのだろうかと思うんだけど、あの人が目立っているからあんまり話題にはならないらしい。それでも、この人が買って帰る焼き菓子はしばらくの間売れるから、ある程度のファンはいるみたいだけど。


「二人は、リズベルのこと、ベルって呼ぶんですね」

「ん?」


 ソフィが営業用ではない、自分の興味を持った時の笑顔で二人に話しを振っている。初対面の時から自然にそう呼ぶものだからあんまり気にもしなかったけれど、そう言えばこの二人だけだ。あたしの事を、ベルって呼ぶの。


「わたしも他の人も、大抵はリズって呼ぶからちょっと意外で」

「ああ、そういうことですか」

「ベルって呼ぶ方が少ないなら、俺たちだってすぐに分かるだろ?」

「確かに、そうですね」


 ここに来る人は多い。その中で、あんまり顔を出さない神官様たちをすぐに見分けられるのは、この呼ばれ方をするから、というのも確かにある。髪色こそ変わらないし、顔だって隠していないからだいたいすぐに分かるけれど。それでも忙しい時に声かけだけで個人の判別が出来るのは、ちょっと有難かったりする。この人たちが身分を隠して店に来てくれる間は、たぶんずっとこの呼ばれ方のままだろう。


「別に呼び名はどっちでもいいですけど。でも、ベルって呼ばれて悪い気はしないです」

「それで、ベルちゃん。今日のおススメは?」


 話が逸れたかと思ったのに、しっかり覚えていた金髪の神官様に言われるまま、さっき夢で見たメニューの再現を作る羽目になった。もちろん、新作の味見だときっちり説明したうえで。




「幸せそうに食べていったねえ、神官様なのに」

「それだけ疲れてたんじゃない? ほら、甘い物が染みるみたいな」


 食事として出しているパンケーキを甘くすることにもびっくりしたけれど、それをふわっふわにして重ねるのは、とても難しかった。夢の中では何か道具を使って卵をふわふわにしていたけれど、キッチンをどれだけ探しても同じ道具がなかったので、とにかく混ぜればいいんだろうと挑戦したけれど。

 腕は痛くなるし、夢の中で見たようなふわふわな焼き方には程遠かったのに、神官様二人は嬉しそうに食べていった。お気に召したらしく、またすぐに来ます、なんて言い添えて。

 両親とソフィからも美味しいと評価はもらったけれど、これをたくさん作れるようになるのは、まだ時間がかかりそうだ。あたしの腕、鍛えないと。


「ふふ、そうかも! それよりもリズ、さっきの話覚えてる?」

「明日でしょう? 聞いたばかりだから忘れないよ」

「勇者様たち、パレードしてくれるなんて! こんな情報を事前に知れたのも、リズの料理がおいしいおかげだわ!」


 そう、パンケーキが美味しかったから、なんて言いながらもたぶんソフィのテンションの上がり具合を見たからだろう。二人は、とっておきの情報をお代に上乗せしてくれたのだ。

 勇者様ご一行の無事の帰還、そして魔王を倒したという証に王都をぐるっと回るパレードをするのだと。そのルートの確認と、不審物がないかの事前調査という建前があるから、今日は堂々と街中を歩ける、なんて言いながら帰って行った二人。

 憧れの勇者様を一目でも見れるチャンス、とソフィはあれからずっと上機嫌だ。いつもは疲れている夜の仕事終わりでも、動きが素早い。


「おおげさだよ、ソフィ。でも、せっかく二人がこっそり教えてくれたんだから、いい場所取れるといいね」

「? なに言ってるの? リズも一緒よ?」

「へ?」


 あたしは興味もないから、ソフィがいい場所を取れるように朝一番でお祈りしにいこうかな、なんて考えていた時に飛び込んできた自分の名前。

 思わずうきうきとモップがけをしているソフィの肩を掴んだら、向けられたのはきょとんとした顔。


「おばさんに、その時間はお休みくださいってお願いしたもの。リズと一緒ならいいって言ってくれたわ!」

「いつの間に……」

「それじゃあ、明日、迎えに来るわね!」


 上機嫌のまま、ソフィは帰る準備を始める。ここが王都で家が隣だとはいえ、夜の終わりにはお父さんがソフィが家のドアを開けるまで、ちゃんとに見送ることにしている。

 店の入り口から出て、ソフィの足でだいたい二十歩。最近は、お淑やかに歩きなさいと言われているからか、前よりも歩幅が小さくなったので三十歩。

 その間にたまたまうちの前を通りかかった夜間警備の人に、笑顔で愛想を振りまくくらいには浮かれたままのソフィがちゃんとに家に帰ったのを、お父さんと一緒に見送ってから、店の入り口を施錠した。


「明日って、なんだ?」

「勇者様のパレード、見に行くんだって」

「ああ、マーシャが言っていたのはそれか。お前は興味ないと思ってたんだがなあ」

「あたしは興味ないよ。ソフィの付き添い」


 仕込みの時間に抜けてしまう事になるから、申し訳ないなあと思っていたんだけど、そんなパレードがあると事前に知れたから、仕込みの時間をずらせるし、ちょっと抜けるくらいなら問題ない、とお父さんは笑っていた。


「それなら、明日寝坊してソフィを怒らせないようにしろよ?」

「うわ、そっちの方が心配! ありがとお父さん、お休みなさい!」


 昼に寝過ごした事を知っているからか、笑いながらだったけれど、言われたことは考えたら当然の事だ。ソフィが勇者様に熱を上げているからこそ、寝坊なんて許されないだろう。

 早く寝るべく、挨拶もそこそこに階段を駆け上がってベッドに飛び込む。何時に迎えに来るのかを聞くの忘れたな、なんて不安な事を思いながらも、案外あっさりと眠ることが出来た。



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