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8.

 もう一仕事、そう聞こえたしそれを理解した瞬間に動こうとした体が止まる。一日で二回、異世界に旅立つ人を送ることは今までなかったから、勝手にあたしが思っていただけなのかもしれないけど。


「え、これから……?」

「そうだよ。これから、だ」


 一日に送るのは一人だけ。ずっとそうだったけど、もしかして人数の制限なんてなかったのかもしれないし、向かわなくてはいけないのがあまり余裕のない世界なのかもしれない。

 どんな状況であろうと、あたしが神様の指示に逆らえるはずはない。仕事、とそう神様が告げたのだってそういう意図だってあっただろう。

 だけど、仕事をするというのなら、誰かに会うという事だ。それなのに、さすがにこの顔ではまずい。さっきまでわんわん泣いていたんだから。


「ごめん、神様。ちょっとだけ休憩の時間をもらいたいんだけど」

「分かった。だけど、少ししかあげられないよ?」

「……うん」


 あんまり時間がないのなら、まずは泣いて赤くなった目をどうにかしないといけない。急いでタオルを濡らして目元を冷やす。

 真っ暗になった視界で巡るのは、さっきの神様の発言だ。これからのもう一仕事、時間はあんまりない、今までにない指示。それから、神様のよそよそしい態度に、まだあたしの気持ちは混乱している。だって、ゆうた君を見送った時にはとても優しい表情だったのに、今では何だか無理して笑っているような、そんな顔をしているんだから。


「だけど、動くしかないんだよね」


 ここで、料理を作っていくと改めて宣言したけれど、あたしにはそれしかやれることがないんだから。わがままを言っても嫌だと言ってもいいと神様は言うけれど、はたしてあたしがそう言った時にどうなるか、そこまでは話してくれなかった。


「ひっどい顔」


 鏡に映るあたしの顔は、まだ目元が腫れている。氷、と思ったけれどキッチンに向かうには神様の待っているところを通るしかなく。

 すっかり自分の部屋として馴染んだここにお風呂があってよかったけど、冷蔵庫も置いておくべきだったなあ、なんてどうでも良いことが頭によぎった。



「ああ、春那(はるな)。良かった、呼びに行こうと思ったんだ」


 それからまあ、腫れは誤魔化せなくもないだろうくらいに落ち着いたので部屋を出たら、明らかにほっとした様子の神様が待っていてくれた。

 濡れタオルを当てすぎて冷たくなった目元にそっと手を添えて、じんわりと温かさを移してくれる。いつものような優しさに、少しだけ身構えていた体から力が抜けた。


「向こうの準備が出来たみたいだから、行くよ」

「向こう? 行く?」

「とにかくついてきて」

「う、うん」


 質問への答えも、詳しい説明も何もないままに手を引かれて、連れていかれたのはこの空間を仕切る扉の前。

 落ち着いた色合いで統一したかったから、こげ茶に近い色を選んだ。そこには、ドアベル代わりに小さな風鈴が飾ってある。

 そこに戸惑いなく手をかけた神様に、思わず待ったをかけた。


「ねっ、ねえ神様こっち……!」

「いいんだよ。おいで」


 さら、と視界を薄く遮るように被せられたのはレースのようなショール。カーテン越しに見ている時みたいに目の前の景色が白に染められて、何があるのかをはっきりと確認することが出来なくなる。

 確かなのは、ガチャリとドアの開いた音、それからあたしが今までずっといた空間から、初めて外に出たのだという事。

 手を引かれている間、神様はずっと無言だし、たぶん少しだけ大股で歩いている。きっとそんな様子なんて感じさせもしないほどに優雅な足運びだとは思うんだけど。

 引かれるままに歩いているけれど、神様が大股で歩いている分、あたしもいつもよりも一歩を大きく出さなければいけないので、右とか左とか、どう歩いているのかなんて道順を覚えている余裕もなく。


「もういいよ」


 ふわりとショールを外されて、明るくなった視界には神様と、担当さんの姿が映った。

 きょろきょろと辺りを見回してみたけれど、白い空間、それから少しだけ高く作られている祭壇、のようなもの。

 それ以外なにもない。それなら、ここで一番大切なのはあの祭壇らしきもの。


「担当さん、まで?」


 さっき別れたはずの担当さん。それから、あたしの前にあるもの。もしかして、なんて思いつかないはずがないだろう、ここまで状況が揃っているのだから。


「俺たちが、最後に異世界に送るのは、春那。君だ」


 もしかして、そう考えたことが一言で現実になる。ドキンと自分の心臓がいやに大きな音を立てたような気がして、胸元を押さえるような姿勢を取ってしまう。


「な、に言って」


 はっ、っと声にならなかった息が漏れる。目の前がちかちかしているのは、周りの白さに眩んだからではないだろう。がくがくと震え始めた膝に力を入れたけれど、あたしは上手く立っているだろうか。そんな感覚すらなくなって、そっと背中を支えてくれたのは担当さん。

 さっきまでなかったはずの椅子に、ゆっくり座らせてくれた担当さんが、あたしの前に用意してあった椅子に腰掛ける。隣にいる神様はどっかりと音を立てて座り、片足を自分の膝に乗せ、更に頬杖をついて背を丸めている。

 まるで、全身で不機嫌だと伝えているようなものだと思ったし、今まで見たこともない姿勢だったからきょとんとしてしまった。おかげで、少し落ち着いたし、息がしやすくなった。


「俺はともかく、こいつが冗談言うような性格だと?」

「それは思ってないけど」

「即答されるとなかなか傷つくなあ……」


 こいつ、と神様の親指が示す先に座っているのは担当さん。眼鏡の奥で優しく微笑む姿はいつも通りで、すらっとした足を組んで座っている姿はとても様になっている。


「全く、あなたは説明もなしに連れてきたんですか」

「時間がないって言ったのはお前だろうが」


 いつもと違う場所で繰り広げられるいつもの会話。それだけなのに、緊張と何だかわからない不安でいっぱいだったあたしに、少しだけ余裕が出来る。

 すう、と深く息を吸い込んでからゆっくり吐き出す。大丈夫だ、心臓はまだバクバクいっているけれど、膝は震えていないし、座っていながらだけどしっかりと床に足はついている。


「さっきあたしがここで料理作るのが仕事だって言ったら頷いたじゃない」

「そうだね」

「戻ることも、進むことだって出来ないって」

「うん、言った」

「なのに、どうして今になって先を見せるの!?」


 落ち着け、そう自分に言い聞かせながらも言葉はどんどんと感情を乗せてしまう。このままじゃ、前のようにただの八つ当たり、そうなると分かっていながらも。

 またやってしまった、そう思ったら神様にも、担当さんにも顔を見せたくなくて、俯いてしまう。分かっている、自分では納得していた。だけど、それはただのふりだったみたいだ。こんなにもあたしは、自分の状況を理解していながらも納得できていない。


「――準備が出来たとしか、言えないな」


 ハッとして顔を上げれば、声と同じように表情を硬くした神様、それからばつが悪そうに視線を逸らす担当さん。

 すっと姿勢を正してこちらを見ている神様。今、この人から視線を外すことは許されない。そう、直感が告げた。


「春那。俺たちのやることは、必要とされている世界に、その条件を満たす魂を送る事だ」


 聞いている。料理を食べてもらうのは、その魂が傷ついている場合に癒すための手段としてだ、と。


「春那は、事故でここに来た。だからこそ、必要な世界の準備が出来ていない」

「ですが、先ほどの彼がその準備をしてくれました。おかげで、あなたを旅立たせることが出来る」


 先ほどの彼、それは間違いなくゆうた君の事だろう。だけど、どうして彼が準備なんて出来るのだろうか。

 神様も言っていたけれど、担当さんはこの手の冗談を言うタイプではない。神様だって嘘は言わないかわりに、場を和ますためなのか話を濁すためなのか、冗談みたいなことを言っているのは何度も見てきたけれど。


「ちょ、ちょっと待って。あたしはそんなこと」

「望んでいない、と。本当にそう言えるの?」


 あたしの気持ちもなにも無視したままに進もうとする話を止めようとしたら、神様から投げられた言葉に息がつまった。

 異世界だろうとどこだろうと次、を生きていける。それを、そんなことなんて言っていいはずがない。思わず自分の口から出たその言葉は、そんなこと、と言って期待しないように自分で自分の望みをきゅっと握りつぶしてしまったようなものなのではないか。

 期待するな、だけど今までの話が本当なら、なんて二つの考えがぐるぐると頭の中で繰り返し問いかける。

 あたしが本当に、心の底から望んでいることは、なんだ。


「言えないよ……あたしだって、今まで見送ったみんなみたいに、先に希望を持ちたい!」

「そう。だから、春那。君を次の世界に送り届けるよ」


 当たり前のように、何でもない事のように神様は言うものだから、かくりと体から力が抜けてしまった。さっきまで緊張していたからか、分からなかったけれどあたしの感情はどうやらいろいろなものが決壊寸前だったようだ。ぽたり、と落ちた雫がスカートにじんわりとした染みを作っていく。


「勝手だよね」

「神というのは勝手なものさ」


 泣いているせいでしゃくりながら掠れているあたしの声を、正確に拾いあげていつもと同じ調子で返事をしてくれる神様に、ふふ、と小さく笑いがこぼれた。

 確かに神様は勝手なのかもしれないけれど、その振る舞いはあたしにとって、とても大きな一歩を踏み出すきっかけを作りだしてくれた。


「まあ、この方の今までに比べたらかわいいものですよ」

「担当さんにそう言わせるなんて、神様どんなことしていたの」

「それを話す機会は、また今度だな」


 やれやれ、とため息混じりの担当さんにジト目を向けている神様だけど、この人が部下になってからあんまり時間は経っていないんじゃなかったっけ。

 その前から神様は神様だっただろうから、きっと担当さんだけじゃなくて他の誰かもその勝手さに振り回されたことがあるのかもしれない。自分が関わっていなくても話に上がるくらいの事はしていそうだし。


「今度なんて、ないじゃない」

「分からないよ? 春那が望めばいつか、交わるかもしれない」


 また明日、そんな気軽さで告げられたまた今度、はあたしがここを出ていったらもう来ないのに。

 だけど、神様の声には不思議とそうかもしれない、と思える響きがあったから。そうなればいいな、と素直に思えた。


「それで返事は」

「あたし、行く。次の世界に」

「そう言ってくれると思ってましたよ」


 さて、なんて言いながら立ち上がった神様と担当さんが、祭壇の傍に向かって行ってあれこれ何かを準備し始める。

 ぼんやりとそれを眺めていたあたしは、そっと髪の毛を撫でたけれど、何も引っかかることはなく自分の手はするりと髪を通り抜ける。

 言われるままに来たから、あの空間にあるものを何一つ持ってこれなかった。あれだけ綺麗なものをもらっておいて、置いていくのは少しだけ心残りだけど。今さらあの空間に戻る事も出来ないんだから、諦めるしかないだろう。


「うん。それじゃあ、これは俺たちからの餞別。前にも言ったけど、荷物は持って行けない。だから、服のなかに隠すか、身に着けておいて」


 差し出されたのは、担当さんからもらった髪飾りとヘアピン、それから見覚えのないネックレス。

 小さな花をたくさん集めて花束にしたような飾りを、淡い色のラインストーンがきれいに纏めてくれている。しゃらっと軽やかな音を立てるチェーンは細くて、普段あんまりこういった装飾品を身に着けることのないあたしでも、あんまり抵抗せずに着けることが出来た。


「あ、ありがとう……!」


 ネックレスを着けていくのだったら、バラの髪飾りまで着けてしまったら派手過ぎる。パールのついたヘアピンだけにして、髪飾りはスカートのポケットに大事に仕舞い込んだ。

 その姿を見た二人が、とても嬉しそうに笑ってくれていたから、あたしもじわりと浮かんだ涙をこぼさないように、笑顔を作る。

 これでお別れになるのだったら、最後に二人に見せるのは泣き顔ではなくて笑った顔が良い。あたしだって、この記憶を思い出すのだったら二人の笑顔が見たいから。


「神様、担当さん。今まで、お世話になりました!」


 ふわりと浮かぶ光がどんどんと強くなっていく。眩しすぎて目を瞑る、その前にもう一度大きな声で叫んだ感謝は、届いていただろうか。


次回、エピローグです。

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