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7.

「せっかくだから、温かいうちに食べよ?」


 自炊はしているけれど、料理の腕に自信があるわけではなかったのだろう。そんな彼が出来上がった野菜炒めを前にして嬉しそうにしているのだから、冷めてしまう前に美味しくいただくべきだ。

 そう思ったから、神様と担当さんが待っているテーブルに急いでお盆を運んで、自分たちの分は自分で運べばいいかとキッチンに戻ってきたのに。

 彼は真っ赤に染めた顔で口をパクパクさせていてその場で立ち尽くしているし、神様も担当さんも、いつもと様子が違う。


「ちょっと、何で三人ともぼんやりしてる……」

春那(はるな)、思い出したのかい?」


 しょうがないから全部自分で運んで、ぎこちない動きをする彼を引き摺るようにしてテーブルに連れて来て。いつもだったら率先して手伝ってくれるはずの神様も、どこかまだぼんやりしているから、呆れたようにため息をつきかけたら、きゅっと表情を引き締めた神様がようやく動いた。


「うん? 思い出すってなにを」

「はるちゃん、俺の名前呼んでくれたよな!?」

「へ!?」


 問いかけの意味が分からず、首を傾げていたら連れてきたまま、テーブルに座ってはいなかった彼が、嬉しそうに声を上げた。ぎゅ、っとあたしの手を握りながら。

 彼の声と、その行動。どちらにも驚いてしまったあたしから変な声が出たけれど、三人はあまり気にしていないみたいだ。というか、あたしの様子よりも気にしなければいけない事がある。

 それが、あたしが呼んだ彼の名前。


「無意識、だったようですね」

「さっき、彼と話していたことを思い出して。自分が、彼の事をどう呼んだかを」

「あ!」


 そうだ、野菜炒めが出来上がって、あたしは椅子から指示だけをして見守っていたから、ご飯とお味噌汁を用意するときにそろり、とフライパンを覗き込んで出来上がりを確認したんだった。

 するりと、まるでさっきからずっとそう呼んでいたように出てきた、名前。


「え、っと……ゆうた君?」

「何で疑問形? さっきは普通に呼んでくれたじゃん」


 あたしはまだ立ったままで、彼が座ったのを見下ろす形になっているからか、口を尖らせるその様子が何だか幼く見えてじわじわと口元が緩む。このまま力を抜いて笑ってしまったら今以上に機嫌を損ねてしまうのは試さなくても分かるので、誤魔化すわけじゃないけれど、言葉を発するように口を動かした。


「だってするっと口から出てきたから、あんまり自覚がなくて」

「合ってるよ。だから、普通に呼んで欲しいな?」


 自分が座っているのを自覚しているからか、少し気を抜いたような表情で優しく笑いながら、こちらを見上げて来る彼の姿に、小学生の姿が重なって見える。

 髪の色も笑い方だって変わったのに、目尻に出来るしわは変わらないなあ、なんて思ってから。

 気がつけば、あたしはこくり、と小さく頷いていた。


「さ、それじゃあ温かいうちに食べようか?」

「神様、それさっきあたしが言った」


 そうだったっけ、なんてケロッとした顔をしながら笑う神様を見て、まあ聞こえていないはずはないか、と思ったけれど口には出さず。

 その代わりに、まだほんのりと湯気を立てているきゃべつを一口ほおばった。しゃきっとした歯ごたえの後から胡椒がふわっと香る。少し塩気は強いけれど、しょっぱいまではいかないから、お水が欲しくなるような味ではない。

 一応、お味噌汁は薄味にして調整できるようにしてあったけど、このくらいでちょうど良かったかもしれないな。


「それで、さっきの名前だけど」

「小学校の名札ってひらがなで書いてあるし、その、ええと……」


 もぐもぐと無言のままに食べていた神様が、カタリ、とわざと大きめに音を立てて箸を置いた急いであたしも口の中を空にしてから、箸を置く。

 神様の言いたいことはもっともだ。担当さんから名前を教えてもらったのに全然思い出せず、彼の姿を見たってあんまりピンと来ていなかったのにするっと名前を呼んだのだから。

 小学生の時の姿と、大学生になった今の姿を結び付けろ、っていうのもなかなか難しいとは思うけど。定期的に会っていた、って訳でもなかったからここで再会したのは、小学生以来だというのに。


「すぐに思い出せなくてごめんなさい」

「っはは! いいっていいって! 俺の漢字は確かに読みにくいし」


 だけど、同じ条件のはずなのに彼はあたしのことをすぐに分かったようだったから、そこに関しては申し訳ないとしか言えない。

 それなのに、野菜炒めからあたしに視線を移した彼は、ケラケラと何でもない事のように笑い飛ばしてくれた。


「悠大って書くけど、だいたい初見だと“ゆうだい”って読まれるし」

「うん、あたしもそう読みました……」


 井筒悠大。渡された紙にはそう書いてあった。苗字だって覚えてはいないのに、名前の漢字を違う読みで記憶を掘り返していたら、そりゃあ思い当たらないだろう。

 慣れてるから、と笑う彼は本当に何も思っていなさそうだった。あたしも苗字があんまりある方ではないからよく訂正していたし、その気持ちは分かる。だからこそ、申し訳ないと思う気持ちだってあるんだけど。

 神様はきっかけこそ作ったものの、それ以上は何かを言うつもりはなさそうだ。黙々と、野菜炒めを口に運んでいる。味の好みが合わなかったら変化をつけるだろうから、神様も野菜炒めはお気に召したようだ。


「そうだ、ゆうた君。どうしても聞いておきたいことがあるんだけど」

「え、なにそんな改まって」

「今もカマキリ、育ててる?」

「もう育ててない!」


 ぶわっと、一瞬で彼の顔から首筋まで真っ赤に染まる。茹でだこみたい、とか湯気が上るようなんて言い回しを聞いたことがあるけれど、この様子を例えるなら確かにピッタリだなあ、と思うくらいに、真っ赤。

 だって、小学生のゆうた君、一番覚えているのがそこなんだもん。隣に座っていたから他の子よりもよく話していたし、あたしが虫大丈夫だったからっていうのもあるのかもしれないけど。


「春那、カマキリって?」

「虫の名前だよ。こう、手がカマみたいになっているんだけど、その虫をね……」

「わーっ! ちょ、はるちゃんそれ以上はお願いだから!」


 急いであたしを止めに入った彼の慌てっぷりを見て、神様が何か企んでいるような笑い方をしてみせた。

 ひくり、と彼の口元が引きつったように見えたのは気のせいではないだろう。さっきまでの穏やかな笑い方から一転して変わった雰囲気に、ちょっと飲まれそうになっているのもあるだろうけど。


「へえ、それじゃあ後で、じっくりと」

「うぅ……」


 赤く染まった自分の顔を隠すように両手で覆っているけれど、耳がまだ見えているんだよね。しばらくその赤さは引きそうにないだろう。神様がにやにやと笑っているのを、目の前に座っている担当さんがちらっと見てから一つ、溜め息を吐いた。



「ご馳走様でした!」

「自分で作った野菜炒め、どうだった?」

「今まで作った中で、一番うまかった!」


 その後はあたしと彼の話に分からない単語があったり、面白そうな話の気配を感じた神様とのやり取りをしながらも、雑談と呼べるような会話をしながら食事を済ませた。

 たっぷり作ったと思った野菜炒めは、きれいになくなったので、みんな満足してくれたんだろう。誰よりも美味しそうに食べていたのは、彼だったけど。


「それは良かった。それじゃあ後片付けでも」

「俺もやるよ!」

「ストップ。君はまだ全部食べきってないだろう?」


 立ち上がりかけた彼を制したのは、神様。口調こそ柔らかかったけれど、その声には、抵抗できないような響きがあった。そうして指摘されたお茶碗を見ると、確かに所々にお米粒が残っている。


「え? あれご飯粒残って……?」

「お米の一粒だって残さないように、俺は春那にそう教わったけど?」

「俺だってあれからちゃんと残さずに食べるように……!」


 あれから、という言葉に引っかかりはしたけれど、どんな話だったのかを聞こうとする前に彼がお茶碗から残ったお米粒を集め始めたので、タイミングを逃してしまった。

 これを片付けたら、もうお別れの時間だろうしどこかで聞ければいいんだけど。


「それでは、私がお手伝いしましょうか。あなたは、きちんと最後まで食べきってくださいね?」


 神様が頷いていたから、彼が全部集めて残さずに食べたのかどうか、の見張りというか確認は神様の役割になったのだろう。ふわりと服の裾を揺らして立ち上がった担当さんの腕には、いつの間にか重ねられたお盆があった。

 迷いない足取りでキッチンまで来たのに、お盆をどこに置いたらいいのか分からないようでオロオロしている担当さんに、そう言えばこの人がキッチンに来たことってほとんどなかったなあ、と思い出す。


「担当さん、ここまででいいんですよ?」

「いえ、いつも美味しいお食事を頂いているのですから。なかなか機会はありませんでしたが、ぜひやらせてください」

「それなら、お願いします」


 服にお水が跳ねたり洗剤が飛んだりしたら一大事なので、洗い物だけだけどエプロンを着けてもらう事にする。初めてやる作業だろうから、ゆっくりやろうと思っていたのに、担当さんの手際があまりに良すぎて、いつもと同じか、それよりももしかしたら早いんじゃないかくらいの時間で洗い物が片付いてしまった。

 途中、口をもごもごさせた彼がお茶碗を下げに来てくれたから、残った物もなく。


「神様とゆうた君、何か話してますね」

「そうですね。それでは、食器も片付いたことですし食後のお茶、とやらを持って私達も混ぜてもらいましょうか」

「ふふ、そうですね」


 思えば、この時にいつもと何かが違う、と感じていたはずなのに。食器を下げるのはもちろん、食後のお茶を出しても一緒に会話をすることも、今までなかったのに。

 その再会がここであったとしても、友達に会えて浮かれていたのかもしれない。


「ありがとう、はるちゃん。こんなうまいご飯食べたんだから、俺頑張る!」


 お茶を彼の前に差し出した時、これでお別れで、この先に彼は勇者という役目を持って異世界に旅立つのだと思ったら、ふいに視界がにじむ。

 これは作っている時に感じた眩暈とは違う、目の前がじわっと歪んでいくのは、その原因はあたしの涙だ。

 友達が、ここにいて、そして異世界に旅立つ。それは、思っていた以上にあたしの気持ちを揺らす。


「だからさ、笑って見送ってくれないかな? そしたら俺、もっと頑張れるから」


 一番怖いのは、間違いなく彼だ。勇者なんてすごい、と笑って言っていたけれどその手が震えていたのを、声だって意識して張っていたのだって、もうとっくに分かっているから。

 そんな彼が笑っているんだから、ここで、あたしが最後に出来る事。

 ぐいっと目元をこすり上げてもあふれそうになる涙が、こぼれてしまう前に。


「……うん。気をつけて、行ってらっしゃい!」

「ああ! 行ってくる!」


 担当さんと連れ立って去っていく背中は、随分と大きく見えた。さっきまであたしの隣でキッチンで野菜を切っていたときと、同じだとは思えないくらい。

 精一杯の笑顔で見送れただろうか。その背中が見えなくなって、こぼれる涙はもう、我慢しなくてもいいだろう。

 その涙が落ち着いて、カウンターで座り込んだあたしの隣にそっと座った神様のぬくもりが、今はとても嬉しい。

 何を言うわけでもなく、ただそこにいるだけだったけれど、それだけで落ち着いたのは分かったのだろう。よし、と気持ちを切り替えようとしたあたしが動く前に、神様の声が響いた。


「さて、それじゃあもう一仕事、だよ。春那」



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