6.
きゃべつ、人参、ピーマン、玉ねぎ。これだけでもボリュームは出るけれど、大学生だったらまだそれなりに食べる時期だと思う。
そうなると野菜だけだと物足りないかもしれないから、お肉を何か足したいんだけど、どれがいいだろうか。
冷蔵庫に残っているのは、ソーセージとひき肉しかない。野菜が全部冷蔵庫にあったのは助かった。神様、向こうで担当さんと話しているから、食材の用意だけで声をかけるのは少し申し訳ない。
「それでは、はるちゃん先生お願いします」
「何その呼び方」
「だって、教えてくれるんだったら先生じゃんか」
にこにこ笑って嬉しそうにキッチンにいるけれど、エプロンの結び目がちょっと歪んでいる。そっと後ろに寄って、結び直せば照れたように自分の頬をかいている。あー、とかうー、なんて意味のない言葉を呟きながら。
「呼びやすいならそれでもいいけど、長くない?」
「そうだな、やっぱりはるちゃんの方が落ち着くや」
シンクで手を洗ってから、ごろごろと野菜も洗う。それから、ピーラーを差し出してみた。
一緒に作って欲しい、なんてお願いだったからきっとそれなりに料理を作っているんだとは思うんだけど、実際のところを確かめてからじゃないと。いざお任せします、なんて言ってから食べられるところが無くなるくらいまで皮を剥かれても困るし。
小学校の時、ピーラーの使い方を勉強しようってことで人参剥いていたら全てを薄く切ってくれた子、いたんだよね。すごく張り切っていたのに、そのやる気が空回りしちゃった男の子。
「それで、料理の経験はどのくらい?」
「うーん、まあ自炊はしてるから」
そう言って、ひょいっと人参を手に取ると、慣れたようにすいすいとピーラーを滑らしていく。その手つきには危なっかしいと思うようなところはひとつもなくて。
おお、とあたしが感心している間に、彼は人参一本の皮を綺麗に剥いてしまった。
「これならどう?」
「いや、十分。えーっと、教えることある?」
料理作るのに必要なのはこれだけじゃないけれど、でもまずは第一段階としては十分だろう。あたしが料理を誰かに教えるって、小学校の時でもあんまりやっていなかったし、今神様にも教えている、とは言い難い。だってあれこれ話しながら作っているだけだし、自分なりのやり方だから教科書通りではないだろうし。
「あるある。だって、俺はここからどう切ったらいいのか分からないもん」
「え、自炊してるんじゃなかったの!?」
「知ってる? 今はカット野菜って便利なのがあってね?」
驚いて目を丸くしたら、くつくつと笑いをこらえるような彼の顔がとてもよく見えた。
そうだった、あたしは野菜は畑で収穫するもの、ってイメージが強いけれど、一人で使うには持て余してしまう。だったら割高でも、とカット野菜を買う方が手軽なんだと話を聞いたことがある。
たくさん作っても消費してくれる人がいるとは限らないし、あれこれ必要な野菜を揃えて微妙な量を残してしまうより、結果的には安いとも言っていた。
「そっかあ、でも、ピーラーは使えるんだね」
「小学校からどれだけ時間経ってると思ってるの」
「そうだよねえ……」
小学生の友達だから記憶とか気持ちが引っ張られているけれど、大学生になるまでの時間が過ぎているんだし、ピーラーだって使えるようになるか。
そしたら人参は任せて、あとは皮を剥かないといけないの玉ねぎなんだけど。玉ねぎ、しばらく処理を神様にお願いしていたからなあ。
「人参が終わったら、玉ねぎの皮もお願いできる?」
「もちろん! 皮剥き職人にお任せください!」
一体いつの間にそんな職人技を取得したのだろうか。あたしとしては任せろ、って言ってもらえたのはとてもありがたいのだけど。
彼に人参をもう一本、それから玉ねぎを二つ任せて、あたしはきゃべつとピーマンの処理を済まそうともう一枚まな板を取り出した。
「あ、待って待って! 俺もやるから!」
「え? それじゃあ、別の準備するか……
ソーセージとひき肉、どっちが好き?」
「それって野菜炒めに入れる予定? だったらソーセージがいいな」
「りょうかーい」
そんな話をしながらも、彼は人参の皮を手早く剥いて、続いて玉ねぎもさくっと準備してくれた。
おかげで、あたしも目にも何ひとつダメージはない。
「それじゃあ、きゃべつはざく切りにして」
「こんな感じ?」
「そうそう、一口で食べれる大きさでね」
最初の頃にそうやっていたように、まな板を並べて隣同士で作業を進めていく。神様は、包丁を握る手だって不安だったけれど、彼はそこまででもない。
まあ、神様がいきなり自分の手まで切りそうになったのと比べたら誰だって上手には見えるだろうけれど。
「ピーマンは、ヘタと中の種を取ってから細切りね」
「細く、ねえ……これが難しいんだよなあ。はるちゃん上手すぎない?」
「ありがとう。これはね、慣れるしかないんだよ」
頑張って、下処理を済ませたピーマンを彼のまな板に移したらちょっと大げさなくらいに声を上げたけれど、そのピーマンがあたしのまな板に戻ってくることはなかった。
ピーマン、つやつやしているからしっかり押さえないと包丁が滑ってしまいがちなんだよね。それなのに縦に細く切るのって、言うのは簡単なんだけど、実際にやってみるとなかなか難しい。
だけど、細く切れた時のやりきった感は嬉しいものだ。
「人参は、短冊切り。こんな感じに切って」
「なるほど、短冊みたいに切るから短冊切りね」
トントンと規則正しく音を立てるあたしの隣で、トン、トンッと不規則な音が響く。短冊切りは他の切り方よりも難しいのかもしれない。でも、ここまで出来れば食材の切り方で困るような事はないはずだ。あたしは、おばあちゃんにそう教わった。これが出来るように、均一に切れるようになったら他のやり方も教えようね、と言われてしばらく夢中になって切っていたのもいい思い出だ。
「あとは、玉ねぎはくし切りって、ちょっと厚みが残るくらい」
「あんまり薄いと溶けちゃいそうだよな、玉ねぎって」
「煮物じゃないんだから、なくなったらそれは炒めすぎだよ」
とろっとろになった玉ねぎは美味しいけれど、野菜炒めではそこまで火を通さなくていいと思う。
むしろ、そこまでやったら他の野菜だって無事ではないだろう。
「それで、ソーセージは斜めに。ちょっと薄めが良いかな」
「え、大きい方が美味しくない?」
「そこは任せるよ」
野菜を切っている時よりも気楽に包丁を持っている彼は、これで全部の食材の準備が終わるのだと分かったようで、緊張していた表情を少し緩めている。
あとは、まな板の上にそれぞれまとめた野菜を炒めていけば、野菜炒めの完成だ。
「それで、はるちゃん。どれから炒めればいい?」
「……あ、ごめん。もう一度教えてくれる?」
「いや、教えてもらってるのは俺の方……ってか大丈夫?」
くるり、と笑顔で振り向いた大学生の姿は、記憶の中にはないはずなのに。あの時、こうやって食材を準備して、火を使うから気をつけるように、なんて先生の話を聞いてみんなで返事して。
その時に隣にいた男の子、その姿が、今目の前にいる彼の姿と重なって見えるなんて。
ぐらりと揺れたのはあたしの頭の中だけだったのだろうか。慌てておでこを押さえたけれど、軽い眩暈のような気持ち悪さがすぐにはいなくなってくれなくて。
「そこで座って、指示出してくれたら俺頑張るからさ!」
慌てた彼が持って来た椅子に、お礼を言ってから腰掛ける。視界はまだ少し揺れているけれど、火の前に立てないほどではない。だけど、立ち上がろうとすると彼に肩を押されて椅子に座る姿勢に戻されてしまうから、結局炒めるところは彼に任せることになった。
「固い野菜から炒めるといいよ。このなかだと」
「人参とピーマン?」
「人参が先かな」
フライパンに油を入れて、温まったところで人参を入れて火を通す。薄く切ったのは食感もあるけれど、火の通りを早くするためでもある。
野菜炒めって、シャキシャキの食感も楽しめる料理だと思うから、あんまり火を入れ過ぎてしなしなにならないよう、ここからは手早く動かなければ。
「ピーマン、玉ねぎ、きゃべつにソーセージって重いな!」
「四人分一気に作ってるからね。フライパンも大きいし」
「一人じゃこんな大きなの持ってないからなー」
よっと、なんて声をかけながらも、フライパンの扱いは思っていた以上に様になっている。さっき頑張ると言ったからだろうか。
「一人なんだ?」
「大学、実家からだと通えなくて」
「そっか」
それから塩胡椒のシンプルな味付けだけで、野菜炒めは完成した。これだけじゃ寂しいから、彼に人参と玉ねぎを託している間に準備したお味噌汁とご飯をよそう。
ほこほこと湯気を立てる野菜炒めは、ほとんどが自分で作ったものだ。だからだろうか、あたしが神様と担当さんの用意をしている間もずっと、彼は嬉しそうに笑っていた。
「うん、上手く出来たね。ゆうた君!」